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短編小説「餞の羽をあなたに」

※以前に趣味で執筆していた短編小説です。元々はお題にそった短編小説なので、原題は「羽」という作品になります。
※短編小説「不健全な真夏」のリンクストーリーです。



久しぶりに会った彼女の指に見慣れないものが嵌められていた。
恋なんかしないと言っていたのに、最近ちゃんとした彼氏ができたらしい。

右手薬指に光るそれを聞いてみると、
「名ばかりペアリング」と、愉快そうに答えた。


【 餞の羽をあなたに 】


仕事帰りの帰路、途中下車して繁華街から少し離れたところにあるカフェに立ち寄った。

正統そうなクラシックの流れるカフェで、今日のおすすめの深煎りブレンドをオーダーし受けとってから席を見渡す。

夜7時くらいでもカフェでコーヒータイムを楽しむ人はそこそこいて、喫煙席ですら比較的どの席も埋まっていた。
するとちょうど窓際カウンター席が2つ空いたので、すかさず向かった。隣がとられる前にカバンを置き待ち合わせ相手の場所を確保しておく。
本当ならばタバコを吸いながら待ちたいところだけど、相手を思うとそういうわけにはいかない。

口寂しさにコーヒーを一口飲むと思いのほか熱くて上唇にピリリとした痛みが走った。軽い火傷につい親指でぬぐうと「お待たせ」と後ろから声をかけられた。

振り向くと高校の制服姿の彼女がいた。

彼女といってもいわゆる恋人ではない。
かといって友人でもない気がする。知り合いといったニュアンスのほうが近いかもしれない。
名前のつかない関係はややこしいが、はっきり言えるのはやましい間柄じゃないだけはたしかだ。
いや、やましい間柄になり損ねただけなのかもしれないが年齢差と社会的立場上、そこは何も求めないことにしておく。

彼女はふんわり巻いた髪をちょっと煩わしそうにサイドに寄せながら隣へとやってくる。
俺はカバンを退かすとヨシノがそこにカバンを置き、財布だけを手にして「ドリンク買ってくる」とオーダーカウンターへと向かった。
しばらくすると、吐きそうなくらいにたっぷりとクリームが乗っかったカフェフラペチーノを持ってきた。

ふと指先を見ると彼女の右手の薬指にはシンプルなリングが光る。
金色の流れ星の曲線が指に走っているみたいだ。

俺の視線に気がついたのかヨシノは「あぁ、これ?」と鼻で軽く嗤うように言う。

「名ばかりペアリング。恋人ごっこと言えど笑っちゃうよね。こんなのに効果なんかあるのかな」と愉快そうにした後、リングを確かめるようにかざして退屈げに見つめた。

店頭ライトに反射したリングの光を見た俺は「お前な、ペアリング欲しがってる全国の女子を敵に回す発言だからなそれ」と言うと、
「女子に嫌われやすい女子代表してるからヘーキ」と悪びれなく笑った。

その後はぽつりぽつりとお互い近況報告をした。
近況報告といっても俺が話せることは仕事のことくらいしかない。だから学生の彼女にとっては退屈な内容だろうに、そんなことはおくびにも出さず絶妙なコメントや間をとりながらよく聞いてくれる。

「お前こそ彼氏とやらとはどうなんだよ」

俺が意地悪く尋ねると呆れるように肩をすくめながら「どうもこうも、デートだって買い物して、それじゃあバイバイって感じ」とストローに口づけた。

「リョウヘイこそどうなのよ。仕事ばっかで全然女の気配なさそーじゃん」

鋭い部分をついてくる。悔しいがその通りだった。
っていうかもし俺が俺じゃない人間だとして、ましてや女だったならば、傍から俺と彼女との関係を見たら引く。
そこそこの社会人が女子高生とお茶してる時点で犯罪くさいし、ロリコンのヤバい奴決定だ。

「まぁこんな風にお前と会ってる時点でダメだわな」
「ダメって何よ」
「俺は女子高校生には手をだしません」
「始めは出す気満々だったくせに」
「女子大生って嘘ついてコンパニオンやってたのはどいつだよ。女子大生だったら話は別だったけど」
「女子大生つっても1歳か2歳違うだけじゃん」
「ポジションが全然違うっつーの。さすがによくよく考えたら俺の歳で女子大生と付き合うのもアウトだろ」
「それこそまだリョウヘイ20代後半だからアリじゃん?」
「だから年齢差の問題だけじゃないっつーの」

彼女との出会いは、1年前にいたブラック会社の忘年会での席だった。


会場が割烹料理屋ってだけで古臭さを感じるのに、どの古参が手配したのか途中でコンパニオンの子たちが入ってきた。
女子大生くらいから30代までの数人の女の子がお酌して席をせわしなくまわっていた。彼女はその中の一人だった。

一番若くて一番きれいだけど一番愛想がなく、だけど誰よりも気が付いてあまり笑わないながらも一番席をまわっていたように思う。
そして、上司や先輩に飲まされまくってベロベロどころかゲーゲー吐いていた俺は、気が付けば彼女に介抱されていた。
空気を吸いに引きずられるようにして、うまく外へ連れ出してもらい優しく背中を撫でてもらったところで記憶が途切れた。

しかし、記憶がないながらも何とか家に帰ったらしい。
泥のような眠りから目が覚め、出勤ではない日曜日だったことに安堵してやっと我に返ったところで、慌ててビジネスバッグの中を確認した。
すると見慣れない名刺と見慣れない女性もののハンカチが、俺の財布やケータイと一緒に紛れていた。
名刺といっても明らかな営業用名刺だった。そして裏には几帳面な字でケータイ番号が書いてある。

きっと俺を介抱してくれたコンパニオンの子だと思い、見覚えのないハンカチも彼女のものに違いないと思った。
だとしたらベタだけどハンカチを借りたままに行くわけにはいかない。

果たして名刺に書かれていた番号が本当のものか疑わしいけれど、緊張しながらダイヤルしたら「はい」と愛想のない声が出た。
やはりあの彼女だった。

前の晩のことを言うと「ああ、別に気にしないでいいけど」とこれまた興味なさそうな態度だったので、内心(だったら思わせぶりに番号なんか名刺に書くなよ)と腹が立った。
しかし腹が立ちつつも、捨てにくいし電話した手前スルーしにくかったので、何とか無理やりアポをとって翌週の土曜日に会うことになった。
場所はまさに今ここにいるカフェだ。

待ち合わせにやってきた彼女はバイト中と同じくらいに気だるげで、違ったのは服装くらいだった。
寒そうなドレス姿ではなく、ベージュのチェスターコートに、だぼっとした白いセーターとスキニーデニムで、夜の印象だった彼女はどこにもいなかった。

そんな服装を覚えていたなんて、きっと俺の中でよほど好みだったんだと今なら分かる。
大学生だとしたらどこの大学なんだろうと少し下心を思いつつも、介抱のお礼と言い張ってドリンクとスイーツをごちそうして、なんやかんや話すうちに気が合いお茶友達に至ってしまったわけだ。
そして俺が何気なしに早いと思いつつ、就活の話題を振ってみたところ、
あんまりにもきょとんとした顔になったから、「もしかして、ニート希望?」なんて、ちゃかしてみたところ、

「就活も何も、これから進路相談だし、行くとしたら専門だし」

と、答えたので、それでようやく彼女がまだ高校生ということを知った。


「いや、あんときはマジで蒼ざめたし、むしろあのコンパニオンの会社やべーよ」
「まぁあの後、しばらくして辞めたからね。先輩に何人か気付かれてたし」
「もしバレて学校とかに連絡いってたらアウトだろ」
「そんなバカな真似はしないって」
「で、もうすぐめでたく卒業だけど、進路無事決まっておめでとうな。それだけ言いたくて」
「なによ、いきなり。他に何かあるんじゃないの」
「いや、マジでそんだけ」
「はぁ??リョウヘイ頭おかしんじゃないの??」
「おかしいってこたないだろ。俺は純粋にそれ言いたかっただけだよ」

サラッと言ったつもりなのにだんだん恥ずかしくなってきたので、俺はカバンの中からあるものを取り出した。

「ってことで、進路決定祝いと、早いけど卒業祝い」

淡いピンク色した長方形の箱に白いリボンがかけてあるそれをヨシノの前に置いた。

自分でもらしくないと思う。
ましてや彼氏持ちの女にこんなものやるなんて非常識だしどうかしてる。
ヨシノの表情を見ると、当然だけど困惑してた。

「……これ、受け取れないよ」
「知ってる」
「だって、これじゃまるで……」
「まるで?」

まるで俺がヨシノを本当に好きみたいだ。

いや、本当はそのまんまの意味だ。

ヨシノが困ってるのもわかる。
俺がそれだけ自己中心的なプレゼントをしてるのもわかる。
黙ったままじゃ埒が明かないので俺は早々に切り札を出した。

「ただの餞別だし。今日が最後のつもりだったから」
「どういうこと?」

訝しがるヨシノに俺は微笑んだ。

「ま!おかげでホワイト企業に転職できて能力も買われまして、海外赴任決まったわけですよ。その途端、女子社員にモテ始めたからさ、奥さん候補探しに本腰入れようかと。ヨシノも彼氏と順調なようだし?……だから、もう会うのもおしまいにしたほうがいいかなってさ」

今日呼び出した真相に驚くと彼女は目をまんまるくさせた。それを見て、まるで猫が驚いた時みたいだなと思った。

「……別に、浮気相手とかじゃないじゃん、私たち」
「ま、ヤッたこともないしな」
「手、出してこなかったのリョウヘイだけだった」
「俺はちゃんとした大人ですから」

彼女の柔らかい髪をクシャっとなでる。いつもなら「もう!髪ぐちゃぐちゃにしないでよ」と怒ってくるのに、いつもと違う雰囲気に今日はおとなしいままだった。

「今更だけど、別に受け取ってくれなくてもいいしな。押しつけがましいって分かってお前にやってるんだし」

彼女の前に出した箱をやっぱりしまおうと手を伸ばすと、白いしなやかな指先に制された。その根元に走る金色の線。誰かのものの証。
そして、彼女は問答無用にラッピングのリボンをほどいて箱を開けた。

「あいつ、バカだから私が自分で買ったって言えば絶対にわかんないし」
「そんなこと言いながらヨシノちゃんはきっと彼氏への罪悪感でいっぱいだろ」
「私はそんなにピュア女子じゃないし」
「無理しなくていいよ」
「うるさいなぁ。ネックレス、失くしたばっからだからちょうどいいって言ってんの!」

留め金部分を外し、あっという間にネックレスは彼女の物になった。
首元に光る繊細な鎖に下がるのはシンプルな金の蝶。広げた羽の一か所に、小さなダイヤ粒が埋め込まれている。
大人っぽい彼女によく似合って、エゴだと分かっていてもホッとした自分がいた。

「……リョウヘイ、ごめんね」
「彼氏、ちゃんと大事にしろよ。好きなんだろ?」
「なによ」
「だから、彼氏の事。ちゃんと好きなんだろ。お前なりに」

今日久しぶりにヨシノに会って、彼女の変化がものすごく分かった。
退屈気に言って見せても本当は嬉しいなんて、会った時からとっくに気付いてる。
前はもっとツンとしてたけど、雰囲気が変わった。
彼氏の話をする時はなんだかんだで嬉しそうだし、指輪を大事にしてるのも伝わる。
俺はヨシノが彼氏とどんな付き合いをしているのか分からないし、考えたところでもう何の関係もないけれど、彼女をいい方向へ変えてくれる恋ならいいものに違いない。

混みだしてきた店内の色々な音がやけに耳に響いてくるほどに、俺たちは無言でいた。
はたから見たら俺たちはどんな風に見えるんだろうかと改めて思っては、
いくら自分たちはやましくなくても、サラリーマンと女子高生っていう世間的な見栄えの悪さに、罪悪感を感じないほど俺だってバカじゃない。

「彼氏を一番大事にしろよな。ってこんなプレゼントしておいて説得力皆無か」
「リョウヘイは、なんで私のこと、優しくしてくれたの」
「はぁ?」
「だって見返りなんもないのに」

彼女のなんのてらいもない疑問に、思わず『好きだったから』なんて本音をこぼしそうになって、こらえた。

「何となくほっとけなかったから、かな」
「ほんとにそれだけ?」
「それ以外ねーよ。そもそもなんの見返りもないけど優しくしたくなるのが縁ってもんじゃねーの?それともヨシノは今の彼氏に見返りありきで付き合ってんの?」
「そんなんじゃない!」
「ほらな。そういうこと」

彼女の飲んでいたフラペチーノはすっかりと汗をかいていて、俺の飲んでたコーヒーもぬるくなっていた。

俺たちはそれからしばらく、何となく言葉を交わさないまま、外の様子をぼーっと眺めていた。
大学と駅の真ん中に立地している通りは沢山の人が行き交い、大通りでは車のライトがせわしなく流れて、暗闇にヘッドライト光のラインがいつまでも残像として目に残った。

年の差や立場なんて、彼女が卒業してしまえば何のことはない。
できればその相手が自分だったらと思わないこともないけれど、選ばれなかったことがもう彼女の答えだから、悪あがきなんてかっこ悪くてできるわけがない。
たしかに彼女のことは好きだけれど、俺はヨシノには年相応の相手と、年相応の恋をしてもらいたいと思ったんだ。

蝶みたく色んな花へとひらひらと飛んでたはずなのに、気が付いたらもう前から羽を休める花を見つけたんだな。
本当に、これで良かった。
これが一番良かったんだ。

ありふれた歌詞みたいだけれど、きっとこの先どんなに環境が変わっても、夜のカフェに寄るたびに今夜のことを思い出すんだろう。

不謹慎にもそんなことを頭の隅に思いながら、最後のひとくちを惜しむようにコーヒーを飲み干した。


( 最後までかっこつけさせてくれて、ありがとな )