2008年、逆境に立ち向かって蒸溜開始 イチローズモルト!!
前回に引き続き、イチローズモルトの記事です。
日本のクラフト蒸溜所の興り『イチローズモルト』|チャーリー / ウイスキー日記|note
■イチローズモルトのすごいところ
再掲ですが、私が思う「肥土伊知郎さん=秩父蒸溜所=イチローズモルト」のすごいところは、以下の通りです。
今回は「2008年に蒸溜開始」について解説です!
■2008年という年
この2008年に蒸溜を開始したということが、本当にすごいです!
2008年は日本のウイスキーにおいて、とてもとても重要な転換期です。
この秩父蒸溜所の蒸溜開始の年であるとともに、サントリーが角ハイボールのプロモーション(ハイボールをジョッキで飲む新スタイルの提案)をした年なのです。
この角ハイ・プロモーションによって、日本国内のウイスキー消費が上昇に転じることとなります。
実はこの2008年当時、日本のウイスキーづくりは、もはや風前の灯火でした。
日本におけるウイスキー消費は1983年をピークに、25年間ずっとダウントレドで、市場が5分の1まで縮小します。
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昭和の時代に一世を風靡した「地ウイスキーメーカー」各社も生産を中止しています。(北のチェリー=笹の川酒造、東の東亜=東亜酒造、西のマルス=本坊酒造など)
日本国内では、サントリー(山崎・白州・知多)、ニッカ(余市・宮城渓)、キリン(御殿場)といった大手メーカーの蒸溜所が、かろうじで稼働している状況でした。
しかしこれらの各蒸溜所でも蒸溜をしない日の方が多く、蒸溜所見学に行っても、「ポットスチルに火が入り、蒸溜している場面」を見るのは稀だっといいます。
■あと数年耐えれば
そのため、2000-2010年は、様々な日本国内のウイスキー関係の施設が閉鎖となりました。
(2008年の角ハイ・プロモーションにより底を打ったウイスキー消費量は、2009年から上向くのですが、それが本格的に強い流れとして認識され、ウイスキー製造を増強する動きは、2010年からとなります。 ちなみに、かの有名なNHKのマッサンの放映は、各社のウイスキー販売増に続き、生産増の流れが起こっていた2014年です。)
代表的なところでは、現在はカルト的なまでの人気を得ているメルシャンの軽井沢蒸溜所も、2004年にはオフィシャルなウイスキー生産を終了し、2012年に閉鎖、2016年に建物解体となっています。
本当に惜しまれることで、あと数年、持ちこたえれば、「引く手あまたで、まったく手に入らない」までのシングルモルト軽井沢人気になるわけですが、ここまでのウイスキーのトレンド回復を読めた人はいなかったでしょう。
■軽井沢蒸溜所について簡単に解説
軽井沢蒸溜所は1955年に大黒葡萄酒が開設した蒸溜所です。
大黒葡萄酒は、現在のメルシャンです。
そしてメルシャンは、2007年にキリングループの傘下となっています。
当時はサントリーなどとともに、ワインやウイスキーといった洋酒のトップメーカーの一角でした。
軽井沢蒸溜所は、1976年に日本初のシングルモルトウイスキー「ストレート・モルト・オーシャン軽井沢」を発売します。
当時は、まだ「ブレンディッドウイスキーしかない」時代です。海外ではグレンフィディックが世界で最初のシングルモルトを1963年に発売していますが、世界的にもまだまだシングルモルトはマイナーな存在。
軽井沢はそのようなチャレンジ精神にも富んでいたようです。
ちなみに、ニッカが初のシングルモルト「ピュアモルト北海道12年」を発売するのが1982年、サントリーが初のシングルモルト「シングルモルトウイスキー山崎(12年)」を発売するのが1984年です。
ところで、現在、2つの「軽井沢」のフレーズのつく蒸溜所が開業準備中です。
1つ目は、「軽井沢蒸留酒製造」が軽井沢町の近郊・小諸市で立ち上げる「小諸蒸留所」です。マスターディスティラーには、台湾カバラン蒸溜所のマスターディスティラーを務めたイアン・チャン氏を招くそうです。
2つ目は、日本酒の蔵元・戸田酒造さんが母体の「軽井沢ウイスキー株式会社」の軽井沢蒸溜所です。こちらはメルシャンの元スタッフの方々を、顧問や工場長に招くそうです。
どちらも2022年の蒸溜開始を目指していますが、HPには英語表記(中国語表記も)があり、海外からの「軽井沢ブランド」の人気の高さをうかがわせます。
そして、実は解体される前のメルシャン軽井沢蒸溜所では、秩父蒸溜所を開設する前の2006年に、肥土伊知郎さんが、1ケ月以上にわたって研修を受けさせてもらっていたといいます。
■2008年に蒸溜を開始するという気概・使命感
話を戻します。
その最もウイスキーのトレンドが一番落ち込んだ、2008年にウイスキーづくりに参入するなんて、普通では考えられないことです。
(ベンキャーウイスキーは、2004年に会社を創業、2007年に秩父蒸溜所建設に着工していますので、ウイスキーブームを受けたものではありません!)
これって、もし「事業計画書」を持って、ベンチャーキャピタルを回ったとしても、
「25年間ダウントレンドだぞ! こんなレッドオーシャンに進出するなんて無謀としか言いようがない!」
と、出資してくれる人は、いなかったんじゃないでしょうか?
そんな前例のない厳しい環境の中、日本でウイスキーづくりに参入した人。
そう、サントリーの創業者:鳥井信治郎さんを彷彿とさせますね!
鳥井さんも、ウイスキー参入に際しては、社員や友人知人、全員から反対されたそうです。
このあたりはもう「ビジネスプラン」というよりは、「気概」「使命感」といった言葉の方がしっくりくるのかも知れません。
私からしたら、もう、リスペクトしかありません!
■秩父蒸溜所の初期時代
ウイスキーは基本的には3年間の貯蔵が必要になります。
その間、売上収入がないわけで、キャッシュフローが大変です。
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サントリーは「赤玉ポートワイン」、ニッカウイスキーは「りんごジュース」で、ウイスキーができるまので、キャッシュを生み出しました。
それではベンチャーウイスキー秩父蒸溜所はどうしたのでしょうか?
答えは、民事再生となってしまった実家の東亜酒造にあった羽生蒸溜所の「ウイスキー原酒樽」でキャッシュを生み出した、のです!
笹の川酒造さんに預かったもらった羽生蒸溜所の原酒を瓶詰し、2005年「イチローズモルト」として販売を開始するのです。
ただ、これも2009年からのウイスキー復権の前の時期、なかなか売れなかったそうです。。
今回はここまで。
次回も引き続き、私の思う「イチローズモストのすごいところ」を解説です!