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姉の治療
新快速で西へ向かっている。わたしは苛立っている。どうしてもっと早くに気づけなかったのかと。
そう言えば最近母からの連絡が途絶えていた。わたしは五十歳。夫と二人で暮らしている。子どもは二人とも一人立ちしている。母は昔から欠かさず毎晩わたしの元へ電話をかけてきていた。仲が良いわけではない。逆である。わたしが電話に出るとまず怒鳴る。メールでも叱責。LINEにもいやみ。忙しいから連絡がないことを意識していなかった。
昨夜突然、幼なじみからLINEが届いた。わたしが暮らしていた家、今では母と姉が暮らしている家からおかしなニオイがする、と。さらには、病院の人たちにも似てるけど、雰囲気が怪しげな白い服を着た男女が、このひとつきほど実家へ出入りしていると。
おかしなニオイ
雰囲気が怪しげな白い服を着た男女
わたしは幼なじみに「有り難う」とスタンプを送った。いやな予感。不吉な予感。昔どこかで耳にした信じられない事件……そんなものが心の底から湧き上がって来る。そんな記憶や感情が自分の心、或いは脳のどこに保存されていたのかが不気味に感じられる。
母へLINE。すぐに既読が付かないのはいつものこと。姉へLINE。この人も日ごろスマートフォンを持ち歩く習慣のない人である。眠る直前まで幾度も確認したが、二人とも、わたしが送信したメッセージを読んでいないようであった。
夜中もよく眠れなかった。目覚める度にLINEを開く。二人とも既読は付いていない。
「そんなんで実家へ行って大丈夫か?」朝食のときに夫は、昨夜は何度も目を覚ましていたねと言った。「ついて行こうか?」
「でも仕事があるじゃない」
「それなら君だって同じじゃないか」
「だって自分の家族のことだし確証があるわけでもないから……ちゃんと連絡するし」
弱々しい苦笑いをしていたであろう。でも夫は微笑んでうなずいた。
母は横暴な人だった。姉は従順な人だった。わたしだけが反抗していた。父はわたしが中学生のときに家を出て行った。母はさらに横暴になった。わたしの制服のスカート丈が短い、前髪が伸びて来たから切ってやる。わたしはいちいち拒絶する。なのに成績は姉よりもいい。母は、
「あんたは要領がいいからカンニングでもしてるんでしょ」とわたしを蔑み、「あなたはいい子。努力をしていることを知っているのはわたしだけじゃないわ。神さまもきっと見てくれている筈。いつか必ず報われるわ」
姉のことはいたわりねぎらう。
わたしは高校卒業後、実家を出た。家から通える距離の四年制大学へ進学したが、家から離れたかった。だけど、姉が母の言うままに短大へ進学したことが気がかりで、それ以上遠い場所へ逃げることができなかった。
わたしは結局その土地で就職し結婚した。姉は短大を出たあと働きに出ず、花嫁修業と称して母と二人で暮らしていた。何度も見合いをしたが……上手く行っていればこんなふうにはなってはいなかったろう。
姉の様子が変わって来たのは十年ほど前のことである。当時わたしの家では子どもたちが大学生、高校生と、共にお金のかかる時期だった。夫もわたしも残業代が欲しくて進んで会社に居残っていた。子どもたちが殆どの家事を引き受けてくれたので助かった。この頃も母からは毎晩LINEが来ていたが、ときどき姉からもメッセージが来るようになった。始めは、みんなが元気にしているかと。次に、こういう食べものを摂ったらなんたらにいいらしいよという、テレビか何かの受け売りみたいな話。やがて、泊りがけでお母さんと一緒にセミナーを聴いてきたよ、今度一緒に行ってみようよ、という文面になった辺りから、わたしは姉へ返信をしなくなった。それでもときどき姉からのメッセージは届いていた。届く度に健康ヲタクの度合いは増していた。
その年の暮れに家族を連れて帰省した際、母と姉はわたしたち家族四人を畳の上へ正座させ、わたしたちの生活習慣の劣悪さが、わたしたちの精神へ及ぼす悪影響について並べ立てた。電子レンジもIHヒーターも飲酒喫煙もダメ。
「救われるためにこのジュースを飲みなさい」
と怒鳴り、一升瓶ほどの茶色い瓶を畳の上へどおんと置いた。一本三十万円。
「わたしたち、別に救われたくないから」
わたしは母と姉に言い捨て、夫たちの腕を引っ張ってその日のうちに自分たちの家へとんぼ帰りをした……。
それ以来初めての帰省、一人での帰省。
確かに異臭。腐臭に違いない。危惧していたとおり、動物性の何かが腐った臭い。
鼻をつまんで玄関のドアノブへ手を掛ける。あいている。中は靴で溢れている。白いスニーカーばかり。きちんと揃えられている。わたしの黒いパンプスを置く隙間すらない。パンプスを右手に提げて家上がり框に上がる。
玄関を入って左手、母がいつも使っている畳の部屋。見知らぬ男がそこから顔を出す。
「誰だ」
若い男の低い声。白い服を着ている。幼なじみが知らせてくれたのはコイツのことかと思う。
「ここの次女よ」
「今大事なときなんだ。邪魔をしないでくれ」
若い男を押しのけて、わたしは母の部屋に入る。
いつも母は部屋の中央に蒲団を敷いていた。そこを何人もの白い服を着た男女が囲んでいる。姉も同じ服を着てそこに居る。
一人の男――唯一白髪の男――が、母の、老いてすっかり萎びてしまった裸体に、液体をこすりながら、ぶつぶつと何かを唱えている。どこに触れられても身動きもせず声も立てない母の周りには、いくつもの虫が飛び交っている。
姉が顔を上げる。わたしに気づく。何か言いかけて口を開く。
わたしはそのことばを聞きたくない。踵を返して家を出る。裸足で走る。走る。走る。最寄りの駅まで五分間ダッシュする。
駅前で振り返る。大丈夫。誰も尾けて来てはいない。
その場でわたしは警察へ電話をかけた。
昔起きた事件とそっくりだった。違うのは、今回の事件が自己啓発セミナーによるものではなかった点だけ。
あの白髪の男は健康食品販売会社の社長。親鸞聖人の生まれ変わりを自称していた。
検死解剖の結果、母はおよそ一か月前に心不全を起こし死亡していた。
姉の証言。動かない母を見て動揺し、会社の幹部社員へ電話をかけた。幹部社員は、
「それは素晴らしい。生き仏になる前兆だ。そのままの状態にしておきなさい」
と姉に命じた。
その日。社長がやって来た。十人近くの幹部社員を引き連れて。姉はその様子を見て涙を流したと言う。
「なんて誇らしいことだろう……!」
社長の証言。母が生き仏になるための「秘術」を施していた。母を殺したのは警察。検死解剖をしたために、母は完全にヒトに戻って絶命してしまった。せっかく生き仏にしてやれるところだったのに……罰されるべきは警察であり医師である。
姉は有罪、保護責任者遺棄致死。執行猶予なし、懲役三年。社長には余罪が見つかりまだ裁判中。
姉は、精神疾患の治療を受けることのできる設備がある刑務所へ送られた。面会へ行くわたしに、
「あんたのせいで何もかもがぶち壊されてしまったわ」子どもの頃とは別人のよう。母とそっくりの怒声。「あたしにカウンセリングなんて必要ないのに」
姉は罵る。わたしを睨み付ける。
元の姉に戻って出所して来て欲しい。
いや……。
「姉」には元々「心」、或いは「自我」なんてなかったのだ。だからこそ母に依存し「社長」に心の拠り所を見つけ、こういう事態に陥ったのだ。
姉にとってのしあわせの形。
またここへ来よう。また邪険にされてもかまわない。しつこく来よう。そうして二人で「姉」を探して行こう。
参考 成田ミイラ化遺体事件(ライフスペース)
四百字詰め原稿用紙 九枚 了