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論語に学ぶ生き方⑧

こんにちは。しいらと申します。
今回も論語から、うわ、かっこいい!と思わずうなるような言葉を紹介したいと思います。


1.子貢、君子を問う。

子曰く、先ず其の言を行い、而(しか)る後に之に従う。


現代語訳は、こちら。
子貢が君子とはどのような人かと問いかけた。
先生がおっしゃるには「人の上に立つ人はまず行為にあらわし、そのあとから言葉にする人」だという。

有言実行、という四字熟語の類語に「不言実行」があります。余計なことを言わずに、実践することを指す言葉です。

口に出したことをしっかりやり遂げる人も立派ですが、不平や不満を口に出さず、やるべきことを黙々とやれる人もまた素晴らしいです。元々、有言実行も不言実行をもじって作られた言葉なのだとか。

現在私、論語についての本は2冊目に入ったのですが、本によって論語をどのように解釈するのか、色々と著者の考えがあって面白いです。例えば今回の言葉であれば、2通りの解釈ができるそう。

①黙ってやることをやってからそれについて話す
②とりあえず行動に移して、言葉で考えるのはそれからにする

①は、経験したこともない話をしたところで説得力などない。やってこそ言葉に重みが備わるというものだ、という解釈。
例えば育児をしたことのない人が、今まさに育児で大変な思いをしている親御さんに「もっとこうすればいいのに」とお説教をしても、イマイチ説得力に欠けます。

情報がごった返しになっているネット上では「思ったことを急いで書き込まなければ」という焦りを感じている人がいたりします。気持ちはわかるのですが、私としては「語るは知性、語らぬは品性」という言葉も大事にしたいと思います。

②は、これをやるのは果たしてどうだろうか、とやる前からウンウン悩んで様子見をしてしまうのもよろしくない、という解釈。経験していないことについて語れる言葉などないのだから、とりあえずやってしまえ、と背中を思い切り突き飛ばすような考え方ですね。

特に新しいことを始めるとき、尻込みする人は多いと思います。私もそうですし。
人間、失敗したらどうしようとか考えすぎてしまったり、とにかく失敗が怖いと感じてしまうのも無理はありません。後先考えず突っ込んでしまうのが絶対的に正義!と思う人は少ないでしょう。

いきなり突っ込んで、何かあったらどうするんだ。まずはしっかり様子見して、イメージを固めてからにすべきだ!
……と、じっくり考えている間に「やっぱやめとこ。」と最初に感じていたエネルギーがぷすんと抜けてしまうことも。やってする後悔はだんだん小さくなりますが、やらなかった後悔はだんだん大きくなるもの。行動の前に、あれこれ不安や理屈をごねごねと言葉でこね回し、やらない理由をこしらえるのはナンセンスなのですね。

2.解釈の仕方と自分の考え方


論語はそもそも短い漢文ですから、現代語訳はあっても解釈の仕方は微妙に変化するようです。そして著者によっては「この言葉は素晴らしい、皆もこの教えに従うべきだ」と絶賛していたり「いや、これはちょっと言い過ぎだから、ほどほどの解釈で受け取りたいですね」とゆるやかな反論があったりして、なるほど昔の偉人の言葉だからと鵜呑みにすることはないのだなと、楽しみながら読むことができます。

テレビのニュースで流れた情報を鵜呑みにしないように、ネットに書かれているバズった情報をそのまま受け取らないように。
偉人の名文だって、自分に合わなければ飲み込む必要はないのです。むしろ、自分には合わない、とか自分ならこういう考えが良い、といった風に“得た知識に対し、自分で考える力”をつけることの方が、論語の読み方として正しいのだと感じます。

今回こちらの言葉を紹介したかったのは、著者の解釈の言葉が本当に格好良かったからで、むしろこちらを紹介したいなと感じたからです。

「正しさはつねに目標でなければならないが、かならずしも出発点である必要はない。」

読んだとき、思わず「うーわ、かっこいい!」と唸りながら、noteにさっさと書く準備を始めました(笑)。良い読み物を読んだ先で、著者の解釈のような“刺さる”言葉でまとめられると、読んでいて本当に心地がいいです。
論語を「国語の教科書にある難しそうなやつ」という認識で食わず嫌いするのは本当に勿体ないと思います。まあ、自分のことなんですけれど。

正しくあろうとする心は大事です。けれど、正しいから始める・正しくなさそうだからやめとく、とできるほど、物事が単純だとは限りません。仕事を始める前に、自分に向いているかどうかの確認はできませんし、よかれと思ってやったことでも結果がそぐわないことだってあります。それこそ、やってみなきゃわからないことの方が多いでしょう。

であれば、とりあえず挑戦してみる。間違っていたら、その時点で踏みとどまれば良い。「正しいから始める」は、目指したいところではありますが、スタート地点に必ず用意しなければならないことではないのですね。

座右の銘にしたいなと思ったり、こういうことを適切なタイミングで人に話せたら良いなあ、なんて思いながら手帳にしばしばメモをしたりするのですが、どうにも頭からすっぽ抜けてしまいがちです。知識として得たことを、己の血肉にすべく、繰り返し反芻したいと思います。このnoteはその一歩ですね。

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