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懐かしい記憶 1

 いくつくらいだったかな?

 まだ私が幼くて可愛いかった?頃、私は父の会社の社宅に住んでいた
 仕事で忙しい両親と、歳が離れ学校へ行く姉や兄に取り残される私には、保育園からの帰宅後と土日祝日には毎日のように両親の友人の家という所謂別宅みたいな家があった
 2. 3軒のその家には私用の数枚の洋服と箸茶碗まであって、両親や兄姉がいなくても寂しいと思わなくていい様にふんわりと真綿で包まれたような、お姫様になったような気分を味あわせてもらっていたのを何故かよく覚えている
 何故そんな頃の記憶がハッキリしているのかというと、毎朝保育園に向かう私を待っているのか、その数軒の家のおばちゃん達が必ず顔を出し
   今日はうちに来るんだよ〜
   明日はおばちゃんとこだよ〜
 って嬉しそうに大きく手を振って見送られていたから
 そういえば、プリンのおばちゃんもいたな
 プリン作りがとっても上手なおばちゃんがいて、月に数回食べさせてもらっていたわ
 今思うと、その家々にだって大きくなっていたとはいえ子供らやご主人がいたはずなのによく迷惑がられなかったなぁ、一緒になって笑ってくれていたようなかすかな記憶,.感謝しかないです

 その後少し大人になってふとその頃を思い出し、母に聞いて知ったのだが、どの家も女の子が欲しかったらしいのだが、生まれたのはどの家も男の子ばかりだったり、女の子がいてもすっかり手の離れた状態で退屈していたところに思わぬ形でひょっこり私が生まれたことがタイミングもよくて、女の子ってだけで可愛いくて仕方なくて預からせて欲しい、と向こうから頼まれたらしいのだ
 今の時代ならおそらく無理な話しだが、当時はご近所さんとは助け合いが当たり前の時代
 母も働いていたからありがたかったらしくて、そこからお試し期間があり、私がいやがらなかった数軒に絞られた家に預けられていたんだって
 私ってば何様⁈

 でもホントにどのお家も居心地がよかったのは確かだ
 私も泣く喚くといったことがなくて、手のかからない子供だったらしいし、そんな日々は小学校に入学してしばらくまで続いたようだ
 大人になり、お邪魔しなくなってかなり久しくしてから、母と2人おばちゃんたちと会う機会が何度かあった
 そんな時おばちゃん達は口を揃えて
   毎回楽しみだったよ〜
   張り合いがあってね〜
   可愛くて何でもしてあげたくなってさ〜
   ありがとね〜
 ってあの頃と変わらぬ笑顔でぎゅっと手を握り締めながら言ってくれたっけ

   こちらこそありがとうだよ
   幸せな時間をたくさんくれて
   私だけが味わえたものだよ

 最後のお一人が亡くなった知らせをうけて今思う
 私の懐かしくてしあわせな記憶はずっとこの胸の中に息づいている、と

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