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生きる価値について、とやかく言われる筋合いはない、とモンモンとしていた時に出会った本。荒井裕樹著【まとまらない言葉を生きる】

昨日の自分の記事を読み返して
またやっちゃったな、って反省しました。

私はいつからか
やまゆり事件があったからか
人の生きる価値について
誰かにとやかく言われる筋合いも
誰かをとやかく言う筋合いもないって
強く強く思っています。

なのに昨日の記事では
あたかもダウン症の方達の魅力が
誰かを笑顔にしている。
ダウン症でも役に立っている。
だからいなくなって欲しくない、という
私が否定している考え方になっていました。
生きている事への意味づけに
利用しようとしていました。

おこがましい。

役に立とうが立つまいが
【生】について
とやかく言うな。
By 夏井千春

この気持ちがとても丁寧に言語化されていたのがこの本。
荒井裕樹著
【まとまらない言葉を生きる】
以下、本文より一部抜粋しています。

「生きる意味」は言葉になんてできない

私自身、「自分が生きる意味」について、心の中で思い悩んだり、大切な人と語り合ったりすることがあります。自分の生きがいについて、誰かに知って欲しくて、その思いを発信することもあります。
しかし、私が「生きる意味」について、第三者から説明を求められる筋合いはありませんし、社会に対してそれを論証しなければならない義務も負っていません。
もしも、私が「自分の生きる意味」について論証しようとして、うまく論証できなかったとしたら、私には「生きる意味」がないということになるのでしょうか。そんな理不尽な論証を求められたとしたら、私はそれを暴力と認識します。
また逆に、もしも合理的で論理的な説明が可能だとしたら、誰かの「生きる意味」を否定してもよいのでしょうか。だとしたら、私はそんな合理性も理性も身につけたくありません。
~本文より

※私の中でここでの価値と意味は同意語です。

私の昨日の過ちが
スキポチして下さった方へ
伝わりますように…。

今日も最期まで読んで下さって
ありがとうございました。






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