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安心できる場所には「ルール」がある

デンマークに留学している期間でもっとも多く聞き取れた言葉の一つが「ヒュッゲリ」つまり「心地よい」という言葉だった。日本で言えば、「楽しそう、楽しかった」というニュアンスに近いだろうか。最初はこの「ヒュッゲ」ということばに「(家族)団らん」というイメージを持っていたのだ。後になってそれはどうもヒュッゲの一つの形なのかなと思うようになった。デンマークから帰国する直前の頃である。ヒュッゲは自分が心地よいと思い、相手もそう思うような場なのだろうと考えるようになっていた。
心地よいと言うためには安心してその場にひたることができるということが必要だろう。緊張を解き、落ち着くところ、楽しむところ、そう思えることが重要だ。そこでは自分と他人が同じルールを守っているという安心感がベースにある。その場にいる人が何をしだすかわからない、何を言い出すかわからない、そんな雰囲気では自分は常に緊張し、防御の構えを取らねばならなくなる。相手を受け止める気持ちが起こらない、なぜなら相手も自分を受け止めないと思うからである。いやいや自分はそれでも受け止めようなどという、そのような余裕は生まれることはないだろう。これではまさにアンチ・ヒュッゲである。つまりお互いが相手に踏み込まず、受け止め合うというルールを守ると言うのがヒュッゲの前提にあると思うのである。
家族の間でも然り。家族は長く一緒にいて細かいこともいろいろわかっている間柄であり、踏み込んだり踏み込まれたりしやすいところだが、それゆえに不必要に踏み込んでしまってはヒュッゲではなくなってしまう。心の安心が双方に担保されないからである。近しい間柄でも互いに踏み込まず受け止めるというルールが守られることがヒュッゲであり安心できるのである。
このようなことを気づかせてくれたのはやはり、デンマークのように全くの他文化(異文化)の中で私が満足にコミュニケーションも取れず、話題もなかなか合わないなかで、生活を楽しむことができたことである。私は「お客さん」になりたくなかった。しかしそうなりがちな状況でもあった.したがって私は無防備に自分をさらけだして努力せざるを得なかった。それすらも十分にできないほどであったが。しかしヒュッゲの力は大きかった。受け止めてもらえるという安心感を他文化の中で味わうことができたのはとても貴重であった。
今振り返って思うが、ヒュッゲの重要性、その根底にあるルールはヤンテローに象徴されているのかもしれない。ヤンテローというのはデンマークの古い小説に出てくる十の戒律といったもので、デンマーク語の授業でも紹介されたが、否定的な文章ばかり10も並んでいる。現代の感性にはあまりマッチしないかもしれない。そしてその内容は要するに自分を特別な人間だと思うなということが書いてある。これは「分をわきまえてへりくだれ」という意味ではなく、「自分が許されていることは相手も許されていることを忘れるな」という意味だ。だから自分をコントロールして安心できる場を作りなさいと言っている。
シンプルなルールが安心を作り、安心が信頼関係を築く。その道筋がすっきりとデンマークでは見えていたように思い出すのだ.

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