「チ。 ―地球の運動について―」という知の運動について
アニメ10話の感想
「チ。 ―地球の運動について―」
歴史考証やかなり現代視点からのフィクショナルな記述で物議を醸している。(特に中世キリスト教社会への偏見的描写など)
しかし、個人的には、全巻を読み終わった結果「いい作品」だと評価しています。
最終巻では、そこらへんの読者の批判への応答含めて、この作品は諸々とうまく終わっていました。
ま、それはそれでいいとして、アニメ10話の話。
ついに、神父バデーニにより「地動説」が完成します。
キリスト教神学を基礎付けるための「天動説」パラダイムでしたが、観測データとの整合性が取れないという大きな問題点、科学的モデルとしての「美しくなさ」
つまり「神の所業と思えない」という点において大きな矛盾を孕んでいました。
しかし、バデー二という架空の神父によって太陽を中心とする楕円軌道モデルでついに観測データが完全に説明でき、「完成」をします。
「神の意志」をバデーニは人類史上(中世キリスト教社会史上)初めて「理解」した人間になったわけです。
あまりの衝撃と感動にバデーニは「嘔吐」してしまいます。
しかし、バデーニはもちろんこの物語、歴史上の架空の人物であり、コペルニクス以前の「名もなき人」です。
また、傲慢で知的成果を独占しようとするため、ついに彼の名も論文も研究資料も、一切は歴史に残りません。
そして、残ったのは召使い的な立場にある字も読めなかった低階層民・教養のかけらもないオクジーというキャラの私的な叙述文だけになるのですが・・・やがて後世その文章をめぐってさらなる権力闘争が行われる。
ここに歴史や人間の神秘というものを感じることができます。
完成した理論は残らずに、その本質である「地球は動いている」というアイデアだけが残るのである。
タイトルは「地球の回転について」です。
最終的にはそれすらも残らず、コペルニクスにはなんの影響も与えないわけですが。
さて、史実ではコペルニクスは「天球の回転について」を記しますが、社会への影響と自身への身の危険を恐れて刊行を最後まで躊躇し、刊行した直後に寿命で死にます。
この書物が発端となり、古代ローマ崩壊後、キリスト教が支配した西洋社会の1500年以上続いたパラダイムが崩壊。
ガリレイやニュートンなどによる「科学革命」が起こるわけですが、歴史とはこういうものなのかもしれません。
テーマは科学史のように見せかけて、実際、やはりというか「生き方」の問題を実に巧妙に扱っていて、とてもいい作品だと思いました。
科学という営みはなんなのか。
それは人類にとって、市井の民間人にとってなんなのか。
「真理」とは?
「知」とは?
そういった深いテーマ性を持った作品でした