一年経ったなあ
私は昨年11月からこのnoteを書き始めた。まずは継続を心がけて1年が過ぎた。もともと2年前のデンマーク留学でそれまでとは全く異なる文化の中に浸って生活したことで混乱した頭の中をどうにかして整理したいと思ったことが書き始めたきっかけであった。そして1年。整理できたかというと心もとないが、読み返してみるといくつか落ち着いてきたものもあることに気づく。日本人として消化し始めている、といったところだろうか。これからも日々の出来事をデンマークの経験に照らして考える日が続くだろう。当分は記事を書き続けなければならないだろう。
デンマークでは個人の幸福というのは自己決定に基づく、行動の結果を引き受けるという機会から生まれると考えられる。つまり行動しなければ幸福になれないと言っている。しかもその行動は自分で考え、決めなければならない。いや、日本でもそんなことは日常茶飯事で、自分で決めて行動しているじゃないか、と思うのだが、ちょっとニュアンスに違いがあるようだ。確かに毎日さまざまな行動を決めて実行しているが、それらは与えられたものを選択していることが多いのではないか。「選択肢が多いほうが良い」とはよく聞く言葉だしその通りだと思うが、その選択肢は誰かが考えたものではないのか。与えられた選択肢は安心して選ぶことができる、そのような日常に私はすっかり馴染んでいる。どれを食べようか、どれを買おうか、どれを、、、ということだ。選ぶ自由はあるが、なにか足りない。本当に自分は考えているのだろうか。
自分が何か選択肢を考えたとしよう。気候変動は大変な問題だから、CO2を減らすように自転車を買って晴れた日は通勤に自転車を使おうと。それはしかし、「違う」といわれてしまうかもしれない。本当はCO2を減らすことにはならないという意見が出てくるかもしれない。「そんなことも知らないのか」と言われるかもしれない。それ、自分の考えは不十分だから専門家やテレビ番組で進めている「選択肢」の中から選んだほうが良いだろうと考えがちだ。とても怖くて自分だけで考えたことは実行することができない。どうもそんな流れが多い。
ところで話は変わるが、私は最近体内の血液の量が減ったのかどうかわからないが、食事の後によくうたた寝をする。気絶していると言ってもいい。消化のために胃腸に血を回したら脳に回る分がなくなっているといったところだ。子供の頃は「食べてすぐ寝ると牛になる」と言われて育ったが、そういえば私は丑年だ。なるほど。そういうことか。まあそれはいいとして、今日も夕食後にうたた寝をする前の少しの間、インターネットのTED xを見ていたら、面白い話をしている人がいた。心地よい環境から出るための行動は怖いと感じるが、見た目ほど怖くないものだ、という内容だった。たとえば、バンジージャンプは傍目からは怖く見えるが飛んで見れば怖さを感じなかったといった話だった。心地よい環境とは日頃の考え方のクセだと考えれば、自分で考えた選択肢を選ぶのが怖いというのはこのことに近いと思った。
自分で考えた選択肢を選んで行動するというのはある意味ワクワクする。その結果を引き受けることもある意味ワクワクする。それがなぜかと考えると、おそらく与えられたものではなく、自分で作ったものだからだろう。自分を表現したからだろう。人生を紡ぐということなのだろう。もし与えられたものを選ぶだけで過ごしてしまうと、これは人生を消費しているということになってしまうような気がする。私は既に染み付いている「心地よい」考え方を容易に変えることはできない。しかし、なるべく自分が考えて決めているだろうかということを自問しながら過ごしたいと思ったことだった。
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