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8月6日

今日は広島の原爆忌。

例年通り黙祷と、近所の神社にもお詣りに。


8月は広島、長崎、終戦の日と色々重なるけど、自分は広島の被爆3世なので毎年代表してこの日にまとめて発信してますが。


二年半前のロシアのウクライナ侵攻の時に感じた違和感から、戦争の事を勉強し始めて、それを意識するのは8月と言わず年中になった。


父が広島出身なのだけど、広島に血縁が居るということは本当に恵まれていると思う。

やっぱり意識が違うように思うし、親族が詳しいので知る機会がある。
私が中学の時に亡くなった祖父も戦争や原爆体験の手記を残している。


それでもまだまだ足りなかったと思うし、見えていない事があまりに多すぎて今でも足りないと思うけど。


以前は厳粛な気持ちでこの日を迎えていたけど、最近はもう心穏やかではない。


特に今年は広島の平和記念式典のイスラエルの招待。そしてパレスチナは国家として承認されてないから招待しない、と。
(長崎はイスラエルを断りパレスチナを招待したそうだ)


ちょっと何を言ってるのかがわからない。


今現在、イスラエル軍による住民の大半が14歳以下の子供というガザ地区での虐殺が続いている。
塀に囲まれ、逃げ場のないガザ地区で行われているのはハマスではなく大半が子供たちへの虐殺だ。


天井のない監獄、ではなく絶滅収容所となっている。


昨日も避難所となってる学校へ「ハマスの隠れ家で武器の製造をしている」と主張し、イスラエル軍は空爆をし少なくとも17人が亡くなっている。


学校や難民キャンプへの空爆が続き、沢山の子供達を含む住民達が亡くなっている


「民族浄化」


を狙っているならば子供達が大半の地域を狙うのは理にかなっているように思う。
本当に冗談じゃないけど。



世界はいつも見て見ぬ振り。
戦争も虐殺も災害も。


今年の広島だってアメリカに屈してますと言わんばかりの対応だと。
心から平和を願うならば長崎の対応が当然ではないか?
こんな時期にパレスチナを「国家じゃないから」として除外したのはあまりに許せない。
なんだそれ。


この世界は平和を願う人たちばかりではないという現実もある。

しかし犠牲になるのは平和を願う人たちが大半だ。



最近思うのは、戦争がなくならない限り、戦争や原爆で亡くなった人たちの魂が鎮まる事はないと思う。

この地球はきっと、どんどん人々の怨念が増えて呪われているのだろうと。


手を合わせて祈るだけで手軽に鎮まるわけないよな。

自分が同じ目に遭って死んだらふざけんなって思うよな、きっと。

死んだ事ないから分からないけどね。



しかし、悲惨な歴史や現状を直視してみると、形だけの「人道支援」なんてものの現状を見ると、そんな事より停戦しろよ、政治的な解決に向けて動けよ、と思っているだろうなと。


亡くなった人たちも、今苦しむ人たちも。




核の被害を唯一受けた国、それが日本。

核攻撃をした唯一の国はアメリカ。


日本はいつもアメリカに屈した動きをする。
せめて、流されたくない。
戦争は上層部だけで起こしてるわけではない。
学ばずに流されることも責任だ。


病気になりそうなくらいに心が苦しくなるけれど

でも、原爆の日にまで見て見ぬふりはしたくない。

そんな世の中にはなって欲しくない。

痛みを伴うけど、関心を持って学ぶ事が私の「祈り」だ。



ちゃんと走り続けられるようにどこかで息抜きもしながらだけど、これからも生きているうちに出来ることを考えて行きたいと思います。


今在る大好きな世界でなるべく長く幸せに過ごしたいのでね。


ネガティブな内容になってしまいましたが、「関心を持つ事」で少しでも世の中が変わっていけたら、という所に希望を持ちたいと思います。

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