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水泳教室に通った物語(幼稚園時代の習い事)エピソード1

スイミングスクールに通い始めた背景

私が、スイミング教室に習い事として通い出したのは、物心がつく頃より少し後の4-5歳ぐらいの時だったと思います。

その年齢では、まだ自分が何をしてみたい・・という意志とか判断が少ないので、
なぜ始めたのか?も全く覚えていません。

おそらく親が「水泳ぐらいは心身を鍛えるために良い習い事だろう」ぐらいの教育で始めた可能性があります。

もう一つの可能性は、私には3つ年上の兄がいて水泳スクールに通っていたので、その流れでスイミングを始めたのでしょう。

始めたばかりの頃は、形を覚えるのに精一杯で、「自分に水泳の能力があるかどうか?」なんて事は当然考えません。

ただ身をまかすように、毎週水泳教室に通っていました。

小学校に入ってからその後、水泳教室に通った記憶はないので、2年から3年間の期間、続けていたのは確かです。

記憶を引っ張り出せる限り、忠実にストーリーを再現していきます。

電車でGO!昭和リアル版(幼稚園児が隣の駅まで一人旅)

当時私は、4歳か5歳でしたが、街(市)にはスイミングクラブがなく、隣の市まで電車で通っていました。

最初は母が付き添って一緒に通っていましたが、途中から一人で向かうようになりました。

多分、母親は付き添う事と時間と労力を浪費するのが面倒になったか、一人でできるという判断だったのでしょう。

11枚綴りの子供用の割引回数券を握らされて、切符を使って改札口の使い方を知り、電車に乗り、一駅先で降りて、そこからの道順を覚えました。

外の景色が見るのが好きな子供だったので、いつもドアの近くで立ち、移り行く景色と変わりゆく季節の変化を感じ取っていました。

振り返って思う事は、「行きたくない」という心境には、一度も起きなかったという点です。

これは、私が子供の時から意志が強かったとか、オリンピック選手を目指していた(笑)という話ではなく、

思考回路や性格が単純すぎて「何も感じていない状態の子供」だったと客観的に判断するしかありません。

設定された「水泳教室」に向かうことが、生活のパターンとして当たり前の事として受け止めて、その曜日、その時間になれば、準備をして向かう。

当たり前の行動が「最強の習慣化」としてに完成されていたのです。

ひとつ隣の駅からスイミングスクールまでの道のり

隣の駅から、水泳教室までは歩いて10分ぐらいの場所でした。

最初は、母に教えてもらった道順通りに通っていましたが、途中から冒険心が出て、寄り道をしたり、脇道を使うようになりました。

新しい道を歩くというのは、新しい発見があります。

ですので、決められた事以外の方法を模索することや、こういった遊び心は大人になっても大切と思っています。

水泳教室が終わってから、寄り道をした場所

・低価格路線、最低級のスーパー
・駄菓子屋

水泳教室に通い始めて1年ぐらい経つと、慣れが出てきて、帰りに寄り道をするようになります。

駄菓子屋に関していうと、駅まで帰るルートとは外れており、探索して発見し時々通っていました。

当時、毎週か毎月100円ぐらいお小遣いをもらっていたので、貯めたお金かお年玉を切り崩して安いお菓子をスーパーで買うのが楽しみでした。

商品を買うのが恥ずかしいのですが、レジで自分の財布からお金を出して支払うという経験の中で一番古い記憶です。

もうひとつ記憶に残っているのが、
アンコとカスタードの2種類販売の元祖回転焼き店。

回転焼き店は、中身がぎっしり詰まって満足感大。
今のように、中身が少なく節約ケチ精神を感じる商品ではありません。

ただし、回転焼はこの年齢にしては値段が高いので、
母が一緒にいる時、時々のご褒美として買ってもらっていました。

なぜ、面倒な場所に行く習い事を続けられたのか?

スイミング教室に一年ぐらい通っていると、仲のいい友達ができます。

その友達と、一緒に帰ったり、駄菓子屋に寄ったりと、習い事を越えて「遊び」の要素が入ってきます。

ただ、子供なので「それが自然」ですし、
罪悪感みたいなものは1ミリもありません。

多分ですが、幼稚園に通っていた時期も考慮すると、
毎週土曜日の昼以降にスイミングレッスンを受けていた可能性が高いと思います。

終わる時間が、遅くても16時ぐらいでしょう。

ですので、水泳教室が終わり、習い事で作った良き友人たちと多少話したり…。

お菓子を買いに行っても、1時間ぐらいで切り上げて、日が暗く前には電車に乗って帰っていたと思います。

ちなみに、私の兄は水泳を少し嫌がっていた気がします。

運動神経は悪くないのですが、水泳が合っていなかったのかもしれません。

今振り返って感じるのは、私が水泳教室を続けられたのは、実はそこそこ水泳に対して能力があったのが理由の一つの思えます。

小学校6年の時でも、50メートルクロールで速い選手のベスト5に入っていました。確か記録は、40秒ちょっとがその時のベストタイム。

ですが、平然とした心で水泳教室に通い続けられた理由は、

組み込まれた設定イベントに何の迷いや躊躇もなく行動を起こせる「子供ながらの素直さ」と「その時の自分の性格」が大きかったのかもしれません。

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