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幸せな結婚生活から一転、地獄に突き落とされた話パート7(最終回)
前回までのあらすじ
私は熱烈な恋愛の末、ナオミ(仮名)という女性と結婚しました。
私が30代前半のときです。
新築のマンションを35年ローンで購入。
2人の子供にも恵まれ順風満帆な人生を歩んでいました。しかしその後、妻がマンションのローンを半年も滞納していたことが発覚。危機感を募らせた私はダブルワークを決意。平日の仕事に加え、土日はアルバイトを始めました。そんな中、妻が消費者金融数社から借金をしていたことがわかりました。その額なんと250万。私は今まで経験したことのない不安感に襲われました。
しかし私は気を取り直し動き始めます。弁護士に相談し任意整理という形で借金を圧縮。2500万で買ったマンションは1500万で売却。その後、引っ越しまでたどりつき、一息ついた矢先のことです。倦怠感やダルさが続いたことから心療内科を受診。そこでうつ病と診断されます。仕事を続けるのが困難となり休職。そこで私は傷病手当を申請。これで当面の生活に必要なお金を確保。そんなある日、妻に男がいることが判明。私は離婚を決意しました。
実家に戻る
妻に男がいた。
正直ショックでした。
しかしこの事実が離婚へ大きく舵をとる出来事になったことは間違いありません。
うつ病の状態はよくなる気配は全くありませんでした。
そこで私はいったん家を出ることにしました。
自分の実家に戻ったのです。
離婚するにあたり私は色々なことを考えました。
離婚しても当面の間は傷病手当金で妻と子供たちのフォローはできる。
しかし傷病手当金が終わったあとどうするか。
私が社会復帰できているという保証はどこにもありません。
生活保護
そこで考えたのが生活保護です。
実は下の娘は心臓に大きな疾患を持って生まれてきました。
その為、何度も大きな手術をしました。
正直妻が働きに出るのは難しいと考えました。
となるとしばらくはこの国の制度を利用させてもらうしかないのではないか。
そのような結論に達したのです。
私はこれを妻に相談し了解してもらいました。
数ヶ月後、妻との離婚が成立。
子供たちの親権は妻が持つことになりました。
妻の心境
妻にもかなりのストレスがかかっていたことと思います。
2人の子供を出産。
ふたりとも病弱であったことで夜中に何度も救急車を呼びました。
仕事人間であった私は家庭のことは妻に任せっきり。
私に言いたいことは山ほどあったはずです。
それをせず妻は心の中にモヤモヤをためたまま日々を過ごしていたのでしょう。
早いうちにそれに気づき、彼女としっかりコミュニケーションを取っていればこのような結末にならずに済んだのかもしれません。
あれだけラブラブだった2人なのに。
こんな結末になってしまうとは。
誰が予想できたでしょう。
再出発
実家へ戻った私は相変わらず部屋に閉じこもる生活を続けていました。
休職中だった会社は傷病手当が無くなってしばらくしてから辞めました。
戻る気力が全くわかなかったからです。
実家にいることで張りつめていた緊張感のようなものから解き放たれたのは事実です。
かなり気は楽になりました。
ここから少しずつではありますが回復しようという意志が芽生えてきました。
家族も私に対して色々とフォローしてくれました。
特に母にはお世話になりました。
その甲斐もあり徐々にではありますが回復の兆しが見えてきたのです。
そしてうつ病を発症してから約2年。
私は社会復帰を目指し再び動き出したのでした。
おわり。
最後まで読んでいただきありがとうございました。