見出し画像

貴方にとっての「ダーリン」は…Mrs.GREEN APPLE 18祭

18祭(フェス)は今回で8回目。
毎回興味深く観ている番組だけど、今回は大好きなMrs.GREEN APPLEが出演するということ、同世代の子どもがいることもあって、告知があってからずっと楽しみにしていた。

テーマは「本音」
誰にも言えない本当の気持ち。
私は本音は全て口に出せなくてもいいと思う。
あの人が嫌い、あれはしたくない、むかついた…全部口に出してたら、社会と調和しては生きていけない。

でも、私はむしろネガティブな本音こそ大事にしたいと思っている。
今では生きてきた年輪(厚かましさ)でコーティングされてる私だが、若かりし頃は本音が言えなかった。これを言ったら嫌われるんじゃないか、どんな反応が返ってくるだろう。相手の不機嫌は自分のせいじゃないかと悩むことも多かった。こんな事を考えてしまう私って…と思いがちだった。
でも、それを否定せずに「口に出さなきゃ何を思おうが自由だ」と考えられるようになったら楽になった。自分の中で持っておくべきもの、これは主張してみた方がいいもの分けて考える、そんな風に考えてみれるようになった。

今回テーマとして掲げた本音は、本当はこうなりたい、こうしたい、そんな自分との葛藤、先生・家族・友人に打ち明けられることの出来ない本当の自分、本当の気持ちを言えるようになりたい、そんな心の葛藤からくる気持ちを言葉にして、歌にして届けようというもの。

大森君は本音を、「誰かがいないと起こらない感情」と言っていた。
言えない対象、対になるものがあるから本音が存在するということだろうか。
その対象に感謝や畏敬の念を込めて、ダーリンと名付け、この曲は自分とダーリンと言う二人称の世界を歌ったのだと語っていた。

私はまず、歌詞全体を見た時に、表現がいつもよりストレートだと感じた。(これは作成時期が近いビターバカンスにも感じた)
例えば、この歌詞。

強がりが崩れる夜は
体丸めて 布団で小さくなってる

Mrs.GREEN APPLE「ダーリン」

これまでの作品はこれはどういう事なんだろうと聴き手に思わせるような、比喩や伏線を張るような歌詞も多いけれど、この曲はそのまま率直に苦悩や葛藤を述べているようにも見えて、18歳世代の本音を代弁するような表現に近づけたように感じた。

そして、気になったのはタイトルの「ダーリン」と二人称視点。
正直、ダーリン響きの甘さに違和感を感じてしまう自分もいたし、ダーリンなんて思える対象がないよなんて捻くれたことも思った。
一人称とは自分自身、二人称とは目の前の相手。
二人称語りの点が気になり歌詞を深掘りしたい気持ちになったので、すこし考えてみた。

あれこれ理由が欲しい ”私”だけ独りのような

Mrs.GREEN APPLE「ダーリン」

羨ましい ただ虚しい
嫌われたくもないけど 自分を好きで居たい

Mrs.GREEN APPLE「ダーリン」

「本音」の対義語が「建前」や「嘘」だとしたら、
自分に嘘をついて建前を本音だと思い込もうとすることがあるとしたら。
「自分の中で持て余している部分」「忌々しく思う自分の一部」、「自分についてるちっちゃな嘘」。
孤独、虚しさ、葛藤、嫉妬。
それって実は本音と対になる自分なんじゃないかな。そしたらそれをダーリンと呼べないかな。
そう思って愛しく思えたらいいのにな、なんて思えてきた。ダーリンとは自分自身、親愛なる自分なのではないか。
他者的、二人称的視点を持たせた「自分」…。

darling 僕の背中に乗って泳いでて
darling 私の腕の中で休んでて
darling 本当の音を聴いて

Mrs.GREEN APPLE「ダーリン」

肩を落とす友人や家族に「ダーリン」と語りかけて励ます様子を想像すると目の前のあなたとの二人称、先ほどの解釈で行けば自分ともう一つの自分に向けた二人称、とも取れないかな。
そうすると、いつもの大森ワールドにも帰結するような気がした。

割に合わない疵も
認めてあげようぜ
僕は僕自身を
愛してる 愛せてる

Mrs.GREEN APPLE「ライラック」

そして印象的な歌詞はここにもあって、

「誰かの私でありたかった」

Mrs.GREEN APPLE「ダーリン」

これはどういう意味なんだろう。大森君らしい表現である。そして、最後のフレーズ、

ねぇ 私の私で居てもいいの?
あの子にはなれないし なる必要も無いから

Mrs.GREEN APPLE「ダーリン」

「誰かの私」から「私の私」。

いい言葉が浮かばないけど「主体的に生きる」って感じだと思う、なんかイマイチ言葉に趣きがない。
ここも含みを持たせて、それぞれに考えてもらおうとしてるように思う。
「誰かが居なきゃ私も居ない。」ここに二人称視点があるのかも。
ミセスの歌詞は一つ一つがパズルのようで考えながらピースをはめて行く作業は、やっぱり楽しい。

そして、大森くんが「1人じゃないってこと証明しよう」と1000人の前で語っていた言葉と、それに応えようと、隣にいる仲間や身近な支えてくれる人を思って歌った1,000人の「本当の音」はとてつもないのエネルギーを放っていて、眩しかった。
この歌でまた多くの人が救われていくといいな。
彼らとそれを見た私たちのこれからが、幸多からんことを心から願った。


あくまでも私の感想で、それぞれいろいろな解釈があると思って読んでいただければ幸いです。
貴方はだれを、何を「ダーリン」と思って聴きますか?
私は、忌々しくて愛おしいもう一つの自分。

そんな目線で13日の再放送を聴いてみたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!