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もういない人に言ってもしょうがないんですけどね。

2014年11月9日、多くの人にとっては他愛もないごく普通の一日だったと思うが、多くの人にとっては忘れられない一日でもある。
ぼくの拙い言葉なんかでは、貴女の魅力を表せない。ぼくは貴女のことをなにも知らないから。
なにがきっかけで貴女を知ることができたのかも、ほんのささいなきっかけにすぎない。
ぼくから言えることは、貴女が神であったこと。そして、貴女はもうここにはいないということ。

2000〜2010年代というとぼくの印象では、「ナンバーワンじゃなくてもいいよ」とか「きみならできるんだ、どんなことも」というような、皆に等しく愛を与えようとした結果、個を失い平坦になっていった時代の象徴のような頃だと思っている。そのカウンターとしてか現代の若者たちは、そうやってゆとりを持たされて育っていった大人たちにむかって中指を立てて「うっせぇわ!」と叫んでいる。

そんな過ぎ去りし思い出の中でも、ぼくの心に強烈に残っているのが「メンヘラさん」たちの登場だった。
Twitterにて、生きているのがつらい、誰も愛してくれないと、負の感情を惜しげもなく拡散する彼ら、彼女ら。今でこそそんな人たちは少なくなっているが、あの頃はそういった、ある種の病理、ムーブメントとして世の中に蔓延っていたように感じる。そんな鬱々とした中で、ひときわ目を惹くアカウントがあった。
そのアカウントの画像欄には、名前もよく分からない薬がおびただしいほどの量で机上に散乱していたり、自らの腕をカミソリか何かで傷つけて血を流している、いわゆるリストカットの写真なんかが収められていた。
ぼくはそんな未知のものに対して恐怖すると同時に、得体の知れない高揚感に似たなにかが足先から登ってきているのを感じた。すぐさまアカウント名を確認する。
そこには、「メンヘラ神」と書かれていた。
その日から彼女は、ぼくのミューズとなった。

彼女は他のメンヘラさんたちとは違った。
僕は、私はこんなにもダメだ、いっそ消えてなくなりたいと自分を卑下するだけの人が多数な一方で、彼女はそんな精神不安定な自分を面白おかしく(あえて、だったのかもしれないが)語っていた。
彼女のブログも見に行っていたし、彼女が文章を寄稿した同人誌もよく読み返している。頭のいい大学に通っているだけあってか、140文字では到底収まりきっていなかった想いの丈が綴られており、人に読みすすませる力をそこから確かに感じた。
彼女が書いた文章を読むたびに、落ち込んだり喜んだり悲しんだり、ぼくのなかで湧き上がる感情の起伏が楽しかったのだ。(少なからず思い出補正がかかっていることを了承願いたい。)
そうやっていくうちに、気がつけばぼくは彼女の発言をコンテンツのひとつとして、メンヘラ芸として消費するようになってしまっていた。先に書いたように、彼女自身も面白く読める私小説のようにつづってはいたものの、そんな風に思ってしまった自分が憎い。

「みなさま、よき倫理を!」
彼女はそう言って突然に姿を消した。
それから一週間もたたない頃だったか、テレビに映るニュースキャスターが神妙な面持ちで語るのを偶然見かけた。女子大生が元カレからの自殺教唆で命を絶った、と悲痛さを帯びた声色で話していた。
やっぱり彼女は、僕の思ったとおり他のメンヘラさんたちとは違ったようだ。
死にたい死にたいと嘯きながら行動に移せないのがぼくたち人間だと思っていたのに、彼女はそれをいとも簡単に乗り越えて、高く高く舞っていったのだ。
だから「どうして?」よりも、「ああ、そっか。」と、妙に納得してしまったのを今でも覚えている。なんとなくだが、いつかはそうなってしまうと思っていたからだ。

もうあれから8年も経ち、当時の彼女の年齢なんてとうに越えてしまった。
ただの一般人の死に、いつまで縋っているのかと思われるのも無理はないと思う。
しかし、あの頃の青かったぼくにとって彼女の言葉の一つ一つがキラキラしていて、ぼくを知らない世界へと連れて行ってくれる魔法のようだったのだ。
結局、貴女の方が先にぼくの知らない世界にいってしまったのだけれど。
人生に絶望して自ら命を絶ったのにも関わらず、今もこうしてネットの中で、誰かの心の中で生き続けてしまっていることを、彼女はどう思っているのだろうか?答えは誰にも分からないのに、ふとしたときに考えてしまう。
誰かに忘れられない限り、貴女はこうして生き続けてしまう。それはもしかしたら、貴女にとっては煉獄に等しいかもしれない。だけどぼくは、あの11月の少し肌寒くて、ゆっくりと時間が流れていたあの日をきっと忘れないし、忘れられないと思う。
貴女が永遠になったことを、とてもうれしいと感じてしまったのだから。

叶うなら一度だけでも、貴女とお話がしてみたかった。だけどきっと、いざ貴女を目の前にしてその生にふれてしまったとしても、ぼくはきちんとお話ができないと思う。実在が曖昧なままでよかったような気もする。
このこころに刺さってしまった棘は、ぼくの身体が朽ち果てるそのときまで、一生抜けることはないのだとそう感じている。

それではみなさま、よき倫理を。

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