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短編小説「スイート・ソロウ」
※以前に趣味で執筆していた短編小説です。元々はお題にそった短編小説なので、原題は「とっておき」という作品になります。
※短編小説「不健全な真夏」に出てくる登場人物のリンクストーリーです。
いつだって手放したっていいとは思ってたのに、何故かそれができなかった私は、本当に彼に想いを抱いてしまっていた。
バカなのは私だったのだ。
そんな、とっておきの言葉は本命彼女に言ってあげなよ。……相変わらずバカだなぁ。
そう言いたいけれど、私はもう何の関係もない。
【 スイート・ソロウ 】
私のカレシはいわゆる“遊び人”てやつである。
アッチの花へ、コッチの花へといつもひらひらと飛んでいる蝶々のようだ。
蝶々というくらいだからもちろん見た目も綺麗な子。
どこかの国の血が少しあるんじゃないかってくらい男の子のわりには色白で、まつ毛は長く、整った顔だちは女子のようだと思う。体も細くて風に吹かれれば飛んでいってしまいそうな印象。
そんな風に言うととっても儚そうだけれど、性格はというとテコでも動かなさそうなほど頑固なところがあったり、ヘラヘラしながらも世渡り上手で何だかんだ逞しい。
レポートが一段落した私は、勉強に飽きてベッドで眠る彼を見つめた。
寝顔はまさに美少年そのものだけど、これがあの減らず口の持ち主なんだなぁと思わずにはいられない。
しょっちゅう色を変えている髪は傷んでるはずなのに、指先で梳いたらサラサラとこぼれた。
「カナタ、そろそろ起きないと。あんま遅くなるとお姉さん心配するよ」
「ん……あとちょっと」
「あとちょっとじゃないでしょ。もう充分夜になってますー」
「え、今なんじ……」
「8時になるよ」
「やべ!ねーちゃんに怒られる!メシ!!」
時間を告げるとカナタはものすごい勢いで起きた。そしてそのまま慌ただしく身支度を整える。
年下の高校生の可愛いカレシは、こういうとこだけ抜けてるのだからつい憎めない。
私もゆるゆると部屋着に着替えながら部屋にカナタの忘れ物がないか確認した。
「ジュンちゃん、起こしてくれてさんきゅ!」
カナタはそう言うと学生バッグを肩にかけて玄関へと向かった。
出る前にシュークローゼットの扉に取り付けてある鏡で自分の寝癖を確認するあたりが抜け目ない。
「また来るときあったら連絡して。ってか私から連絡するかもだけど」
「おっけ!じゃあまた!ほんとさんきゅ!」
「早く行かないとお姉さんお腹すかせて待ってるよ~」
「うんにゃ、お邪魔しました~」
「はいはい」
カナタは慌ただしく部屋から出ていった。
うんにゃって何だその返事、って言いたくなったけど彼らしくて笑ってしまう。
カナタには年が少し離れたお姉さんがいる。両親は昔から共働きで帰りが遅いらしく小さいころからお姉さんがカナタの面倒をよく見てくれていたそうだ。
今ではお姉さんの帰りのほうが遅く、当番でカナタも夕飯を作っていると聞くから家ではきっと良い弟なんだろうなと思う。
部屋に一人になると、私も夕飯を食べようと思いパスタ鍋とレトルトのソースを出した。
カナタとはかれこれ2年半の付き合いになる。
私は大学に通うのに一人暮らしをしていて、前にバイトしていたファミレスでカナタと出会った。当時私は大学1年生、カナタは高校1年生になったばかり。
カナタは学校と家が近いのか、よく放課後なんかに友達と来ていた。
ちょっとヤンチャしてそうなグループにやたら綺麗な子がいたので、そんな彼の姿はお客さんの中でもよく目を引いた。
友達から「カナタ」と呼ばれていたから、顔も可愛ければ名前も可愛いんだなというのが最初の印象だったかもしれない。
転機があったのはそれから少し後。
ある客にしつこく言い寄られて少し困っていた頃、帰りにとうとう付きまとわれてしまった事があった。
その人はいつもコーヒーだけ頼んでチラチラこっちを見て、私が傍を通ると注文したそうに呼び止めては顔をニタニタさせて何も頼まない。
だんだんと気持ち悪くなってきて、シフトも固定の曜日には入れないようにしたり、上がる時も誰かと一緒に帰るようにしていた。
けれど毎回そういうわけにもいかず、上がりが誰とも被らない日があった。
とうぜん私は1人で帰るしかなかったけれど、しばらく安全だった日が続いたからか何も気にせずに駅まで歩いていた。
しかし、そのうちふと誰かが後ろにいる気配を感じた。
妙な感覚にぞわぞわして振り向いたけれどそこには誰もいなくて、大した距離じゃないはずなのに立ち止まっては振り返りを繰り返しているうちに、だんだんと怖くなってきた。
駅までの通りは明るいし駅の反対側にアパートがあるから、とりあえず曲がり角の先にある駅までいけば大丈夫なはずだと思って私は小走りをはじめた。困ったら改札内に入ってしまえばいい。
すると後ろで同じように駆け出す足音がして、私はすぐに『あいつだ!』と直感が働いた。
男が本気で走ってくればすぐに追いつかれてしまう。
今まで感じたことのない恐怖で足が動かなくなりそうになりながらも、曲がり角まで必死に走ったら勢いで人にぶつかってしまった。
「あっ!ごめんなさい!」
「いえ、こちらこそ。……って、あれ?ファミレスの……」
すかさず相手を確認すると、ぶつかった相手はカナタだった。
私は思わずカナタの腕を掴んで「お願い、待ち合わせのふりして。客につけられてる」と小声で教えた。
カナタは「えっ?マジで?」と言うも私の背後を確認して、やはり怪しそうな奴が後ろにいたらしくすぐに「遅いんだけど!迎えにいくとこだった」とハッキリと言って合わせてくれた。
私は何も言わずにカナタの細い腕に自分のそれを絡ませて、後ろを振り向かないようにして駅へと向かった。
駅の改札前を通りこして反対口へ出たところでカナタが聞いてきた。
「で、俺はどこまで護衛すればいいわけ?」
「駅向こうに私のアパートあるからそこまで」
「マジで!?俺反対方向なんだけど。家はファミレスよりちょっと先だし」
「だって一人になったら怖いし!今日だけでいいからしばらく彼氏のフリしてよ!お茶くらい出すし!なんなら今度ホットケーキ奢るから!いつも頼むでしょ!」
「まぁ、別にいいけど……てかさっき後ろにいた変なの、いつもコーヒーおかわりのキモい奴でしょ?お姉さん大丈夫なの?てかあのキモイのギャル好みだったんだ」
「そこまでギャルじゃないし!てか大丈夫じゃないからいつも誰かと一緒に上がらせてもらってんでしょうが」
「いや、おねーさんどう見てもギャルでしょ。キレイ系入ってるけど。つか俺、この曜日いつも何にもしてないから遅くなった時送ろうか?」
「……え、それは悪いからいいよ」
「遅番のときだけでいいよ。ってことでアド交換ね。ケータイ出して」
「ちょ、今だけでいいってば」
「名字はバイトの名札で知ってるから下の名前教えて。俺、ミナミ カナタね。って名前くらいは知ってるか。俺らいつも声デケーから」
カナタはちゃっちゃとケータイを出して私にも促す。
あんまりにも強引に決めるので迷っていると、カナタは簡単に言ってのけた。
「俺ねーちゃんいるし、もし自分のねーちゃんでもそんな事あったらって考えたら心配だから。つーかここまで事情知ったらフツーは心配でしょ。それとも俺が高校生だからって頼りないとか思ってんの?」
年下の子にそこまで言われてしまえば断りようがない。
たしかにまだ高校一年生だけど、こうして並んでいると細いけど私よりかは少しだけ背も高いみたいだし、いつも友達とふざけているけれど愛想もいいから変な子ではないのを知っている。
それにさっきみたいな突然の出来事なのに場を察して動いてくれた賢さもあるし……そう考え私は連絡先を交換したのだった。
それからはもうお互い簡単で、何回か年下カレシのフリをしてもらいながら一緒に帰り、家に上げるうちにそういうコトになってしまった。
仕掛けてきたのはカナタのほうで綺麗な顔のとおりにモテるんだろうなと思っていたら案の定、次から次へと女の子からのメッセやメールの着信音がひっきりなしだった。
困った子と関わってしまったと思ったのも後の祭りで、彼にとって面倒くさくない遊び相手にぴったりだったのか、私はカナタにあっという間になつかれてしまったわけだ。
今は私もバイト先を変えたものの、住む地域は同じだからか気ままな関係が続いている。
もちろん大学生の私がカナタを可愛いとは思っても、本当の彼氏にしたいなどとは思うわけがない。
というか、カナタは大学生の遊び相手がいると友達にネタにできても、さすがに私は「高校生の子と遊んでる」なんてのは友達にも言えるわけがない。
それに私も大学に友達も多いし飲み会好きだし、フリーだけれどイイ感じの人だっている。
カナタが家に来る時しか会わないので、私にとってたまたま懐いた弟みたいな遊び相手だし、もちろんカナタにだって本命の彼女はいるのだ。
そんなわけで、私達がくっつかない理由も言い訳も、ごまんとある。
出来上がったパスタをお皿に盛り、温めたソースをかけたところでスマホが反応した。
カナタからで、無事に家ついたようだ。お行儀が悪いけど、食事しながらカナタに返信する。
『カナタ、今日は体調大丈夫だった?』
するとすぐに既読になって返事が来た。
『ジュンちゃんの時はなんないからヘーキ。ありがと』
『まぁ、そんな状態になるんだからおとなしくしてなよ。てかもう女の子に無暗に手だすのやめなよ』
『今はジュンちゃんくらいしかいないから大丈夫だって。去年より全然ないし』
じゃあ、彼女とは?
って、打ちたかったけど、そんなことしなくたって答えは分かっている。
カナタは本命の彼女とは、彼女のほうから求めない限り「抱かない約束」をしているからだ。
私がカナタの体調を心配したのは、女の子と寝た後に過呼吸を起こすからだった。
だから「抱かない」本命彼女にそれが起きることなんてない。
そもそも初めからきちんと恋を知っていれば、あんな風にだってなっていないのだ。
恋愛の順序を間違えたツケなのか、私が言えた立場ではないけれど、きっと自分の行動に対する心の拒絶反応なのだと思う。
「ほんっと調子いいなぁ」
ふざけたスタンプのメッセージが送られてきて笑ってしまう。
私とは過呼吸が酷くなる前からの付き合いだからか大丈夫なのだと言うけれど、いつまでもこういうわけにはいかない。
カナタの「本命カノジョ」は、この事を知っているんだろうか。
そして知っても知らなくても、どうやって終わりにしようか。じゃないと結果的に傷つくのはカナタの心だと私は気づいている。
私はカナタとのメッセのやりとりを静かにオフにした。
「ジュンナ、今日この後時間ある?」
大学のカフェテリアで話しかけてきたのは、友達の飲み会で知り合ったガクだった。
スマホのメッセ画面を思わず閉じて顔を上げると同時に隣に座ってきた。
専攻が違うので学内で会う機会もあまりないのに、飲み会で意気投合してからは彼からきっかけを作ってくれて、お喋りしたりご飯を食べたりしている。
今も移動の合間なのか友達も一緒にいたけれど、友達は気を遣って先に教室へ向かったようだった。
私はこの後の授業は1コマだけ休講になったけれど、その後の授業は出席必須と他愛なく話したら、ガクは残念そうな顔をして手のひらを頭にあてて嘆いた。
「っあ~~~。マジか。さっき友達に野球のナイトゲームのチケットもらったんだわ。ジュン東北出身だろ?まさにその試合なんだけど」
「うそー!めっちゃ行きたかった!最近連勝してるから応援に行きたいとこだけど……ごめん、どうしても最後の授業が外せないのと、先生のとこに手伝いで顔出すことになってんだ。本当にごめんね」
野球観戦が好きな私としては、ガクの魅力的な話に思わずかじりつきそうになってしまったけれど、あいにく最後の授業はサボれそうにない。
先生がとくに厳しくて代返なんかも通用しないのだ。
それに先生から頼まれた資料室の整理もどうしても断れなかった。
それでもガクは「いいって。またメシ……てか今度あらためて遊ぼうよ」と笑顔で席を立とうとして……なぜか再び座った。
「授業、行かないの?」
「俺もここにいよっかな」
「サボらないほうがいいんじゃないのー。大学1コマの授業料って知ってる?」
「冗談だって。……なんか、専攻違うからジュンと話す機会作んないと喋れないなって思って」
何となく分かってた言葉だけれど、いざ言われると少し嬉しいやら後ろめたいやらで何を返せばいいのかわからなくなってしまいそうになる。
ガクは私の指先に軽く触れ、きれいに塗られている薬指の爪を撫でた。
何てことはない仕草なのに、それだけでガクの気持ちが分かってしまう。
恋の始まりはいつも気恥ずかしくなってしまうけれど、このまま黙るのはガラじゃないので茶化すようにして、ガクの肩を叩いた。
「ほらほら!また今度、飲み行けばいいじゃん」
「それ、マジで約束だかんな」
ガクは嬉しそうにして今度こそ本当に席を立って次の授業に向かった。
見えなくなる一瞬、手を振ってくれて私も振り返しながらしみじみと思う。
本当はこれが順番なんだよなぁ、なんて。
他愛もないことを話して、お互いを知ってデートして、好きになって一緒になるわけなのに……。
私とカナタの関係はどうかしてるってこと、自分でもちゃんと気付いてる。
ガクの笑顔を見ると胸にチリチリとした痛みがほんの少しだけ走っているのだから、この時点で私はガクに対して不誠実だっていうのもわかってる。
だからってカナタとのことを言ってしまいたいわけじゃない。
本当は私だってカナタと連絡を取ってる限り、自分を棚上げにしてカナタが心配だなんてどの面下げてできるだろう。
(……同じ穴のムジナじゃんね。)
憂鬱な思いで私はスマホ画面を再びオンにした。
さっきまでのカナタとのメッセを開くと、また新しくメッセがきていた。
どうやら今夜カナタは部屋にくるようだ。
遅くなると言っているから、きっと彼女か女の子に会ってから来るのだろう。
それでも彼女ができる前はもっと遊んでいて、過呼吸もしょっちゅうだったのだからそれに比べればマシになったのかもしれない。
私はカナタに『 どうぞご勝手に 』とだけ送って、もう少ししたら始まるテストのためにテキストを広げた。
学校が終わり家に帰った私は簡単に部屋を片付けることにした。
それでもまだ時間が余るので少しお腹に入れようと思って、朝の残りのご飯があったのでリゾットを作った。
料理は無心になれるからいいけれど、作り終えて食べる時はつい余計な事を考えてしまう。
気晴らしにテレビをつけても内容がちっとも入ってこなかった。
あぁ、もしかしたら今日は過呼吸でも起きたりするのかな。
しばらく出ていないカナタの症状に、前の時はいつだったかと思い巡らせてみたけど定かではなかった。
あれだけ長く付き合わされていたはずなのに、忘れてしまうなんて変な感じだ。
……―― カナタと知り合って数か月、高校2年になろうとしていたときのカナタはまさに『俺絶好調!』と言わんばかりのノリでアッチの女の子へ、コッチの女の子へと相手を変えてよく遊んでいた。
そのうち会うと頬を腫らしてきたり、腕に引っかき傷作ってきたり。
壊されたのかスマホが新しく変わっていたり、服を脱げばキスマークがあちこちあったりしてたのだから、どうしようもなさに私ですら呆れてしまったほどだ。
当の本人は小悪魔のようにヘラヘラしながらも、どこか空っぽで寂しそうなのだから余計に始末が悪い。
最初はただ調子に乗って楽しんでいるだけだろうと思っていたら、そのうちカナタに異変がおきはじめた。
その日も、女の子の痕をつけたカナタは何故か私の部屋に立ち寄った。
私はレポート作業をどうしても続けたかったので部屋にあげることを迷った。
けれど、何だか調子が悪そうなカナタを見てしまったらつい心配になり、少し休ませてあげることにした。
カナタはいつものようにベッドに寝転がったと思ったら急に苦しそうな息をし始め、咳のようなしゃっくりのようなおかしな呼吸をして止まらなくなってしまった。
突然のカナタの様子に私が慌てていると、苦しそうな息の合間にカナタが「何でもいいから袋……」と言ったので、台所にあったビニール袋を渡すとすぐに口にあて、袋の中に息を吐き出した。
そのまま吸い込んでまた吐いて、それを数分繰り返すと呼吸は落ち着き出した。
私は何が何だか分からずひたすらカナタの背をさすってあげていたら、カナタが力のない声で言った。
「……ごめん……分かんねーけど、最近、何故かいつもこう」
「いつもって……」
「最近は女の子とヤッた後、なんか毎回こうなる。これ何かのビョーキ?ゴムしてんだけどなぁ」
「ばか。でもあんた最近ちょっと酷いよ。何て言うか……遊び方が自棄すぎるみたいな。……何かあったの?何でもいいから話してごらん」
カナタの瞳が一瞬虚ろに見えた気がした。その瞬間、気付いてしまった。
“本当はそんなこと、もうしたくないんじゃないの?”って。
するとカナタは小さな声で語り出した。「人を好きだと思う気持ちがわからない」と。
今まで人を好きになったことがないのは当然、恋愛感情というのが正直全然分からない。
心は分からなくても普通は頭でも何となく分かるものだとは思うのに、それが全く分からない。自分はどこか欠けているのかもしれない。
小さい頃から漠然とした寂しさがあった。
親から愛情がなかったわけでもないし、姉はいつも傍にいてくれたし友達だって多い方だった。
なのに何故か漠然とした寂しさが心の隅にあった。
初めては近所のお姉さんだったらしいけれど、別に好きでなくてもそういうことができることを知ってしまった。
女の子を可愛いとは思うけどそこには何の感情もなく、
けれど悪気なく可愛いや好きを言ってみれば、その気になれるかと思っていたけれどそんなわけもなく、
悪戯に女の子を引っ掛けて傷つけてしまうだけだった。
最初はそれをただの女好きかと思っていたけれど、そのうち友達と話していても、どうしても恋愛感情だけは共感することができないことに気が付いた。
けれどそんな分からない事を考えてもしょうがないので、いつしか女の子が好きというより抱いてる時の充足感・安心感のほうが好きだと気づいてやめられなくなってた。
見た目も悪くなかったし性格も元々社交的だから女の子はいくらでも釣れた。
別にそこまでやりたいわけじゃないけれど、抱きあっていると自分の気持ちのいびつさを考えなくても済むから、
好きでもないのについ手を出してしまうし、面白い部分はあったから結果痛い目を見ても懲りずに遊んでしまう。
……――淡々と語っていくカナタの声はずっと色がなかった。
「それでも最近になって、なんか違うなってやっと思ってきた。やっぱ友達と話してて、あんまりにも他人に興味がわかない自分に気が付いて、これ違うよなぁって……。
好きになるより触れたいとか安心感がほしいとか、俺このままだと犯罪者なるんじゃねーの?ってたまに笑いそうになるし。
好きになれるかもって思って抱くけど、それ以上でもそれ以下にもならなくて……それか、抱きたいと思わない相手になら、ちゃんと心から好きになれるのかな……」
カナタを見たらまるで小さな子供が泣く事を我慢しているかのようで、私は何も言えなくなってしまって、ただ抱きしめてあげることしかできなかった。
もちろん、私だって傷つかないわけではなかった。
だってくっついたりしてるのにそこに気持ちがないことをハッキリと言われてしまったのだから。
……それでも邪険にできなかったのは、私がカナタのことをそれでも可愛いと思ってしまっていたからかもしれない。
それ以来カナタはおとなしくなるかと思ったのだけれど……全くの正反対だった。
今度はすっかり自分の事を依存症だと自覚して、自分が触れられない相手を見つけてるみたいに、女遊びは相変わらずだった。
もちろん女の子の痕をつけて遊びにきてはうちで過呼吸になることが増えていったし、カナタとは調子がいい時しかしなくなった。
そうして去年の夏休み前、ようやく本命の彼女ができたと言われた。
聞けば同じ学校・学年で、しかも学校でビッチと言われてる子らしい。
どっちもどっちじゃんって言ったら、自分と似てる気がして前から少し気になっていたのと、実際会ってみてキスだけしたけれど不思議とその先を口説く気にならなかったので、彼女が相手ならばそういう事をしなくたって人間関係築けるかもしれないし恋ができるようになるかも。
そんなふうにカナタは瞳を爛々とさせながら報告してきた。
触れたい欲が最初から湧かなければ、体より先に気持ちを繋げられるかもしれないしちゃんと好きになれるかもとの言い分に、
釈然としなかった私は好きだから触れたくなるんでしょうと言ったけれど、
「好きじゃなくても触れるから困っているんだ」と返されて結局何も言えなくなってしまい、今日まで至っている。
まぁ本命ができても本命一本と遊ばないのが社交的な彼らしいけれど。
思い出したらどうしようもなさにため息しか出てこない。これじゃあまるで保護者だ。
そんな事を考えながら夕食を食べても当然味はない。
どうせなら早く来て欲しい。
じゃないと余計な事ばかり思い出して、考えてしまうから。
そして暗くなっている時ほど頭の引き出しから出てくる決断は、後ろ向きな答えしかない。
スマホを見ても何一つ光ってはいなかった。
結局、カナタは夜の9時すぎくらいに部屋にやってきた。
浮かない顔をしていたので、また過呼吸でも起こるのかと構えていたらカナタのほうから「今日は誰とも寝てないよ」と申告してくれた。
何だか拍子抜けしてしまった私をよそ彼は乱暴にバッグを置く。
どうやら不機嫌らしい。そのまんまふて寝するかのようにベッドに身を投げ、手のひらで顔を覆った。
イライラして無言の彼にたずねる。
「なんかヤなことあったの?」
するとカナタは覇気のない声で「ヤなことってわけじゃないけど……面白くねーって思っただけ」と答えた。
こんなに気落ちしてるのは珍しかったので私はカナタの隣に腰をおろし頭を撫でると、カナタは顔を覆っていた腕を下げて子供のように私の腰に抱きついてきた。
「面白くないこと、聞いても良い?」
「……彼女にさ、好きな男いるんだけど」
「それ、もう本命じゃなくない?」
「いいんだよ。だってはじめから聞いてたし。ただ彼女、ソイツとはそういう関係にならないんだって。ソイツ彼女いるらしいし、彼女がいても想ってるだけでいいんだって」
「それで?」
「……それだけなんだけど、なんか久々に彼女がソイツの話して、前はこんなことなかったのに……なんか面白くなかった。
だってこれは俺の勝手な申し出だから、ヨシノにいくら男がいようが好きな奴がいようが自由にしてもらって構わないって思ってたんだけど……触れない約束だし触れるのも正直躊躇うっつーか。
ヤりたいとか思わないから付き合ってるのに……他の奴の話聞いて面白くないとか思った自分がわけわかんないし、おかげで秋季の集中講座申し込み行くのも忘れたし。そんなわけで何か最悪な気分」
絶句した。おいおい。
それってただの……ヤキモチじゃん。
単純にそう思ったけれど、カナタはふてくされたように私に抱き着いたままだ。
自分がどうして腹が立っているのか本当に分からないなんて、呆れるを通り越して驚いていると、無言の私を不思議に思ったのか見上げてきた。
いつもは猫のようにすましているのに、今は頼りない表情をしている。
そして、ぽつりと続けた。
「その男にもムカつくんだけど、彼女に対してもムカついてくるとか、別れたほうがいいのかな」
「何馬鹿なこと言ってんの。彼女が他の男の話してて腹立つなんて当たり前でしょ」
当たり前のように教えてあげたら、カナタはぎょっとした。
「そうなの!?俺、今まで女の子といちゃついてるときに他の男の話されても全然こんなことなかったんだけど!」
「だからそれはカナタにとって、その女の子たちはどうでもいいって事じゃん」
「どうでもよかぁないけど……みんな可愛くて優しい子たちばっかだし」
「けど好きじゃないんだから何とも思ってないってことなんだよ、それは。ムカつくって思う時点でちゃんとカナタは彼女の事を好きになってるんだよ」
カナタがこんなにも恋愛感情というのが分からないとは思わなかった。
だってそんな簡単なこと、国語の教科書に出てくるような気持ちではないか。
私は説明しながら何だか心は泣きそうだった。
そりゃあカナタのことは好きか嫌いかと言われれば好きだ。だからといってそれを恋愛だと錯覚はしないようにしていた。
だって最初から私たちの関係なんてそう決まっているものだったし。
カナタと前のように繋がる事が少なくなってからは、より一層それは強くなった気がする。
二人の間で恋愛を始める権利はカナタにあっても、私には終わらせる立場しかない。その時点で初めからフェアじゃないのは分かってるのだ。
……私、一体何やってるんだろう。
こんな気まぐれな年下の高校生の相手して、彼女への焼きもちも聞いてあげて……カナタにとってじゃなく、私にとってカナタは何なのだろう。
カナタを甘やかしているつもりでも、本当は私がカナタに甘えて依存してるのだろうか。
恋愛にもならないのに?
抱きついているカナタを振りほどけもしない癖に、どうしてカナタの気持ちにだけは気付いちゃったんだろう。
何とも言えない気持ちを噛みつぶしながら、私は祈るような気持ちで口にした。
「ねぇ、いいかげん彼女にちゃんと話したら?過呼吸の事も、ムカつくって思った事も」
大人のふりをしながら精いっぱいの強がりだって自分でも分かっている。
だってこれでカナタが素直になれれば、本当の恋人同士がどういうものか始められればめでたしめでたしじゃないの。
最初からそれを望んで、彼女だけには触れなかったんでしょう?
やっとちゃんと心から触れたいって思える相手に出会ったんだから。
それなのにカナタは全く私の意に介さない答えを出した。
「それだけは……彼女……言いたくない」
「どうして」
「だって、言ったらヨシノの前でもあんなんになりそうだし」
「それでいいじゃん。本命の彼女なんだから。……それじゃなかったら私の事本命にしてよ!」
自分でも絶対に言わないと思っていた言葉が口をついてきて、自分でも(あっ)と思った時にはもう遅かった。
自分でも驚いていると、カナタは目をまん丸くさせながら私を見ていた。
何よ。そんな目で見なくたっていいじゃない。
……まるで、悪い事を私が口にしたみたいじゃない。
そう思った途端、胸がだんだんと締めつけられて、そのうち耐えがたいほど苦しくなった。
カナタの視線をそらしたいのに、そらせなくて涙が滲んできそうになる。
落ち着くために息と一緒に吐き出した言葉は、紛れもない私の本心だった。
「好きだよ、カナタのこと」
「……どしたの、急に……」
「急にじゃないよ。ずっと思ってた。言わなかったけど想ってた。私、とっくにカナタのこと好きになってる。……エッチもできない彼女なら何で別れないの」
「……それは」
「彼女の前だと手を出したくなくなるから?唯一、する気がしないから?」
私の挑発に戸惑って、それでも自分の気持ちに気がつかないなんてとんだお子様だ。
困惑している表情すら苛々して見ていられなくなり、カナタを振りほどいて立ち上がる。
拳に思わず力が入る。
そんな私を理解できない、カナタの明るい鳶色の瞳を見たら余計に腹が立った。
身勝手なカナタにも、馬鹿な自分にも。
「ほんと話にならない。ふざけんな。……あんたのは甘えなんだよ」
「ジュンちゃん……?」
カナタは可愛いし綺麗だ。
意外と頼もしいところもあるし、傍に置いておきたくなる。
だけど、やっぱりとんだバカで無意識な性悪だ。
……そのくせ優しいんだから、こんな年下のガキを好きにならないようにしていた自分が本当のバカに思えた。
いつか振り向いてくれるかもなんて思ってたわけじゃない。
別に好きになってもらえなくたって、彼女にしてほしいなんて本気で思ってるわけでもない。
そうじゃないの。
別にそれでもいいから、私がカナタに恋をしていたかったなんて、今になって気付きたくないことだった。
こんな子供に本気になるなんて。本当に恋してたなんて。
だけどもう、耐えられない。カナタにも自分にも。
「自分を受け入れてくれない?甘ったれてる自分を自分が受け入れてなんぼでしょ!それを出来もしないのに抱くのが先だからいつまでも自分の気持ちに気付かないんでしょ!いいかげん気がつけば!?
あんたはセックス依存症かもしれないけど、ただ恋に臆病なだけじゃん!
彼女に手が出せないのは自分の心を彼女の前で裸にするのが怖いからよ。
今までフラフラ調子こいて女遊びしてて、信じてもらえないのが怖いから簡単にできないんでしょ!
……彼女に手を出せないのはそういう目で見てるからじゃなくて、初めて恋愛として見てるからじゃない。
彼女のどこに惹かれてるかわかんないけどさ、心を見せられないくらい、手を出すのを無意識でためらってるくらいに、大事に関係を育てたいからじゃないの?!」
カナタはきっと私に引いているだろうと思ったけれど、言い出したら止まらなかった。
怒鳴りたくもないのに声は大きくなるし、きっとお隣さんにも聞こえているだろうし、涙は出てくるし気持ちは止まらないしで自分でもわけが分からなかった。
引き留めてしまいたい気持ちより全部捨ててしまいたい気持ちが勝ってしまうなんて、自分の中にこんな憤怒に近い汚い感情があったなんて初めてだ。
「……彼女に手を出したくなかったのは、あんたの心のわずか底に残されてた誠意でしょ。
彼女だから依存症が治るんじゃなくて、本気で彼女が好きだからあんたが治すんでしょうが。いい加減、たった一人のためにしてあげなさいよ!
彼女が好きな人に触れられないのと同じように、あんたも本気で彼女が好きだから触れられないし、彼女の片思いも面白くないのよ……こんなことまで、私に言わせないでよ……これじゃあまるで……」
″大人が子供に片想いしてるみたいで、私がすごくみっともないじゃない。″
私は最後まで言い切る事ができなくて、カナタは黙ったままだった。
お互いどれくらいそうしていただろう。
カナタはずっと俯いていて、何を考えているのか分からなかった。
だけどこのままずっとここにいられるのも、もう迷惑だった。
自分でもそう思い込みたかった。
「もう帰りなよ。あんまり遅いと心配するよ。高校生なんだから」
こんなにも冷たい声が出せるなんて自分でも思わなかった。
涙も出きってしまうと、自分の中に残ったものは冷やりとした寂しい気持ちだけだ。
お願い。もうこれ以上、私に何も言わせないで。
これ以上カナタがここにいると、私もっと酷い事言ってしまう。もっと傷つけたくなってしまう。
傷つけたくないし傷つきたくもないのに、ぐちゃぐちゃな感情をぶつけてしまいそうで自分が怖くなってしまう。
それなのに傷つけた後にきっと、腕を掴んで謝って優しい言葉をかけて引き留めたくなってしまうから……。
だけどそんなのは歪んだ気持ちだし、それはもう恋とは呼べるものではないのも知っていた。
納得したのかカナタは静かに自分の鞄を肩にかけて立ち上がった。
無言でそのまま玄関まで向かう。
もうこれでお仕舞いなんだと分かった私は顔を向けられなかった。
クツを履いてドアが開く音がした。
その音を聴いた途端、今この瞬間までどこかホッとしていた癖に、急激に寂しさが自分の中を駆け巡って、カナタのいつもの後ろ姿をすがるような気持ちで目で追ってしまった。
家を出る最後の最後に、一瞬だけ、カナタが振り向いた。
悲しそうな、でもどこかでホッとしたような……初めて見る大人びた顔だった。
そんなカナタをみた私は、泣き出す前の子供みたいな顔になってしまった。
「ジュンちゃん、ごめんね」
「カナ、」
タ……
名前を最後に呼んだところでカナタは出て行った。
ドアの閉まる音が、こんなにも重い音だなんて初めて知った。
カナタが出て行った部屋に、私はへなへなと座りこんだ。
終わりは意外とあっけないものなんだって……今までの恋愛だってそうだったじゃない。
本当に終わる時なんて容易いのだ。
だからこれが本当の終わりだし、きっと正解だったんだ。
だってむこう高校生じゃん。
私も大学3年生だし、そろそろ就活に向けて勉強や活動頑張らなきゃじゃん。
カナタだって受験するつもりだからホントは恋愛で愚痴ってる場合じゃないだろうし、
もう気まぐれに振り回されなくて済むし、
過呼吸のことだって心配なんかしなくていい。
食べ物や好きなものの好みは意外にうるさいし、
手ばっかりかかって絶対に付き合いたくないタイプなのに。
「……きっと私が同じ高校生でもうまくいかなかった」
呟いてみてその通りだと思う。
……それなのに縛られているのは一緒に過ごした期間のせいだろうか。
もちろんカナタが家についたであろう時間になっても、何のメッセもこなかった。
そう言えば別れた女には徹底的に冷たくして二度と寄りつかせないようにすると言っていた。
カナタらしいと思った。もちろん今となっては私もその一人だ。
思わず乾いた笑いが出て……その後にとめどなく涙があふれた。
「うぅ……ひぅ……ひぐっ……」
もう出ないと思ってたのに、さっきよりもどんどん流れてきて我慢がきかないほど泣いた。
ただハッキリと分かるのは、もうカナタに会えないってこと。
アポなしで当たり前のようにインターホンを鳴らして遊びにこないってこと。
私の好きなブドウのゼリーも買ってこないし、
課題をヨユーだと生意気そうに言いながらもつまづいて聞いてきたり、
家で作ってるわりに大して上手じゃない料理をそこの台所で気まぐれに作ったりもしない。
それに私より子供のくせに、眠る前に優しく髪を撫でてくれることはこの先二度とないのだ。
……カナタとの2年半の出来事は数えだしたらキリがなかった。
最初、ファミレスで見たとき。
ヤンチャな高校生の中ですごく目を引いた。
女の子みたいに綺麗で可愛い、ちょっと生意気そうで目が離せなかった。
きっともうその時から私は一目惚れだったんだ。
……私のほうが一目惚れの恋をしていたんだ。
カナタのせいにしたいのに、結局は責められない自分の気持ちを思うと余計に涙が止まらなかった。
カナタと別れて数ヶ月たった。
あれからカナタとは連絡をとってない。
あれだけ泣いても次の日はやってきて、あんまりにも目の腫れが引かずその日は大学もサボって一日中家で寝て過ごしていた。
それでもお腹はすくしお風呂に入りたいし、土日の休みも挟んで4日目にはいつもの私に戻って大学へ出た。
もちろん1ヶ月くらいは毎晩のように悲しかったけれど、かといってあのままカナタと続けていたかったと聞かれれば……今ではハッキリNOと言えるのだから、何だかんだ女は失恋に強いのかもしれないと自分で思う。
ちなみにガクとは……あの後に告白されたけれど、ハイじゃあ次付き合いますか!って気持ちになれず、結局は飲み友達のままでいる。
強かな子ならそのまんま「渡りに船」って感じで付き合っちゃうんだろうけれど……ガクにアプローチされてる最中にカナタとあんな事になってたと思うとやっぱり付き合えないと思った。
ちゃんと気持ちよく誰かと向き合えるようになるまでは、もうちょっと自分の気持ちを整理したかった。
「あ~もう、お腹ぺこぺこ」
企業のインターンシップが終わった私は、研修先から駅まで歩いていた。
社員さんよりも早く帰れるとはいえ、報告書をまとめたり大学の課題もあるので、終わった後ものんびりはできないのが最近の悩みだ。
企業も大学生相手といえど容赦なく人材を鍛えようとしているので毎日神経を使いつつも、社会の一員として大人の仲間入りになれたような気持ちもして、ほどよい疲れを感じていた。
これから帰ってご飯作って……何だか今日は面倒臭いなぁと思い始めた私は駅前にあるハンバーガーショップを見つけた。
店頭を見るとキャンペーン中でどうやら安くなっているらしい。
バレンタインが近いからかチョコドリンクがオトクってポスターが貼ってあるけれど、今の私はガッツリとチーズバーガーとミネストローネスープな気分だった。
あれ、もうメニュー決めてんじゃん。
自分で思わず笑いそうになりながら足はもうそこへと向かっていた。
カウンターでオーダーしてトレーに乗せて2階席へと移動する。
夕方だからか学生がとても多く席はどこも埋まっていて、その中でも窓際に1つ席が開いていたのでそこへ座った。
これで夕飯にしちゃって家に帰ってすぐ報告書……と思ったけれど、どうしても忘れたくない内容があったのを思い出して、ここで少し入力してしまおうと思いタブレットを出した。
片手でハンバーガーに齧りつきながらメモに入力していると、たくさん人がいて賑やかなフロアにかかわらず、思いがけない名前を後ろから耳にした。
「カナタ、お前結果どうだったよ。センター」
「んー。何とかギリギリライン」
「お前ほんと遊んでばっかだったのにセンター受けられる時点で奇跡じゃねーかよ」
その名前と、あの声はまさかだった。
そぉっと振り返ると、少し離れた4人席に高校生らしき男の子たちがいた。
一目でカナタの後ろ姿を捉えると思わず胸がはねた気がして、私は慌てて正面の窓を向いた。
窓を見れば姿見になっていて、そこからでもカナタの後ろ姿はよく分かった。
茶髪だったりブリーチしたりアッシュにしたりと、毎回派手にしていた髪色はすっかり黒っぽく落ち着いている。
髪色が落ち着いたからかいつもの私服も前より大人に見えた気がした。
友達も私服だったので、家庭研修中なんだと自分の高校時代の頃をふと思い出した。
「ヨシノさんって大学に行くんだっけ?」
友達の一人がカナタの彼女の名を口にしたので、ちゃんと付き合えてるんだなと少し安心しながらも心はざわめいたままだ。
タブレットに記入どころか食事するどころでもない。気になって聞き耳を立ててしまう自分が嫌だった。
「いや、ヨシノは服飾系の専門。マジ羨ましい」
「カナタそっち行きたかったんだっけ」
「ほんとはね。どっちかってーとメイクか、アクセ作る彫金とかもやってみたかった」
「お前器用だもんな。行くとこ経済だっけ」
「うん。うちの親、建築士でゆくゆくは手伝えとか言われてたから建築学科をすげー言われてたけど、何かそれも違うなとせめてもの抵抗」
「だいぶゆとりじゃん。進路決定されてるとかある意味羨ましいんだけど」
「だからって俺のやりたいこととは別じゃん。とりあえずヨシノに嫉妬する毎日だわこれから」
そっか。
やりたいこと、女遊びしながらもちゃんとあったんじゃん。
彼女とも仲よさそうじゃん。
「そういやカナタ、女子大生とも付き合ってなかったっけ」
誰かが言った。それを聞いてまたもドキッとしてしまう。
いや、遊び人のカナタのことだから女子大生の遊び相手だなんて私だけじゃないに決まってる。
カナタはなんて答えるのだろうか。
私はすっかり食べるのも飲むのも忘れていた。
「もう別れた」
「え!まじで」
「うそ、いつだよ」
「とっくだっての。数ヶ月前」
「まじかー。でも女子大生ババアだしな」
「カナタなんでお前高校生狙わないんだよ。てか俺らも高校生終わりだけど。ってことは俺らは自然にジジイかよ」
「つか俺ら高校生と付き合う女子大生いるとかレアじゃね。俺ら超ガキじゃん」
「うるせえな。女子大生はババアなんかじゃねーよ」
「そう怒んなってカナタ」
カナタは不機嫌な声で続けた。
「馬鹿にされて怒んねーわけねーだろ。つーか今回は俺がフラれたんだし。……おかげで自分の事マジにクズだって自覚したし……」
「お前、それ今更言うか」
「ヨシノにちゃんと正直に付き合えてるのも、そのカノジョのおかげだし……だから次、女子大生のことババア呼ばわりしたらマジ殺すかんな。てかお前らの狙ってる女マジで口説くかんな」
「お前それだけはやめろっつの!冗談に聞こえねーし!」
「つーかお前、どんだけ手出してきたと思ってんの。まだ言うかよ!」
「ヨシノさん一人にするんじゃねーのかよ!」
「ヨシノ一人だけど、お前らがババア呼ばわりした次には」
「分かった分かった!」
カナタたちはもう別のことを話し始めていた。
まるで時間が止まったような感覚がしていたけれど、ちゃんと進んでいる事もはっきりと感じていて、どこか胸が軽くなっていた。
……ほんと、バカだなぁ。
そんなとっておきの気持ちは、彼女にだけ言ってあげればいいのに。
久しぶりに聞く変わらない声で、何でそんなこと言うのよ。
もう、関係ないのに。
本当のところ、熱くなっていた顔からは涙が出そうになっていたけれど、それでももう泣かなかった。
だって、もう終わった事だから。
ちゃんとお互い前に進んでいるから。
ガラス越しにカナタをもう一度見ると、すっかり変わった彼は、まるで私の知らない人に思えた。
これで正解だったんだね。
ううん。正解とかじゃなくて、なるべくしてなったんだ。
何が間違いとか、どれが正解とかいつも探してしまうけれど、この未来が本当の答えなんだ。
もう、いびつな想いなんてどこにもない。
ふと笑顔になっていた自分に気づいた私は、後ろを気にするのはやめて、今度こそ自分の目の前のハンバーガーに思いっきりかぶりついた。
( 今この胸が温かいのは、きっとあの時に冷たい傷みを味わったから )