ある日の自分観察日記⑦ 恋に落ちると石橋を叩き壊したくなる?
「今回の恋は、自分から終わらせることにした」
前々から恋愛の愚痴をよく零していたA子は、
私のところに来るなり、そう言って涙を流した。
さて、なんと声を掛けよう?
「何があったの?」と尋ねたいのは山々。
しかし、何があったのかを知ってしまった時、
果たして私は彼女の心を支えられるだろうか?
それはある意味、自己保身。
尋ねる勇気が出せない。
そこで躊躇いつつ、別の問いを用意した。
「A子自身は、それで後悔しないの?」
彼女は答えた。
「自分でもわからない。だけど、彼を
どんどん好きになる自分が怖くなったの」
それを聴いて、「ああ、なるほど」
と納得した。
恋の石橋を叩き壊したくなったのね……
私も昔、そんな経験あった。
私にはもう、この人しかいない…
あなたしか見えない…
そう思ってしまうような大恋愛が訪れると、
「一回平常心に戻らなければ」と、
もう一人の自分が忠告してくるんだよね。
それで、A子は自ら別れる選択をしたのか……。
そこでふと、思い出した。
私を母親のような愛情で包んでくれた、
大学時代の恩師からの「恋のアドバイス」を。
「人とのご縁は水の流れと同じ。
どんなご縁も、この先どこに向かって流れていくのか、
淡々と眺めていけばいいのよ」
それはつまり、
「白か黒か」「0か100か」
と一時の感情で極端な判断に走るのではなく、
一回立ち止まって深呼吸し、俯瞰し、
別の角度からの視野を広げるということ。
恋に落ちると、人は視野が狭くなる。
特に、大恋愛と呼ばれるものは
人の視野を極端に狭くする。
「それではいけない」と、もう一人の冷静な自分が
頭のどこかで、恋に落ちかけている自分に呼びかける。
この時、悩んだ果てに
「絶縁か継続か」などと極端な二者択一で答えを出すと、
どちらの選択肢をマークしても自分の心の中で消化不良を起こし、
後々「不正解だったのではないか…」と苦しむことになる。
だから、そこにもう一つだけでも、
グレーな選択肢を用意しておかないといけない。
たとえば、
「相手と少し距離を置く」
という選択肢。
A子が心から納得して愛する彼との別れを決断したのなら、
おそらく私の前で涙を流すことはなかっただろうし、
「これでいいのかわからない」ではなく、
「○○だからこれでいい」と自分の選択に自信を持てたはず。
ただ、私だって過去、A子と同じような選択をして後悔したわけで……
だから恩師は、優しく諭してくださった。
「ご縁という名の水の流れを、淡々と眺めましょう」と。
全身真っ黒コゲになるほどの大恋愛ってとても素敵だけど、
その分心身のエネルギーを激しく消耗する。
だから、その恋の走行速度が上がる自分が怖くなったら、
木陰のベンチで休憩する、という中途半端な決断も必要。
そう、「完全リセット」ではなく、
「一時休憩」。
その休憩中にほかの誰かを好きになるかもしれないし、
自然とヨリが戻るかもしれない。
いずれにせよ、水の流れを無理にせき止めたり、溢れさせるような
ことをする必要はない。
◆◆◆◆◆
「落花流水」
私はこの言葉が好きだ。
いくつかの意味があるけれど、
「相思相愛」という概念も含まれる。
男性が一人の女性に直向きな愛を捧げる時、
女性側もやがてその男性の熱い愛に応えたいという想いが芽生え、
互いに同じだけの愛を傾け合うようになる。
水の上に落ちた花が離れることなく、そのまま共に海に向かって流れていくように……
私はこの四字熟語を思い出しながら、A子に語った。
「あなたが彼を嫌いになる理由が見つからないのなら、
無理にリセットボタン押さなくていいよ。
保留ボタンでいいんだよ」
それは、私自身に言い聞かせる言葉でもあった。
A子は少し緊張が解けたように、軽く微笑みながら
「うん」と頷いた。
私の気持ちも少し、明るくなった。
A子の幸せを心から願う一日だった。
本日の記事は以上です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございましたm(__)m