【読書感想文】『小山田圭吾炎上の「嘘」』中原一歩
非難された者の哀れな末路、よりも非難された者側からの視点から何が起きたのかを知る事はわりと興味がある。
フィクションでもノンフィクションでもそういう視点のものが好きだ。
と、いうのと当時のバッシングには違和感もあったので読んでみました。
『小山田圭吾炎上の嘘 東京五輪騒動の知られざる真相』中原一歩
当時感じた違和感は、いじめというものを叫弾してる割に炎上自体が集団リンチだよなという事とか色々あった。
(いじめ考察に関しては長くなるんでまた別の機会に)
本の内容は主に別視点の問題で。
この件に関してはまず盛大に燃えた理由としては五輪やコロナ禍の時代背景とか様々な要因も絡んでくるんだけど
メディアはいじめがあった事実関係を一切確認、検証していないし証言もない
雑誌インタビュー記事の情報のみ
当事者の証言もなかったし、当時は誰もそこを追わなかった
というところが最重要かなと。
騒ぎにはなったけど事実関係の検証はされていないって事ですな。
この著者は特別彼のファンでもなんでもないようだけど、3年かけて調査し証言を集めて検証した。
炎上した当時、マスコミはどこもやらなかった事だそうです。
本人の証言や現場にいて目撃していた同級生達を探し出して証言を得たり、当時のインタビューの様子や背景などを深く聞き取り調査したりなど色々な角度から検証していて、そこをフラットな気持ちで受け入れて読めば例の炎上の元となったインタビュー記事の印象はかなり変わる。
小山田圭吾本人の証言を「深く」聞いている事、はかなり重要だと思った。
まず一番に、最低限やるべき事だったのでは?と。
そもそも炎上の元になったのは誰かが例の記事を引用して非難した、たった140文字以内の匿名アカウントによるX(当時はTwitter)の投稿。
(現在そのアカウントは閉鎖されているらしい)
それが拡散されて大炎上し、その後「記事は事実と違う部分もある」と本人の弁明もあったけれど、「おもしろおかしく色々と話してしまった」などという一文などから火に油を注ぐように世間からは一蹴されている。
(ちなみに歯切れは悪いがその記事が出た当時からあちこちで弁明はしていたようだ)
「もし実際こんな事をしていなくても、いじめをおもしろおかしく語る時点でアウト」
などと。
しかし、そこから想像するその光景は実際起きたものと相違はないのだろうか?
物事は何だって多面的で複雑な背景が絡んで起きてるのに、そもそも簡潔な説明で正確に伝わるはずがない。
簡潔な説明は物事の全体像を伝えるには向かない。
そういう意味でも私は何時間もかけて数百ページの「本を読む」は大事だと思ってる。
長い文章の方が多面性を伝えるのに向いている。
(話は戻って)
本人や現場にいた同級生の話を読む限り100%潔白、ではない。
炎上のイメージからはかなり印象は変わるけれど、100%偽造の記事ってわけではない。
しかしあの中で特に酷い内容の部分に関しては(事実ならば)やってない。
別の人間がやった事も自分がやったかのような感じで書かれている。
でも、やってる部分もある。
だからこそ簡潔に説明ができない。
そこが弁明の歯切れの悪さに繋がるのかなと。
まあ、調子に乗って色々喋りすぎてしまった、というのは落ち度ではあるのだろう。背景は色々あるにせよ。
でも本当ならあの記事のまとめ方の方が悪質ではある。
そのあたりを色々差し引いて考えても、数百万とも言われる人達から非難されて家族まで巻き込まれて仕事を失い殺害予告までされてしまうほどの許されない罪なのか?と言われたら、この世の9割くらいの人が断罪に値するんじゃね?という感じ。
私だって相当だわ。
24歳なんてクッソ未熟だったし大体昭和の小中学生なんてクソガキだらけだし、よく怒られてたわ
誰もがみんなバラされたら炎上案件な過去を抱えて生きてるものだ。
怖い怖い(動揺)
子供の頃に間違えなかった奴なんかいるものか。
(まあ細かい部分は知りたい人は読んで各々で考えて欲しい)
(私のことは聞かないでくれ)
「雑誌のインタビュー記事、というものは本人の語ったありのままを誠実に伝える媒体なのかどうか」
そもそもメディアやネット情報の信憑性を自分自身がどう見ているかも重要だなと。
考えさせられるのは、当時のその世界の風潮もある。
雑誌というのは売れなきゃ意味がない、というのもあるし。
上下関係や、当時まだ未熟な若者でもあったり、周りが持ち上げた事など
背景を知る事はかなり重要かなと思う。
自分にあてはめて想像してみるけど、周りの大人たちが持ち上げる中20代の自分がそんな毅然と完璧なオトナな態度なんか取れねーわ。うん。
メジャーデビューして20代で表紙を飾る、なんて業績をあの時代背景の中で上げた経験はないけど想像すると悪い想像しかつかない笑
(過去の自分を振り返りだんだん自虐的になってゆく私)
ちなみに原稿の確認は本人はできなかったようです。
それはロッキンオン側のポリシーだったらしい。ロッキンオンに限らず新聞でも雑誌でもよくある事だと思う。
(私も新聞のインタビューを受けた時、原稿確認を断られたことがある)
事実と違うことを書かれるという苦情は多々聞かれる。
ま、そういう世界だなと。書き手の主観にもよったりするし。
そんなわけで、「要約はうまく伝わらない」のはこの感想文も同じなので、興味がある人は読んで見て欲しい。
というよりも興味はなくても当時批判をした人は読んでみて欲しい。
最後まで読んでみて感じた事はあるけど、結局のところ真相は部外者の私には当然分からない。
私の受けた印象があるだけだ。
ただ、なんにせよ「深く知る」ことは叩くより前に必要なことかなと。
レビューを見ると「所詮小山田サイドからの証言でしかなく信憑性はない。」という意見もある。
じゃ、あの記事には信憑性がある根拠は?とは思うけど笑
彼を非難した多くの人たちの大半はそもそも「検証されていない」事にすら気づいてない人が大半なのではと思う。
しかし、数百万ともいわれる人間が寄ってたかって彼を非難、攻撃した。
熱狂しすぎて擁護なんて許されない勢いだった。
今日も似たような芸能人への正義の誹謗中傷を見かける。
相変わらず背景も見えない検証もされてないような事だ。
擁護なんてしようものなら火の粉が飛んできて燃え移りそうな勢いだ。
今日も今日とて相変わらずだ。
しかしまあ、追い詰められて死んだ人も沢山居るのにそんな事はすぐに忘れてしまうのだろうか。
この私刑断罪の風潮はなくならない。
正義感は誘惑に弱い。
ゲス情報は正義感ホイホイだ。
時にはその性質を利用されることもきっと多いだろう。
反射的に、一瞬で憎しみが掻き立てられて意識に刷り込まれる
しかし、もしかしたら冤罪かもしれない。
攻撃されたことを苦に命を絶ってしまうかもしれない
でも、誰も裁かれない。
数百万分の1の声ならば罪の意識も数百万分の1なのか。
騒ぎが収まると関心は薄れ、次のターゲットに牙を向ける。
メディアは言いっぱなしだ。
そして世間は忘れる。
しかし当事者の現実は続く。
まあ、一切の声を上げるな、っては言いたくない
時には必要でもある。
匙加減が、扱いが本当に難しい。
私も場合によっては自信ない。
無関心の方が無害かもしれないけど「黙る」のが一番正しいとも言えないし。
結局いつもそうだけど、こういう方向のものを読んでるのだって自戒だし、未熟だから学びたい。
立ち止まって考える訓練をしたい。
インターネットのコミュニケーションの歴史はとても浅い。
人類全体がまだまだ過渡期にいるのだろう。
今は幼稚園児くらいのレベルなのかもしれない。
自分の行動だって矛盾だらけだし(そもそも矛盾するのが人間だし)失敗しながら、それでも自分の中の落とし所を見つけながら考えていきたい。
その途中で失敗した時に炎上とかしなかったらいいなあ笑