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猫でさえ食わない嫉妬と見栄

モヤモヤしてきた、ちょっとやな事を書くのでまた消すかも録。


人の嫉妬と見栄というのは、どうにもみっともないものだけれど、
その嫉妬と見栄を糧にして、努力もできるわけだからバカにもできない。

一番みっともないのは、ことあるごとに見栄を謙遜ながら貶してしゃべったり、嫉妬にかられてあからさまに態度を人にぶつけてきたりすることの気がする。

以前から「あー、この人って見栄っ張りだなぁ。そういう言い方するならいっそ気持ちよく自慢しちゃえばいいのに」と思うような言い方をする人がいる。
なんていうか「奥さまのザマス自慢」のようなのだ。

昔夢中になっていたバンドの歌詞で「僕らはみんな誰かよりもちょっとだけ幸せになりたいの。」というフレーズを思い出す。
そのため、ちょっとの羨望や賞賛の言葉欲しさに思ってもいない謙遜の言い方になってしまうのも分かる。

聞いていてたしかにそれはすごいなーと思うこともあるし、続きも気になるのでその人が話しやすいよう反応するのも好きだ。
楽しい気分になってもらえるならこしたことはないし実際に聞いていて楽しくはあるので(というか楽しそうに話してくれる人を見るのが好き)、羨ましいや褒めそやす言葉はいくらでも言えるのだが、
モヤモヤするところといえば「あなた、それを人から言ってもらいたいがために、いつもわざとそういう言い方して謙遜してないかしら?」という部分。

いやいや、本当は心の中で嬉しさ満々じゃん。なんでそんな敢えての言い方するんだろう。そっちのほうがいやらしいなぁ。
……なんて映ってしまう私もひねくれているが、ずっとそれが続いているものだから否が応でも思ってしまう。

普段から親の仕事や旦那さんの会社・車、結婚された友人の海外生活、子供の学校、その友達の親の職業や肩書の話が多いとは思っていた。
だけどある時、唐突に気付いてしまった。

自分の身の周りの事を話す割には、他の人が持っているものにはそんなに持ち上げないし、話も広げてこないのだ。
それと自分より上のステータスを持っているであろう人にはあまり話を振ってこない。なんならあまり聞きたくない・興味ありません前な素振りさえしている。
自分の自慢話はするのに他人の自慢話は聞きたくないという人っているんだなぁと思う。

自慢話も、聞いていて気持ちの良い自慢話ならいくらでもしたほうが良いと私は思う。(受け取る側にもよるだろうけど)
ただ、自慢話をされるのは好きだけれどそれには話し方が大事であって、どうせなら嬉しそうに話してもらいたい。

一方で、聞いていていやらしさが垣間見れてしまうと「自分から話しておいてわざわざそんな言い方するくらいなら自慢するなよ。だったら何も言わない方がよっぽど美徳だな」と思ってしまう。
そもそも本当に謙遜していることなら初めから口にも出さないだろう。
それなら初めから素直に「嬉しかった」のままで終わらせるほうがよっぽどきれいだ。
それに人がとても嬉しくて喜んでいる姿を見て「面白くない」と感じるほどこちらの器量とて狭くない。
良い話はやっぱりこちらとしても嬉しいのだから。

なので最初は面白く聞いていたけれど、自ら話す割にはわざと貶す様子にそのうち、「あー、この人は隠れマウントというか、結構ステータス主義の方なんだな」という本質に気付いてしまい、なんだかなぁと寂しい気持ちになってしまった。
わりとサバサバしている人かと思ったら、実はそういうものに固執しているタイプだったのか~と、ちょっとガッカリする自分がいた。

そう思うと普段から彼女が今まで話していた内容についても、今までとは少しばかり受け取り方や見え方が違ってきてしまう。

親の仕事(元公務員)や旦那さんの会社・車(一流企業、外車)、
結婚された友人の海外生活(都内有名私立女子高一貫校でちょいセレブ妻生活)、
子供の学校(私立だが第一志望落ち滑り止め合格した学校の名前をしばらく意地でも言わなかった)、
その友達の親の職業や肩書(国家公務員・大学教授)の話たち。

どれも私の身近にはいない話の内容だったこともあり、別の世間話の素にもなるし面白かったからよく聞いていたし、話される分には聞くのも好きだった。
だけれど今となっては、それってなんだか上っ面の話ばっかりだなぁと、ふと思う。
中身の話と言うよりも、結局はステータス前提の内容となってしまう。

ちなみに、なぜこんな話をするかというと、実は自分が結婚してからどうしてかぱったり私だけには会話をされなくなった。

前から話の節々で私の事をちょっと下に見ているなぁという部分はあったけれども、結婚した途端にその人から突然シカト・会話スルーされるようになったので、ひょっとして彼女の中でのマウント部分に引っかかってしまったのか分からない。
それに加えて職場結婚反対の考えの人であったし、職場きっかけで突然結婚となった私の事が何となく嫌なのかもしれない。
ちなみに夫とは同じ空間で働いているわけではなく、月1,2回の会議で顔を合わす程度であるので、職場結婚と言っても厳密には世間がイメージする環境ではない。

それでも10年一緒に働いてきてそういう態度に変わられたのは寂しいかぎりだ。
3~4名程しかいない職場事務所で、私にだけ不自然なまでのスルー態度に「もしや、犬はもちろん猫でさえも食わない嫉妬ゆえに空気扱いされている?」と感じながら、真相は聞けずにいる。
(その後、彼女をよく知る人に相談したところ「昔から人をハブるところがある。自分がハブられたくないから、ターゲットを決めてその人を少しいじったりハブったりするところがある」と聞き、そこでまた腑に落ちてしまったのが嫌なところだ。)

そんな風に思ってしまうということは、私自身も拗ねているのかもしれない。態度が一変されるとやっぱり傷つくし、それに対してさすがにムッともする。
人に言えない分ここに愚痴るのもずるいことだと分かってはいるので、これはこれで私の虚勢だろう。

そりゃあ猫だって、嫉妬と見栄よりかは美味しい猫まんまのほうがずっとマシですもんね。
くだらないことはとっとと捨て置けるように見習いたい所存。

自分も知らんうちにそういう「もったいぶる」言い方を人にしているのかもしれないなぁと肝に銘じよう。
自慢話のしかたも、人への羨ましがり方も、みっともないやり方にうつらないよう、気持ちの良いコミュニケーションって難しいところ。