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自動車教習所と私

自動車教習所と私の相性はすこぶる悪い。

誤解のないように書いておくが、自動車教習所のせいではない。どちらかというと私が彼らと相性が悪いと勝手に思っている、のほうが正解に近いだろう。このnoteは、自動車教習所を2日でやめた人間のちょっとしたお話と、それに関してウジウジと一人で思っていることを解放させるものである。すでに免許を取られている人には、こんなことでやめたのかと思われるかもしれないが、私には重大な出来事だったので、そこはご理解いただきたい。



自己紹介記事にも書いたように、現在私は田舎で大学生をしている。ここで暮らすには、多くの人が想像がつくように、公共交通機関は不便の極みであるため、車、最低でも免許は持っていたほうがQOLは確実に上がるだろう。加えて、取っておいて損はないということで、私は自然と自動車教習所に通い始めた。しかし、教習所に通うにあたって問題がいくつかあった。

1.高校の校則

私の高校は比較的進学する生徒が多かったため、校則では卒業するまでは自動車教習所に通ってはいけないと定められていた。内緒で通い始める生徒も少なからずいるのだろうが、当時私は学級委員をしていたし、ある程度先生方からの信頼も得ていただろう。また、私は大学進学にあたって校長先生から推薦状をいただいていたため、この校則についてはきちんと最後まで守り抜いた。しかしこれがあだとなった。大学は地元ではないことからその年の4月には引越しをする予定だった。すなわち、一か月もない中で免許を取らなければならなかったのだ。父親のつてで初日から技能教習を入れてもらい、ほぼ知識と心の準備が皆無のまま、車に乗り込んだ。

2.立地

2つ目の問題は、教習所の立地だった。よくある話として、つらい教習所生活を乗り越えるためには仲間がいるとよいという話があるが、私が通った例の父親のつてがある教習所は、隣町にあった。地元の教習所なら、少し離れた高校に進学をしていたりしても中学の友人と出会えるが、私はそのどちらもなかった。一方で、周りは全員お互いに顔見知りのような状態。誰彼構わず友達を作ろうとか、ましてやすでに完成されているコミュニティに割って入るような性格でもないので、おそらく通い続けたとしても友達と呼べる人はほとんどできなかったと思う。

3.性格・適性上の問題

教習所に入校したらまず、適性検査を受けると思うが、そこで私は適応力、判断力が少し低いと診断された。私はもともと、心の準備ができていない中で環境が変わったり、急な変化が発生するとストレスを受けやすい体質だ。また、物事の手順を一気に説明されてその場ですぐにやってみなさいと言われると頭がフリーズし、説明をほとんど思い出せなくなる。それもあり、車に乗り込む前の車体点検?をするところからエンジンをかけるまでの手順で早速つまずいた。教官に違う、と言われればさらに訳が分からなくなる。ブレーキとアクセルが左右それぞれどちらだったのかもわからなくなる。それなのに、道路が詰まるといけないから車体を進めなければいけない。他のみんなはすでに仮免試験が終わっていて、すいすい走っていく。たぶん私は邪魔者になっている。一度負の思考が始まったら抜け出せなかった。


2日目、技能教習が終わり、母の迎えの車に乗り込んだ途端、涙が止まらくなった。別に教官はいたってごく普通の指導をしてくださったのであり、怒鳴られたわけでもない。悲しくもなかった。しかし、涙は溢れ続けた。

両親はそんな私の姿を見てとても驚いていた。特に父親は運転がとても上手なので、自分の子どもである私も問題なく免許をとれると考えていたと思う。

前述したように、涙が止まらなくなった原因は悲しみではない。しかし、教習所をやめた後に、少し悲しかったのは、この話をしても誰も共感できる人がいなかったこと、そしてこの私の一連の出来事はただの気の迷いだと思っているような言葉が多く見受けられたことだ。いつかまた通えるよ。トラウマにならないうちにもう一回挑戦しないとね。正直もう初日の時点で無理だった。しばらくは車、運転席を見ただけでパニックになったし、今でも寝る前やふとした時に情景が思い出されて、眠れなくなったり、涙が出たりする。たぶん、次に私が教習所に通うのは、車の免許を取らなければ死ぬ、そんなときぐらいだろう。


こんなことを言っていたって、教習所で必死に予定を立ててくださった父の知り合いの方、そして何より入校金を払ってくれた両親に心底申し訳ないと思っている。本当にごめんなさい。

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