平等からくる信頼関係
デンマーク人はシャイだという。日本人もシャイな民族として有名だ。だから彼らは信頼関係を作るには時間がかかると言っていた。長い時間をかけて築き上げた信頼関係というものがあるらしい。また、ホイスコーレでは毎週のようにビールパーティが開かれて学生たちは相当に「飲む」。これもアルコールの力によって腹を割って話ができるということだろう。彼らは友達をつくるためのビールパーティだと言っていた。
しかしデンマークは国民が互いに信頼している、政治への信頼が厚いということでも有名だ。これはどういうことだろう。酒を飲んで築くような信頼関係ではなさそうだ。デンマーク滞在中に考え続けてたどり着いたのは「意見を受け止めあえる関係」という信頼関係だ。といってもわがままの言い放題の関係ではない。お互いに冷静で誠実な関係とでもいおうか。自由に自分の意見をぶつけ合う(述べ合う)ことはできるが、それは互いに良い・悪いの判断をせずに受け止められる。自分の価値観による判断をしないことが特徴だ。判断が生じるのはなにかの目的を共有したときにそれに対する意見を判断する場合だ。
そうは言っても当然「好き・嫌い」の感情は生まれるだろう。もし「嫌い」となったら、その人とは意見を言わないことになり信頼関係も作れないのではないか。確かにそういう場合もあるかもしれないが、どうも「嫌いな人」という距離感をうまくコントロールして、「嫌いだけど話せる」という距離をとるコツがいろいろあるようだ。
その一つが「判断しないこと」。これは無関心というのではない。そのまま受け止めて「あなたはそのように考えるのですね。」というのである。デンマーク語では”OK!"である。この”OK!"には悩まされた。何を言っても賛同してくれているように聞こえたからである。しかし実際には「ふーん、そうなんだ」程度の意味であった。
もう一つは「ヒュッゲ」である。リラックスした雰囲気を演出するのである。これがなかなか見事で、軽食やお菓子などを囲んで雑談のように話をする雰囲気である。対面であっても先の”OK!"など肯定的な受け止めの言葉を駆使して気持ちよく話の内容を引き出すのだ。
このようにして距離感をコントロールしながら自分の意見を臆せずに話すことができると、互いに「平等に扱われている」「平等に扱っている」という気持ちが醸成されてくる。これが国民の間にある信頼感ということではないかと思うようになった。
私が興味を持っているのは介護や介助の必要な生活の中での尊厳ということだ。人の手で助けてもらわないと生活できないという介護される人の思いと へりくだって尊厳を保とうとする介護する人の考えはどうも両立しにくい。どちらも大きなストレスを抱えてゆくことになりそうな気がする。ここにヒュッゲな関わりを工夫して作り、距離感の適度にある「付き合い」を通して信頼関係を築くことでお互いを友達のように感じることができ、双方が幸福感を得られる日常を送れるのではなかろうか。