
短編小説「ましろ」
※お題にそった短編小説なので、原題は「始まり」という作品になります。
※オムニバス短編小説「不健全な真夏」「つま紅のシンデレラ」「はじまりの前の話について」などのずっと後のお話です。
「なんかね、できてたみたい」
撮影で使用した衣装を倉庫に運びながら、同じスタイリスト事務所に所属する先輩社員のヨシノさんが唐突に言い出した。
「何がですか?」
「赤ちゃん」
「はっ……?えっ……ちょ、とりあえずおめでとうございます!!」
憧れの先輩の突然なる朗報に驚きつつも、長く一緒に働いてきたからこそ自分事のように嬉しいと思った。
だけど……何だか戸惑っていそうなのはなぜだろうか?
【 ましろ 】
ヨシノさんは旦那さんと結婚されて12年目になるらしい。
元々生理が不順だったのもあるけど、今回は妙に体調も悪く心当たりも手伝って、産婦人科を受診したら6週目と診断されたばかりだそうだ。
学生結婚だったから年齢的にも31になるし、出産するにはちょうどいいと思うのだけれど、さっきから浮かない顔しているヨシノさんにはそう言えなかった。
仕事終わりに急遽お茶することになり、せっかくだからと職場近くにできたハーブティー専門店に入った私たち。
ヨシノさんはルイボスティー、私はカモミールティーを頼んで、二人してザクザクした感じのクランブルベリータルトをつついている。
こんがり焼けたタルトのクッキー生地は香ばしいけど硬くて、フォークを突き刺すたびにカツンと跳ねてしまうのがもどかしい。
ヨシノさんのプレートを見ると……わお。トッピングされたベリーとカスタード部分は食べてしまったのか見る影もなく、タルト部分は無残にも突き刺し過ぎて、もはや粉々だった。
私は気づかれないように小さくため息をついて、意を決して訊いてみることにした。
「もしかして、キャリアの心配のほうが大きいですか?」
私の問いにヨシノさんは一瞬止まり、「そっちのほうは考えてなかったわ」とあっけらかんと口にした。
違うんかい!と思わず拍子抜けで突っ込みそうになる。
「じゃあ何でそんな浮かない顔してるんですか。だって、ご結婚されて10年以上なら待望じゃないですか。それともお子さんは持たない主義とかでしたっけ?」
プライベートに踏み込みすぎかな?と思いつつも、ヨシノさんのアシスタントをして3年も経つ関係なので私たちの間柄としてはそこまで失礼にはならないだろう。
ヨシノさんはどういう人かというと、クールでさっぱり、一匹狼気質。
だけど組織でうまくやってける協調性もちゃんとあるし、
後輩の私にはクセのある顧客や同業の人の攻略アドバイスも的確にしてくれたり、先輩の中でも親切なタイプだと思う。
かといって恩着せがましかったり先輩風を吹かすわけでもなく、この業界は嫉妬心も強く足の引っ張り合いも多いのに、珍しく意地悪なところは微塵もない。
あとプライベートもベタベタしすぎないところも気が楽かも。
(多分あんまり他人にそこまで興味がないのかもしれないけれど……)
おまけに見た目も綺麗だし、女性誌にも名前で特集を組まれるほどにスタイリストのセンスだって良い。コンサバっぽいハンサムウーマンなコーデが得意で、ヨシノさんのSNSのinCameraだって、フォロワー数は1.5万人もいる。
そんな人のアシスタントにつけれて私は超ラッキーだと思う。
ヨシノさんはタルトを攻撃するのをやめて、フォークを静かに置いた。
「旦那がさ、喜ぶか分かんないんだよね。自由な人だからさ」
あ、そっちか。てか旦那さんはそういうタイプなんだ。
ヨシノさんの旦那さんであるカナタさんはメイクアップアーティストの仕事をされている。
ハイブランド関係の広告やショーのメイクをメインに活躍されていて、パリコレなんかにも同行しているので界隈では結構有名人。
たしか学生時代は自身もモデルをされていて、それがきっかけで大学を中退しメイクの道に進んだと業界誌のインタビュー記事に書かれてあった。
だけどこの二人、あんまりにも生活感も夫婦感もなさすぎて、しかも一緒に仕事をしている場面にも出くわしたことがないので、俄かに信じられなかったりもする。
けど苗字も旦那さんと一緒のミナミ姓だから本当に夫婦なんだろう。そもそもこの仕事もご結婚されてからってことになるし。
みんなこの夫婦に興味津々だけど、いかんせんヨシノさんはとっつきづらいから誰も聞けないでいる。だから後輩である私に皆ねほりはほり聞きにくるけれど、私だって聞けるはずもない。
それに昔から人の事情に首を突っ込んで、自分が良い気持ちになったためしはないのだから、気になるけれど余計な一線は超えない方が社会人の人間関係としては適切だ。
だからベタベタしない主義だけど、こうして一緒に働いてきたこともあるし、どう考えても戸惑っているヨシノさんを見て見ぬふりはできないなぁという気持ちも嘘じゃないので、私も少し戸惑ってしまう。
そんなわけで肝心な部分を恐る恐る聞いてみる。
「旦那さんって実は子供嫌いだったりします?」
そうだとしたら妊娠も話が違ってくる。手放しに喜べないのも分かる。
ていうか初めから男性の方が色々と気にかけて致してもらいたいくらいだ。結局大変な思いをするのは女性のほうなんだし。
ましてや自分の手に負えない子育てを無理やりするほど、子供にとって一番不幸な事はないって思ってしまう。
けれど私の問いに「うーん」と考えあぐねながら、
「嫌いってわけじゃないと思うけど、実は私達付き合い始めが『基本的に自由恋愛OK』で始まってるからさ。ウチちょっと変わってんだよね。まぁ、私は結婚してから浮気はしたことないけど。あっちはどうだか知らんけど」
と、驚きの事情を答えた。
ちょっと待って、自由恋愛ってどういうこと?
っていうかヨシノさんの私生活っていまいち謎に包まれていたけど、もっと謎だ。
私のリアクションに気付いたのか、ヨシノさんは申し訳なさそうにしながら「あなたとは3年近く一緒に働いてきたけど、私は今までプライベートの事あんまり話してこなかったもんね」と苦笑した。
「まぁ、正直言えばそうですけど、でも私も仕事と私生活分けたいタイプなんで分からなくもないです。あんまり深く関わっても気まずいですし、仕事に支障なければ私生活は自由とも思いますし」
私の言葉にホッとしたように、ヨシノさんはお茶に口づけた。私も一緒に飲む。少し緊張でのどが渇いていたのか美味しく感じた。
ヨシノさんは一呼吸ついてから、珍しく自分のことをぽつりぽつり話し始めた。
* * * * * * *
当時は小学生で思春期に差し掛かる頃に、母親が父親以外の男性と突然出て行ってしまったこと。
それが因果しているかは分からないけれど、気持ちがいつも寂しくて男性関係が派手だったこと。
だけど旦那さんと付き合い始めてから気持ちが変わってきたこと。
専門学生だった時に勢いで結婚したけれど、旦那さんとは気の合う友達夫婦みたいな関係で、仲が悪いわけじゃない。
自分はアパレル、向こうはヘアメイクの業界でお互い切磋琢磨して、今がとても充実していて良い状態であること。
多忙だから子育てするイメージが湧かない事もあるけれど、旦那さんから「子供欲しいね」という言葉は言われなかったし、自分も口に出すことが無かったこと。
だけど一番の不安は「母親」というものを信用できていない自分が「母親になる」ということ。
子供をちゃんと愛してあげれるのか、不幸にしてしまうかもしれない事が、正直怖いこと。
それを旦那さんに打ち明けていいかも不安なこと。
* * * * * * *
いつもクールに仕事をテキパキこなし、旦那さんとともにセンスも美貌も光ってて、誌面には涼しい笑顔でクールに週間コーデを組まれているほどの人気者で……何にも陰がないと思っていた。
何て言えばいいか分からないでいると、ヨシノさんが困ったように笑った。
「こんなの人に話すなんてめったにないから、驚かせてごめんね。
ほとんど立ち仕事でもあるから仕事に支障をきたすかもしれないけれど、なるべく事務所に迷惑かけないように頑張ってみるから。直属の後輩のあなたには申し訳ないけど、助けてくれると嬉しいな」
そんなふうに言われてしまうと、分かりました以外言えない。
正直な話、ヨシノさんが産休育休を取れば、戻る場所はうちの職場にはない。そのくらいポジション争いは熾烈だ。なんならヨシノさんにとって代わりたい人はごまんといる。
そして、当然そのことはヨシノさん自身も分かっているであろう。
けれどこれだけ人気スタイリストなら、事務所に所属してなくても彼女のセンスを必要としているところは無くはないし、独立するにはいい機会だと思う。
……それでも、子供を抱えながらということを思うと……その道も容易いものではないことは、結婚していない私でさえも分かる。
ヨシノさんに念のため、一番聞いてみたいことを聞くことにした。
「あの、ヨシノさんは……不安抱えてても、それでもお子さんのことは産みたい方向って考えていいんですよね?」
私の問いにヨシノさんは思案するまでもなく、ゆっくり頷いた。
それを見てしまったら、大人になって自分の中で自重するようになっていた『適切な距離』が、ムクムクと顔をだす。
そんなの、もう行動を取るしかない。択一だ。
「旦那さん、今は国内ですか?海外ですか?」
「……今は日本にいるけど…?夕方に名古屋での仕事が終わってホテル戻ってきたって連絡が入ってたから」
「じゃとりあえず、電話かけましょう、今。旦那さんに」
「え?」
「だから、電話。今すぐ。つべこべ言わずにスマホだしてください」
「や、だって、そんな急に」
「妊娠自体が『そんな急に』案件なんだから仕方ないです!父親じゃない私に話してもだめですって。旦那さんと話さなきゃ!」
「ありがたいけど、話を聞いて貰っただけでもアレなのに、これ以上迷惑かけるのは申し訳ないっていうか……」
なんか、分かった。
この人はクールとかじゃなくて、ずっと独りで頑張ってきちゃった人だ。
頼ったりすることが浮かばない、全部独りでやってきちゃった人だ。
そんな人が大事なことを打ち明けてくれてるのが、今この人にできる最大の「人を頼る」ってことなんだ。多分気付いていないだろうけれど。
私は、こういうのに気付いてしまいやすい性格なのもあり、絶対にそうだとカンが働く。そしてほぼほぼ外れたことがない。
「それこそ今更です!3年もヨシノさんのアシスタントしてきたんですよ!?
ずっと一緒にやってきて、ヨシノさんが困ってることくらい伝わってきますし、何にも気付かないで気楽に仕事に励んでる旦那さんが許せないくらいです!」
私の突然の勢いにヨシノさんは驚いて、目をまんまるくしている。
「……なんで、そんなに親身になってくれるの?」
「ヨシノさんは自分で思っているよりも、良い先輩ってことです」
「そうかな?あんまり面倒見の良い先輩じゃないと私では思ってるんだけど」
「そんなことないです!いつも的確にいろんなこと教えてくれましたし、入社当時から私がどれだけヨシノさんに感謝してきたか。
一緒に見てきたからこそ分かります。……ヨシノさんやっぱり表情が不安げですもん。
……それに私、言ってませんでしたけど、家が商売やってる商店街育ちなうえ、6人きょうだいの一番上で育ってきたので、結構世話焼きな性格なんです!
だから、ヨシノさんが正直心配でしょうがないです。ほっとけないですって!」
おしゃれなスタイリストの仕事に憧れていたのも、家庭環境があったかもしれない。
きょうだいが多く大学進学が望めなかった私が、唯一やりたいこととして気持ち的にも経済環境的にも許されたのが服飾の専門だけだった。
家族が嫌いなわけじゃないけれど、子供時代も、学生時代も、気付いたら世話焼きポジションになっていて、損だなぁと思っていた。
スタイリストなりたての時も、ファッション系でおしゃれでかっこいい業界で仕事しているのに、わちゃわちゃしてるのも、ちょっと恥ずかしいとさえ思ってたし。
とくに入社したての時から、ずっとヨシノさんには感謝しきりだ。
入社当時の私は、研修でやったスタイリングを他の先輩にケチョンケチョンに言われていた。
もちろんセンスが及ばないのは当たり前だから、下積みとしては当然と思って先輩方のアドバイスは心して受け止めていた。
だけど中には私の家庭環境を知るやいなや、見下して「庶民臭い。貧相な感じがする」「商店街育ちだからオフィスの雰囲気知らないもんね」ってチクチク言う人もいて、私はまだ新人だし言い返すなんてできるわけがなかった。
だけどヨシノさんは、そんな私の指導担当をわざわざ買って出てくれたらしい。
忘れもしない初対面。
残業として倉庫で備品を確認していた私の前に、撮影の仕事を終えて事務所に帰ってきたヨシノさんがやってきた。
私はそれまで先輩たちから冷たい態度をとられていたのもあって、内心すごく怖かった。とくにヨシノさんは愛想笑顔を作らず、フレンドリー感も出す事もないし、先輩の中でもマウントに参加することなく孤高然とした人だったから本当はどんな人かも分からなかった。
だけど、1冊の分厚いファイルを私に手渡しながら、
「あなたの指導担当になったミナミです。他の先輩に下の名前でミナミって呼ばれてる人がいるから、私の事はヨシノって呼び分けしてください。
2点伝えておくけど、明日から一緒に行動してくれればいいのと、とりあえずこの顧客先だけ全部頭に入れとけばなんとかなるから。
これからよろしくね。じゃあまた明日」
そう淡々と言って、去ってしまった。
ファイルを開くと、色んなコツがすごく丁寧に書かれていた。
後から他の子に聞いたら、指導担当の先輩からそんなファイルを受け取った子は一人もいなかった。
つまりヨシノさんは『余計な事は言わず最低限のワンポイントのみ。あとは背中で見て覚えろ方式』の先輩だった。だけどチクチク言われるよりかずっといい。
そこからひたすらアシストをした3年間で、直属の先輩から理不尽な扱いをされたことは1度もない。
おとなになったら絶対にクールに構えるようにしていようと思ってからこそ、ヨシノさんみたいな人がお手本として先輩になってくれたのは本当に幸運だった。
そんなことを思い出したら、余計に目の前の先輩に悲しい思いをしてほしくなかった。
ベタベタしない先輩後輩関係といえど、尊敬していることには変わりはないし、ヨシノさんが初めて個人的感情でSOSを出してくれたのだから、これで知らんふりしたら……。
今まで良くしてくれたことを思うと、この人と一緒に仕事する資格がなくなってしまう。
だから気落ちしてほしくないし、今度は私にできることで後押ししてあげたい。
私が今の仕事を何とか続けてこられたように。
真剣な顔で見つめると、ヨシノさんはため息をついて、
「なぁんか……私の周りって昔っから、世話焼きの人が多いのなんでなんだろ」
と漏らした。
「そうなんですか?」
訊ねるとヨシノさんは観念したように笑う。
「旦那もわりとマメなほうだし、仲のいいネイリストの友達もお節介焼きでプチお母さんみたいに心配性だし、今まで関わってきた周りの人みんなそういうタイプで。だからあなたは珍しい初めてのタイプだなぁなんて3年間過ごしてたら、ここにきて一番ド級の世話焼き」
「……す、すみません……。差し出がましいことですよね。私、今まで家族関係で色んな問題に巻き込まれて、長女だから結局解決しちゃうことも多くて損なことも多くて……。だから社会人になって粛々としようとは思ったんですけど……」
「ううん。むしろ私が一人っ子だから新鮮。けど、あなたの仕事ぶりはすごくマメできちんとしてるし、考えてみたら世話焼きの性格そのものだったかも」
そして、言い終えると頷いて、
「うん。たしかに言う通りだね。黙っててもしょうがないもんね。……こういうことは早くちゃんと言ってみなきゃね……」
スマホを持って席を立ち、本当に旦那さんへ電話をかけにいった。
ああ~~~~~やっちゃった!!
首を突っ込まずにいられない性格を呪うけれど、雑誌でもヨシノさんメインの仕事があるから避けられないし、
考えたらこういうのって自分のタイミングで言おうとしてたかもしれないのに……と思うけれど、3年ヨシノさんを見てきて「この人は大事なことは黙って一人で決めちゃいそうだなぁ……」と感じたのも事実。
外で電話してるヨシノさんを見ると……
さっきまで少し硬い表情だったのに、今はポカンとした顔になっている。
あれあれ、すぐに電話が終わったのか、こっちに戻ってきそうだ。
ヨシノさんが席に着こうとするやいなや、私は立ち上がって頭を下げた。
「すみません!考えたらすごく差しでがましいですよね!」
「いや、とりあえずみんな見てるから頭あげて、普通にして」
私の声にますます周りが注目して、二人してそそくさと座る。
そして呆れ笑うようにヨシノさんが言った。
「‥‥‥なんか、旦那が今日これから帰ってくることになった」
「えええっ!?」
「電話で言ったら一瞬止まって、なんか慌てて荷造り始めたのか、転倒するくらい気が動転したみたいで……今から新幹線乗って帰ってくるってさ」
「それって……」
「旦那の意外な一面見れた。ってことで、私も帰らなくちゃ」
「いえ、……あの、本当に良かったです!」
「私もちゃんと、話してみる。……ありがとね」
そう言ったヨシノさんは、今までにないくらいに柔らかな笑顔だった。
カフェの前で別れて後姿を見送ると、クールな彼女には珍しく嬉しそうな足取りに見えて、少しほっとした。
抜かりなく颯爽と伝票を取り上げて立ち上がった姿は、やっぱりどこまでもかっこいい先輩だなぁなんて思いながら。
そして不思議と、久々に家族に電話してみようかな、なんて思った。
なんでだろう。このド級のお節介にありがとうを言われることなんて、本当に久しぶりだったからかな。
昔はそんな風に言われても最後の方はありがたくもなんともなくて、どうせ流れで言ってるだけでしょ、気持ちもこもってないくせにとすら考えていた。
だけど今日言われた「ありがとね」は本当の「ありがとう」に響いた。
実家はそう遠くないから1か月に1度くらいは連絡してるけど、みんな変わりなく元気にしてるかな。
この時間はもう店じまいして皆でご飯を食べて、誰かがお風呂に入ったり、ドライヤーの順番で揉めてることだろう。
もしかしたらテレビ争いをしているかもしれない。勉強家の妹が「うるさい!」ってよく怒鳴っていたっけ。
部活の練習着洗うのに洗濯するから早く脱衣所あけろってお母さんも怒ってるかもしれない。
子供6人もこさえといて家の事なんにもしなかった父親も、最近はやっと皿洗いをやってくれるようになったらしい。今日もちゃんとやってるんだろうか。
家族の誰かが食欲が少ないだけで、やたら心配してくる両親は基本口やかましいし、妹も弟も自分の事しか考えてないし。妹には勝手に服を借りパクされるし。
夜中のトイレに叩き起こされるのしょっちゅうだったし、ついてってあげると有難うとか口にしてくれてたけど、本当に思ってたのかな、アイツら。
考えれば考えるほどちょっとだけむかつく。
あーあ、ほんとあの家うるさくて落ち着きなくて嫌だったな!
……だけど、私の指は既に一番暇してそうな弟の番号をさがしていた。
「はーい!じゃあヨシノさん、お腹に手を添えて、コッチの方向に目線は伏せ気味にしてください!あっ、きれい、きれい!そのまま撮りますね!もう1枚!」
カメラマンの掛け声のあと、連続シャッター音が広いスタジオに響く。
今日はヨシノさんのマタニティフォトの撮影日。
だけどよくある普通のマタフォトではなく撮影スタジオを貸し切って、完全に造形的な世界観が広がっていた。
撮影のたびにミリ単位でヘアスタイリングやメイクを直すのは、ヨシノさんの旦那のカナタさん。
カメラマンもカナタさん知り合いの写真家にお願いしている。そして衣装担当は私だ。
衣装も小物も徹底し、メイクも完全なるアートメイク。まるで雑誌の「装苑」に出てきそうな仕上がりになっている。
やわらかな生成り色のホワイトに、たっぷりとしたシフォン、オーガンジー、チュールが幾重にも重なったドレス。
モデルとしてイスに座るヨシノさんは、おとなしくされるがままだ。
いくつかショットを撮って、ポーズを変えるたびにドレス裾の広がりや、かたちを修正しに行く。
もうすぐ生まれそうに大きくせり出たおなかの隅には、白く繊細な蔓と羽根のペイントが描かれている。
そのお腹を優しく添える指先には柔らかなホワイトをベースに、オーロラ色に光るシャボン玉のようなガラスパーツがたくさんついた、造形的なネイルチップが施されていた。
ヨシノさんとご主人の高校の同級生で、今はネイリストをしているアズマさんの作品で、今回のマタニティペイントも彼女の手によるものだ。
「やっぱりカナタくんのメイクって、普通のメイクとは違うよねぇ。ショーとか、作り込まれた世界観にピッタリ。宣材写真にも充分使えるよ」
しみじみと感心するアズマさんの言葉に私は大きく頷いた。
アズマさんは綺麗にウェーブした豊かな黒髪を、毛先だけアッシュグリーンにカラーリングしていて、そばかすもあえてメイクで引き立っていてそれがチャーミングに見えた。ネイルも服とお揃いのビビットカラーで揃えており個性的でとっても可愛い。
彼女の雰囲気に良く似合っていて素敵だったので、今度ネイルしにお店に伺う約束をさせてもらったところだ。
今日の機会にカナタさんによるメイクを近くで見させてもらったけれど、見蕩れるってこういうことなんだなと実感したくらいに、技術も仕上がりも素晴らしかった。
もちろんヨシノさんの顔立ちが美人であることも手伝って、全体的に「生成りの白」をテーマにした世界観はすごく幻想的で、真新しい気持ちにもさせてくれた。
打ち合わせ段階で私も衣装デザインのイメージがすぐ浮かんだ。
久しぶりに問屋街に大量の生地を仕入れて、パターンも調整しながら丁寧に作った。
もちろん仕事の傍らだから基本は夜なべだ。だけど、自分から進んで作ることの歓びを久しぶりに思い出して、死ぬほど忙しいし毎日すごく眠たかったけど実に楽しい日々だった。
仕上がったドレスをヨシノさんにお披露目した時が一番緊張したけれど、ものすごく喜んでもらえて本当に良かったと思う。
あの日の夜、カナタさんはすっ飛んで帰ってきて、大喜びしてくれたそうだ。その瞬間、抱えていた憂いも「彼を信じて飛びこんでみよう」と思えたのだそうだ。
そしてカフェの夜から数日後。
職場には安定期に入ったら報告すると打ち明けてくれた時に、あつかましくも一つだけお願いをしてみたのだ。
” もしマタニティフォト撮るんなら、スタイリングは絶対に私にさせてくださいね!ちなみにメイクは旦那さん指名で! ”と。
ダメもとでドキドキしながら大それたことをお願いしてみたところ、ヨシノさんは嫌がることなく快諾してくれた。それもこんな嬉しい言葉を添えて。
「あなたのスタイリング、私結構好きだから楽しみだな。昔見せてくれた卒業制作のファッションショーのドレスも、個性的で私は結構好きだったよ」と。
だけど、ここからが笑っちゃう話。
貶しもしないけど、とりたてて褒めたりもしないヨシノさんから、まさかそんな風に言ってもらえるとは思わなかったので、
有頂天になった私は今までのお礼も伝えたくなって、
「ヨシノさんには、ダメダメでダサダサだった私の指導担当を申し出て、拾ってくれた恩を返したいって、ずっと思ってましたから!」
って調子づいて言ったら、ヨシノさんはちょっと止まって、
「あーー……あれね……」と、気まずそうにしたので、
「どうしました?」と訊いたら、なんとも拍子抜けする真相を言われたのだ。
「実は、新人の中であなたが一番、口数に余計な部分が無さそうな子だなぁ~と思ったからなんだよね……」
「えええええええええ~~~そんなぁ~~~~!」
……──そんなやりとりを思い出したら顔がニヤけていたのか、
「なーに笑ってんの」と、ヨシノさんにちょっとだけ小突かれた。
私は「なんでもないです」と抑えられなくなった笑みを我慢せず、へらついてドレスの裾を直す。
まぁ、3年もそばで見てきた身として面倒くさい事を厭うヨシノさんからしたら、すごく『らしい』かもしれないなと思うけど、今になってそんなネタバレになるとは思わなかった。
それでも、今までを考えたらやっぱり私はこの人に拾って貰えてラッキーだったっていう方が勝るからいいんだけどね。
「じゃあ、今度はカナタが後ろからヨシノさんをそっとハグしてみて!」
「了解でーす」
「えっ!そんなこっぱずかしいの私ヤなんだけど……」
「そんなこと言うなし!」
「だってこれ残るんでしょ?」
「残すために撮ってんじゃん!」
「はいはい、ヨシノさんもご主人もちゃんとしてください!衣装もきれいに見えるように調整するんで、早くポジションついてください!」
「「……はい……」」
幸せであってほしいと願う人の「家族のはじまりの写真」に携われること、すごく光栄なことだとつくづく思う。
ましてや素敵なメンバーでの、みんなの作品、みんなの記念にもなるなんて。今日はなんて特別な日なんだろう。
ヨシノさんの娘さんは、生まれる前から大業を成しているとしか思えない。
どうか元気な子が生まれてきますようにと、心から願いながらヨシノさんの衣装を直した。
( 「姉ちゃん?!ちょ、みんな黙って!聞こえない!全員うるさい!!」っていう相変わらずに、道端で笑っちゃった夜だったんだよ、あの日。 )