「こんちは八っあん。たまった家賃を払ってもらいにきたよ」
「家賃! いや大家さん。もう少し待っていただけませんか。来月になれば金の入るアテがありますんで」
「先月もそう言って逃げたじゃないか。ええ? 八っあん。あんたはちょっと金を持たせるとすぐに酒呑んじまうか、バクチに使ってすってんてんじゃないか。今度こそは払ってもらわないと」
「これには深い訳がありまして。あっしの稼いだ銭の金額と使う銭の金額がなぜか毎回ピタリと一致しておりまして、気が付けが財布の中はいつもスッカラカンな訳でして」
「何も深い訳じゃないよ。銭にだらしないだけじゃないか。今の稼ぎと出て行く銭が同額なら、何か新しい商売でも始めて家賃を払ってもらわないと出て行ってもらうことになるよ?」
「なら大家さん師匠になります。師匠になれば弟子が代わりに家賃を支払ってくれるんで」
「あんた何の師匠になるんだい?」
「何の師匠になれますかね?」
「呆れたね。何か人に教えて金になる芸は無いのかい?」
「あっしの芸と言えばげっぷの音の良さと、タダ酒にたかる時のおだて言葉くらいでして」
「そんなのは芸じゃないよ。しょうがないね、あたしも家賃が入らなけりゃ日干しになっちまう。よし、師匠屋を紹介してあげよう」
「何ですか? 大家さん? その師匠屋ってのは?」
「何も芸の無い人間でも手っ取り早く師匠に仕立て上げてくれる商売さ。紹介状を一筆書いてあげるから、これ持って行ってきな」
「へい、大家さんありがとうございます。じゃ、行ってきますわ」
 大家の紹介状を持った八っあんが歩いて日本橋にある師匠屋の店先まで行きました。羽振りの良い商売らしく、立派な店構えをして何人もの小僧が働いています。
「こんちは。ここが師匠屋かい?」
「いらっしゃい。確かにここが師匠屋ですよ」
「あっしはここの店宛に紹介状を書いてもらった八ってもんです。誰に紹介状を見せれば師匠になれるんで?」
「どれどれ? ああ、これは家の番頭宛ですな。番頭! 番頭に紹介状を持ったお客さんです」
「はいいらっしゃいませ。紹介状を拝見しますよ。ああ、浅草にある長屋の大家さんからの紹介かね。店先で立ち話も何だ。座敷に上がってもらってから話そうじゃないか。付いてきな」
「へい、番頭さん」
「さて、八っあん。八っあんは師匠とは人に何か教える事ができれば師匠とか思っていないかね?」
「違うんで? 大抵の師匠は弟子に何かしら教えますが?」
「単純に教えれば良いだけなら、寺子屋で読み書き算盤を教えている浪人の先生だって師匠さ。でも寺子屋の先生は師匠とは呼ばれない。生きていくのに必要な知識を教えているのに」
「そう言えばそうですね。先生と師匠は違うんですか?」
「違うのさ。よく私には師匠運が無いから良い師匠に巡り会わないって言う人がいるがそれは違うんだ。そういう人は何か芸を習うにしても、他の人が出来ることを自分も出来るようになるために行くんだ」
「それは悪い事なんで?」
「悪くはないがね。いいかい? みんなと同じになりたいなんて人間の前には師匠は決して現れない。私でないと駄目、替えがきかない人間になりたい人の前に師匠は現れるのさ」
「そういうもんですかねえ? おめでとうございます! 私こそがあんたの求める尊敬できる偉い師匠です。さあ、私の弟子になって私を尊敬しなさい! なんて言う師匠はいないんで?」
「いません。師匠と弟子の出会いとは恋愛の一目惚れみたいな、綺麗な勘違い、美しい誤解だね」
「美しい誤解?」
「この『師匠』の良いところは、たくさんいる『弟子』の中で私だけが知っている。私にしかわからないことだと思いこんでいるのが弟子だとは思わないかね?」
「なるほど。そう言う弟子は多そうですな」
「この師匠のところを『娘』弟子のところを『男』に言い換えてもらえば私の言いたいことはわかると思うんだが、どうだい?」
「なるほど! わかりやすい例え話ですな」
「あの師匠は最高! 我が一生の師匠です! というのは、恋愛におけるノロケと同じさ。逆に言えば弟子に勘違いさえさせれば、あんたのようなどうしようもないろくでなしでも師匠になれると言うことなんだよ」
「ろくでなしはともかく、弟子に勘違いさせるんですね。で、師匠屋さん、どうすればあっしの持ち芸であるげっぷの音の良さを弟子に勘違いさせられるんで?」
「げっぷの音じゃあ勘違いは起こせそうに無いね。隣にあるウナギ屋でウナギを捌く修行でもしてウナギの師匠になってみたらどうだい?」
「ようがす! じゃあ行ってきます」
 と師匠屋に紹介されたウナギ屋で修行を始めた八っあんですが、ヌルヌル逃げ回るウナギをまな板に固定しようとして、間違えて自分の手に釘を打ってしまって、それが嫌になって逃げ出しました。
「ああ畜生、痛ってえなあ。師匠になるってのはずいぶん痛いもんなんだなぁ。お、あそこを歩いているのは熊じゃないか。ちょうど良い、おーい! 熊!」
「誰かと思えば八じゃねえか。どうしたね?」
「良い話があるんだよ。お前、俺の弟子にならないか?」
「お前の弟子? なって何か良いことがあるのか?」
「あるさね。今弟子になれば俺の代わりに長屋の家賃を納め放題さ」
「アホらしい。昨日の酒が残っているのか? 顔洗って出直しな」
 熊さんに断られた八っあんは腹が減ってきたので近くにあった一膳飯屋に入りました。
「こんちわ。飯と汁を一人前くれないかね」
「あいよ、すぐにお持ちしますわ」
「もう来たよ。いいね、飯が早く出てくるってのは。お? 何だ! この漬け物の美味さは? この漬け物一切れでどんぶり飯一杯は食べられるよ」
「美味いでしょう? うちの女房が漬けたもんでさ」
「へえー、こんな美味い漬け物を漬ける技を教われば家で漬け物食べ放題じゃねえか」
 美味い漬け物の味に釣られた八っあんは、そのまま一膳飯屋の女房に弟子入りして漬け物の漬け方を習い始めました。習う方に熱意があったせいかすぐに漬け方のコツを飲み込んだ八っあんは、漬け物屋を始めて漬け物を高級な料亭や武家の台所に売り込んで大儲けをいたしました。
「毎度ありがとうございます。へへっ、今日も俺の漬け物はよく売れるな。まあ、こんだけ美味ければ売れるのは当たり前か」
「すいません、ここが八っあんの漬け物を漬けているお店ですか?」
「ハイ、そうですよ。いらっしゃいませ」
「あなたが漬け物の名人ですか。私、あなたの漬けた漬け物の味に惚れ込んだ者でして、是非とも弟子になりたくてここに来た次第でして」
「弟子? こんな美味い漬け物を漬けるやり方を他の奴に教えたら、客がそっちに流れてしまうじゃないか。儲けを独り占めできなくなる。帰ってくんな! 俺は弟子は取らねえんだよ!」  
 

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