怒られた、傷ついた。しかし、それが刃物であるとは限らない
私は、いま大好きなひとがいっぱいいます。
家族、仲間、お世話になってる人、ルームメイト。
その中でも、心の中にいつも居る人がいます。
その方とは、なかなか会うことができません。
電話をするのも、なんだかな、という気持ちがあります。
物理的にも距離があり、もう3ヶ月以上は会ってませんでした。
ある時、本気で怒られてから、
わたしがビビって近づけないうちに、
遠くに行ってしまった方です。
しかし、この人の声を聞くだけで、
会えるというだけで、
心からとても喜び、頑張れる、
そんな存在でした。
最近、とある研修を受けて、
愛と感謝を、真に受けとめました。
以前、その大好きな方から怒り口調で色々言われたのを思い出し、気がついた…
「あれは、わたしの為に言ってくれていたのか」
怒ることは、貴方を傷つけることなんだろうか?
根拠のない怒りは刃物でしょう。
冷たいひとは、世の中のどこにでもいます。
しかし、心から怒ってくれた人は、
私のことを真に理解していた人です。
その怒りは、愛だったことに気づきました。
研修を通し、自分が果たして何を与えていたのかを知り、感謝を伝えるために電話しました。
あらかじめ、何時に電話する、ということ伝えてから、
電話を鳴らしました。
いっぱい感謝と、気づきを伝えました。
懺悔や自分が怠らなかったということを伝えたわけではありません。
コミットを伝え、これからどう在り続けるのかを伝えました。
穏やかな声で、「僕にできることなら何でも言ってね」と言ってくれました。
なんと暖かい人なんでしょう。
相手を傷つけることも、自分で自分を傷つけていたことも全て理解できたときに、
怒ってくれた人がくれたのは、愛であることに気づけるかもしれませんね。