【連載小説】青い志願兵 #4

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第一章

犬子イサオ

 客はいつでも大歓迎さぁ。アタシは客が好きだから。たぶん人が好きだから。それが商売人ってもんだ。客はさらなる客と金を呼び寄せてくれるもんなんだから。李さんと飲んでたこの申さんって男は信用できる。アタシの直感は当たるんだ。よく当たるんだ。だから今晩はいい夜だ。儲けもんの出会い。儲けた日はいい日だからなぁ。

『狭くて臭い部屋だけどねぇ。今のところはこれで我慢してもらわなくちゃぁね。心配しなくてもええよ。酷い匂いだが毒じゃないよ。ただのシンナーさぁ。』

 申さんが鼻と口を押さえている。朝鮮人ってのは貧乏になるべく生まれてくるのかもしれない。そういう運命なのかもしれない。少なくともこの朝鮮人長屋に住んでる朝鮮人たちはみな貧乏さぁ。食うのもやっとって家族もいるからねぇ。アタシは上手くやってる方なのさ。商売が調子のよかった日は今晩みたいに酒にありつけるわけだからねぇ。

『この朝鮮部落では靴作りの内職で食い扶持稼いでる朝鮮人が多いのさぁ。だから長屋中シンナー臭いのさ。ま、そのうち慣れるさ。気にしないことだねぇ。』

 劣悪な環境だが致し方ないよねぇ。ほかに行く場所もないんだから。ほかに稼ぐ手立てもないんだから。

『すまんな。泊めてもらって。礼を言うぜ。』

『なに、気にするなって。朝鮮人同士、助け合おうじゃないかい。それにアタシらは相棒だからねぇ。さっそく明日から元気に商売してもらうつもりだからさぁ。今日はゆっくり休みなよぉ。』

 人助けは好きさぁ。劉さんの影響だろうねぇ。いつでも困った人を助けようとする人だったから。今晩はいい夜だよ。商売の相棒が見つかって、人助けもできて。

『その助け合いってのも、劉さんの教えかい?』

『そうだねぇ、うん、そうだよ。劉さんだよぉ。』

『そうかい、よっぽどお人よしだったんだろうな。で?その大恩人の劉さんは今はどこで何してるんだい?』

『劉さんはここにいるよ。いつでもアタシの傍にいるのさぁ。』


『この写真は、お前のオモニかい?』

 申さんがちゃぶ台の上の写真を見つめてるじゃないか。優しい目をしてるじゃないかい。朝鮮人の息子たちってのはオンマ(母ちゃん)に懐くもんだからね。そういうふうにできてるのさぁ。

『ああ、アタシのオンマさぁ。故郷に残してきたんだ。日本語も話せないしねぇ、こっちに呼んでも苦労するだけだろうからさぁ。』

 それに、こっちに呼びたくてもどこにいるのかどころか生きているのか死んでるのかさえ知らないからねぇ。終戦後に満州から一旦は釜山まで戻ったがねぇ、結局オンマの待つ京城には帰らなかった。帰れなかったんだ。だって友達が京城に行ったら逮捕されるって言うんだからさぁ。満州に戻るわけにもいかなかったし、日本に逃げてくるしかなかったからねぇ。日本への密入国も簡単じゃなかったね。まったくねぇ、運がなかったよ。政治には関心なかったがねぇ、商売のために政治団体なんかに加入したのが間違いだったよぉ。分かってるんだ、アタシは親不孝者だよ。オンマ、元気にやってるといいねぇ。

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