NF1とチャーリー

NF-1(神経線維腫症1型)と生活するチャーリーさん。 大人になってから自分の病気を知った。それがなかなかつらかった。

NF1とチャーリー

NF-1(神経線維腫症1型)と生活するチャーリーさん。 大人になってから自分の病気を知った。それがなかなかつらかった。

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チャーリーさんと初note

こんにちは。お疲れ様です。 今日はどんな1日でしたか。 3回も書いたけど、いまさら自己紹介を。 なまえチャーリー これは、あだな 性別はないしょ 年齢もないしょ でもどっかでポロりする。 独身。 メンタルげきよわ。メレンゲのメンタル。 ちなみに頭もげきよわ。  チャーリー『さん』は自分自身を第三者目線で書いていくこともあるから。 自分自身をちゃんづけして呼んでる子、そんなかんじ。 家族とってもかんわいらしい〜ワンコを2頭飼っている。なつっこくておりこうさん。 ふたりとも

    • レックリングハウゼンとチャーリー

      『やめます』 校長室で学校を辞めるむねをつたえた。 そこまでになるまで気がつかなかったのかをきかれたからすべてを話した。 でもただの不満にならないように最初は『休職がほしいのですが今休んだらまださらに何を言われるのかわからない』と、何かを言われてるように伝えた。 校長、副校長に主事のシゲヲと主任のべーさんのやりとりを全て話した。いまではパワハラ主張できるんだけど、 『20代の分際で』って言われた言葉を思い出してそれも伝えた。ささいなことも伝えたし、もっと頑張ろうとしろと言われ

      • レックリングハウゼン

        以前、内科で言われていた『リンパ節炎』と診断された首のできもの。 これもしっかりうつっていた。 リンパ節炎ではなくてこれがレックリングハウゼンによるものだった。 しこりだけは残ったままの意味もわかったし、画像で見せられたものにはそこらじゅうに白い水玉模様だったのも理解できた。 腕や首にできていた治らない虫刺されだと思っていた腫れもすべてこのレックリングハウゼンのものだった。 ウチダ先生から言われた『ぜんぶ腫瘍』って言葉は強く残って顔の中や首の中にあるこの水玉は全て表面化する

        • レックリングハウゼンを知る

          レックリングハウゼン 医者から出されたこの呪文みたいな言葉。 はじめてきいた。 『このカフェ・オ・レ斑はうまれつきのものだよね』 造影剤での写真には頭部胸部などに様々なまっしろの斑点が散りばめられていてむしろ白い斑点だらけだった。 『これ、ぜんぶ腫瘍になるんだけどね、まだ皮膚の上にはきてないみたい。とりあえず脳血管はどうしようか。まだ若いし今後死ぬまで薬なんてつらいだろうから』 そう言ってくれてレックリングハウゼンについてはよくおぼえていない。 脳血管の心配も全て消え去っ

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        チャーリーさんと初note

          大動脈と神経線維腫症

          午前の仕事を終えて翌日年休を使い、大きな病院へ検査に行った。 血液検査、身体測定、造影剤検査。なんだかんだで半日かかった。 このとき親がいてくれたが、どのようにして伝えたかは全く覚えていない。 なによりうちのマミー(母)は腹が減ると超絶不機嫌になるタイプでイライラされたのは覚えてる。だけど付き添ってくれたことには感謝している。イライラむきだされたけどね。 検査結果を聞きに主治医のもとへ。 脳血管の説明を聞かされた。血管が膨れ上がりピンボールのような腫瘍、イモムシから脱皮するん

          大動脈と神経線維腫症

          脳血管解離性大動脈瘤が見つかるまで④

          翌朝、登校してそのまま主事のもとへ。 学校では主事とよばれる人間がいる。 校長>副校長>教頭>主事>学年主任>学級主任 とまぁ、こんな形なんだけど、ミニミニ教頭的な存在なのが『主事』にあたる。 これは小学部、中学部、高等部と、3学部にそれぞれに存在する。 ワシの当時の主事の名前はシゲヲ。 こいつはとんでもないおぼっちまんくんで、階級差別者。なんなら性差別もあるようなウンコマンなのだ。 体育系の人はこわくて意見や批判ができない。 悪口はこれくらいに。 その主事と学年主任にもう

          脳血管解離性大動脈瘤が見つかるまで④

          脳血管解離性大動脈瘤が見つかるまで③

          そんなわけでMRIをとることにわけでね。鈍器で後頭部を殴られたような痛みがあるワシにとっては頭部MRIってのは拷問だった。 30分動いては行けず、さらにトンカチで頭を30間カチカチトントン、なんかの棒でゴーーーーンと鐘を鳴らすように響き渡る。 頭だけヘビーロック うぐゃぅぁーあーー ってなって時間が来て、 検査の報告を聞くと 『うん、なんかあるね。ちょっと危険かもしれないから造影剤検査をしましょう』 MRIの映像では血管がイモムシのようにぼこっとふくれてうねった血管が。 『ど

          脳血管解離性大動脈瘤が見つかるまで③

          脳血管解離性大動脈瘤がみつかるまで②

          階段が上れなくなって、ぱくぱくして、なんとかその日は気で頑張ったんだけど、その日内科で『急いで大きな病院へ行ってください。くも膜下の可能性がある』といわれた。 は?? 頭はまっしろで紹介状を渡された。 しかしその頃業務が忙しく、任された仕事が大きなものだった。 困ったことに休めないのだ。 当時公務員だったので『有給』ではなく『有休』。この有休をつかってある程度の業務をしたら有休2時間使いますという形で大きな病院へ。 しかし残念だからCT検査ではなにもなく、薬だけが渡された

          脳血管解離性大動脈瘤がみつかるまで②

          脳血管解離性大動脈瘤がみつかるまで

          頭が痛い頭が痛いこんな日が続いた。 朝起きて立ち上がって歩き出した瞬間、仕事中、お風呂上がりなど。スポンジの上を歩くような感覚に襲われて吐き気を催す。 1番しんどかったのは、仕事中にトンカチで後頭部をぶん殴られたような衝撃が走ってゲロゲロに吐いた。 当時は任された仕事も多く、同僚上司もキツく相談がしづらく耐えていたんだけど、自分の仕事を休むわけにはいかないと思って頑張っていたら、限界がきた。 階段を上っていた途中に次の足がでなくなってしまった。残りの数段が上らなくて片足が上の

          脳血管解離性大動脈瘤がみつかるまで

          じわじわと始まり

          NF-1(神経線維腫症1型)を知ったのは社会人になって5年経った27歳のとき。 大学時代から首や腕に蚊に刺されたようなふくれがぽちぽちとあったけど、そこまで気にしなかった。 旅行先から帰る時に首が激痛すぎて気持ち悪かった。寝違えったんだろうと言い聞かせたが何日立っても熱がさがらないし吐き気が続いた。 内科の先生に首を触られ『リンパ節炎かな?それよりもこれはうまれつき?』とカフェ・オ・レ斑を指された。ふーんというような顔でその時は処方された薬だけ。 リンパ節炎と診断された首は、

          じわじわと始まり

          初の投稿

          元、教員のチャーリー。 こんにちは。 時系列はバラバラだけど、元気なうちにいろんなことを書いていかなくちゃとおもって。 あといろんな情報もほしいです。こんな第1回目の初投稿。