「いつか富士山登ってみたいんだよね」
「いつか富士山登ってみたいんだよね」
「えーじゃあ一緒に行こうよ」
父と学生時代そんな話をしていた。
あれから数年経ち、富士山登頂を決行。
帰ってきてから、
父と富士山行ってきたんですよ〜と職場の先輩方に報告すると
「ああそれは親孝行だね、お父さんきっと嬉しかったでしょう」と言われ。
とはいえ、娘のわたしからしてみると、父が嬉しがっていたとはあまり思えなかった。
誘った時も、「まあそういうなら一緒に行ってやるか」的な雰囲気だったし。
登頂後解散するときも「お互い怪我しなくてよかった、じゃ、明日仕事がんばれ。」って感じだったし。
ただ、その後、父不在の実家に帰って母と話した時のこと。
母「お父さんやっぱ嬉しかったみたいよ〜。」
「富士山登る前からYouTubeで登頂動画見て予習してたみたいだし。」
「家帰ってきてから写真いっぱい見せびらかしてたし。」
「おじいちゃんおばあちゃんの家にまで行って、写真見せてたし。」
……父よ、なぜその喜んでる姿をわたしに見せないのか。
わたしのツンデレは父譲りらしい。
父の中の走馬灯で、あーあのとき娘と富士山登ったなあ、と一瞬でも思い出してくれたら嬉しい。
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日の出は過去何度も見ているが、富士山山頂での御来光はおどろおどろしいものだった。
他を寄せ付けない孤高と畏怖。
凡そ人が立ち入ってはいけないような、立ち入ることを自然が拒んでいるような空間に、おびただしい数の人が御来光を待っている景色は、なんとも言われぬ異様さだった。