ウイスキー/アイルランド起源説 チャーリー流:ウイスキー誕生ストーリー 《歴史の授業⑥》
■ウイスキーの発祥を探る旅
前回からの続きです!
上記が通説であるが、もっと早い時代にアイルランドに「蒸溜技術」が伝わり、「大麦の蒸溜酒」が飲まれていたんではないか? というのがチャーリーの考え。
ここまでが前回のお話です。
それでは今回は、アイルランドで「大麦の蒸溜酒」が誕生したタイミングを妄想してみたいと思います!
■通説への疑念
だって、紀元前後にエジプトのアレクサンドリアに「ビール」「蒸溜技術」「原始キリスト教」があったわけでしょ?
アイルランドやスコットランドのエリアに、ビール(4~6世紀に伝来)とキリスト教(5~6世紀に伝来)が伝ったのは、ざっくり同じくらいの時期と推定されています。
じゃ、普通に考えてそれと同時期に「ビール」や「キリスト教」と一緒に、「蒸溜技術」もアイルランドやスコットランドに来たんじゃないの?と思うわけです。
それが「蒸溜技術」だけが、11世紀とか、14世紀とか、はたまた16世紀とか、1000年近くも「エジプトから伝わらなかった=タイムラグがある」と考える方が、なんか違和感があるんですよね。
■最初は修道院の中だけで・・・
「ビール」や「キリスト教」と同じ時期かその少し後(例えば6~7世紀)に「蒸溜技術」が伝わったと仮定したら、当時は蒸溜技術を「嗜好品としてのお酒」に使っていたわけでないとます。
修道院の中の儀式や医療行為などかなり限られた世界で、それこそ「アクアヴィテ=命の水=スピリッツ」として使用(≒飲用)していたと思います。
それが、どこのかのタイミングで蒸溜技術が、修道院から民間へ流出して(例えば8~9世紀)、「大麦の醸造酒=エールビール」を蒸溜するようになって、『ウイスキーが誕生』したのではないか?と、チャーリー的には妄想してしまいます。
で、それがアイルランド発祥説の1つ、「ヘンリー2世のアイルランド遠征時の兵士の報告」へと繋がると、時系列の流れは完璧だと思うんですよね。
ただ、この妄想の決定的な弱点は「物的証拠」がない点です。
修道院の遺跡などから『蒸溜器』などが発見されれば、かなり強い証拠となるのですが、この時期のアイルランドやスコットランドの遺跡からは、そのようなものは今のところ発見されていません。
■チャーリー流:ウイスキー誕生までのストーリー
物的証拠がないものの、チャーリー的にはこのように考えています。
では、アイルランドとスコットランドのどちらで先に「大麦の蒸溜酒=ウイスキー」が誕生したのか?
チャーリーには、アイルランドに軍配を上げます!
なぜなら地図を見ながら、キリスト教の伝来ルートを確認すると、そのようにしか思えないからです。
■キリスト教の伝播ルート
それでは、次回はキリスト教の伝播ルートを地図で確認してみたいと思います!
そろそろ最終回が迫って来ました。
もう少しだけお付き合いください!