「待て、しかして希望せよ」
この言葉は『モンテ・クリスト伯』のラストに出てくる有名な言葉です。最近図書館で借りて読んでいたのですが、だいたいのストーリーは知っていたものの、ラストには感動しました。特にこの言葉。
人間の叡智はすべて次の言葉に尽きる
attendre et espérer(待て、しかして希望せよ)
直訳したら「待て、そして、希望しなさい」という意味の初級単語しか出てこない簡単なフランス語です。こんな簡単な単語でこんな胸に刺さる言葉ができるとは。
待つという動詞は主語が私であっても、私は何も動作しない。動作主は他の誰かで、私は「している」ようで「していない」。私は、どのくらい待つのか知ることはできないし、それをコントロールすることもできない。でも、何もしないしできないのに、私は待っている、という能動的な様態でもある、他の動詞と異なる不思議な動詞だ、という文章をどこかで読んだことがあります。
考えてみたらコロナ禍で何もしない毎日が続くようで、私は「待つ」ということをしているんですね。あとどのくらい続くか分からないし、それをコントロールすることもできません。この一年くらいひたすら待っています。でも何もしない日々のようでも、能動的に「待つ」ということをしているのですね。あとどのくらいなのか分かりませんが、ここはやっぱり「待つ」しかありません。モンテ・クリスト伯が言うように、待って、それでも絶望せず、希望しなければいけないのです。
多くの人生の困難が訪れた時に、確かに、やるべきことはこの言葉に尽きるのかもしれないなと思いました。その困難下ではじっと動かず、待って、それでも明日を信じること。子育てもそうかもしれませんね。子育てを始めて以来、大した仕事もせずにひたすら子を見守り成長を待っていたら、10年経ちました。あっという間のようですが、長く苦しくもありました。まだ終わってませんけど。
コロナ禍の毎日、まだまだ終りの見える状況ではありませんが、モンテ・クリスト伯がマルセイユのイフ島に閉じ込められた年月を思えば短いもの。しっかり待って、そして、希望せよ。