絵心なくてもクリエイティブに生きるぞ
子どもの頃、図工の時間が嫌いだった。
だってそもそも絵を描きましょうと言われてテーマを決められても何も思い浮かばない。
ようやく頭に思い浮かぶイメージが見つかったとしても絵で表現することができない。
絵心はゼロ。
保育園の年少ぐらいまでは絵を描くこと自体は好きだったはず。
だけど、割と早い段階で絵のうまい友だちと比べて自分のセンスがないことに気付いてしまっていたので、年中ぐらいには自分の興味は文字を書くことの方にシフトしていた。
今でもよく覚えている。
保育園の年中のクラスで、お絵描きの時間によくわからないミミズのような字を書きまくってドヤ顔をしていた自分を。
保育園の頃は自然と自分の苦手を避けて、好きなこととか得意な方にもっていくことができたが、小学校になるとそうもいかない。
図工の時間と決められたら、自分のセンスのなさにがっかりしながらもとりあえず絵を描き作品を仕上げないといけない。
自分のできないことと向き合うようで、そんな時間がちょっぴり苦痛だった。
大人になって図工や美術の時間がなくなって、絵を描くという行為は長らく遠ざかっていた。
しかし、子育てをしていると絵を描く必要に迫られる時がやってくるのだ。
そう。
「〇〇描いて」と子どもが期待を込めて純真無垢なキラキラした眼差しを向けてくる、絵心ない母にとっては残酷なお絵描きタイムだ。
息子は最近トイストーリーにハマっている。
特にバズライトイヤーがお気に入りだ。
「バズ描いて。ウッディも。レックスも。みーんな描いて。」と紙を差し出してくる可愛い我が子。
頭の中の記憶を呼び起こしイメージを総動員して息子を喜ばせたい一心で描いていく。
「できた!」
できあがりの紙を手にした息子の瞳からは輝きが失われていた…。
「ナンカチガウ。」
これではいかん!
息子のキラキラした瞳の輝きを取り戻さなくては!
絵で喜ばすことはできないけれど、何か自分の作品で子どもを喜ばせたい。
図工が好きじゃなかった私もこんな気持ちになるんだということに少し驚いた。
この気持ちの原点はどこにあるんだろう。
思い返せば、図工の時間全てが嫌いだった訳ではなかったのだ。
ワクワクできる出会いをしたのは高学年の時。リボンや可愛い包装紙、布、雑誌の切り抜き、いろんなものを自由に使って、自分の好きな世界を表現するというテーマの授業があった。
自分の画力を気にせず作品作りに没頭できたし、できあがった作品も自分の中では大満足の出来だった。
「自分の絵だけで勝負しなければ、私だって人並みに可愛い作品が作れるんだ!」
そんな感覚を知れたおかげで、私は創作活動の全てを嫌いにならずにすんだ。
あの時の先生には感謝だ。
絵は苦手だけどモノづくりは好きというマインドは残っていた。
頭の中のイメージをカタチにするのは絵だけじゃない、工夫次第でいろんなものをつくりだせるんだということを息子にも感じてほしい。
それから母はいっぱい考えた。
そして頭の中のイメージをカタチにすべく、スキマ時間に少しずつ作り続けた。
それから3日後。
完成したものを息子に渡した。
バズライトイヤーの変身グッズだ。
(服はハロウィンの時に楽天で買ったもの)
これには息子も大喜び🙌✨
家の中で遊び倒してくれている。
これをつけながら「無限の彼方へ さあ 行くぞー」と満面の笑みを浮かべソファからジャンプする姿はたまらなく可愛い。
すでにあちこちボロボロだけど、手直ししながらもうしばらくは遊んでくれそうだ。
何よりも私自身つくるのがとっても楽しかった♪
翼を収納する仕組みを考えたり、腕のところがパカっと閉じたり開いたりできるように磁石をくっつけたり。
いろんな工夫を自分なりに考え、それがカタチになっていくのは嬉しい。
自分は全然クリエイティブな人間ではないと思っていたけどそうではなかったのかもしれない。
いや、むしろ好きだ。
絵心なくてもクリエイティブさは発揮できると思い出した良い機会になった。
これから少しずつ息子もできることが増えていく。そうしたら、息子のアイディアも加わってますます楽しいものをつくれそうだ。
息子に絵心があるかどうかはまだわからないけど、絵を描くのが楽しいとかモノづくりは楽しいと感じてもらいたい。
そして小学生になった息子には図工の時間を心から楽しんでもらえるように今のうちからいろんなタネを蒔いておきたい。
日常のなかにちょっとずつクリエイティブを取り入れて楽しく生きていこう。