途切れてなければつながっているーー日々の尊厳
数学という学問は面白い。が、時に変わっているなあと思わされることも多い。
途切れていなければつながっている、というのもそういう一つである。何を当たり前のことを言っているんだと思うかもしれないが、奥は深い。私はこれは数学として解釈しない方がいいのかもしれないと思っている。つまり
自分はどこをどうやっても世界とつながっているということである。自分と何か、なんでも良いのだが、それを思い浮かべた時、自分との間に何もないということがあるだろうか。
家の中のものは日常的に使うものとして全て自分とつながっている。いや、忘れられた空き箱が天井裏に埃をかぶってあるじゃないかと言っても、この家が私とそれとをつないでいる。同じ空の下と言ってしまえば、これはもう世界中といっぺんにつながってしまうではないか。
つながっているということは、何かしら互いに影響を及ぼしあうということだ。風が吹けば桶屋が儲かる。儲かるかもしれない。しかし桶屋ではなくて米屋が儲かるかもしれない。商社が儲かるかもしれない。なにしろつながっているのである。影響があるのである。
尊厳を守るとは、良い関係性を守るということでもある。好むと好まざるとにかかわらずつながっているのだから、そのつながりを大事に思い扱うことはつながっている先々に影響を与えるだろう。途切れなければつながっている。途切れることはないのである。