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日本における舶来酒へのチャレンジ~明治期~《5大ウイスキー⑦》
■5大ウイスキーについての7話目です
前回までのおさらいです。
《世界5大ウイスキー》
◇ウイスキー発祥国系
(アイルランド/スコットランド)
◇移民系(アメリカ/カナダ)
◇産業としてスタート(日本)
日本のウイスキーづくりは、1923年(大正12年)にサントリー創業者:鳥井信治郎が竹鶴政孝(のちにニッカウヰスキーを創業)を工場長に据え、そのスタートを切った。
日本では、古来、米からつくられる清酒(≒日本酒)が酒類のトップの座に君臨して、明治維新以降も、日本酒業界には国からの惜しみないサポートがあった。
今回はこの続きからです。
■明治維新以降の舶来酒へのチャレンジ!
明治維新で西洋文化が入って来るようになると、
・欧米列強に追いつくんだ!
・日本でも高品質な舶来酒をつくれることを証明してやる!!
・高品質な国産洋酒で輸入品を排除、外貨流出をストップ!!!
・むしろ日本産を輸出して外貨を稼ぎ、国力を高めるんだ!!!!
といった明治の熱き男達が、果敢に様々な舶来酒づくりにチャレンジします。
その中でも、民間だけでなく、国も『殖産興業』として後押しした主な酒類が、
・ビール
・ワイン
です。
◇殖産興業とは?
明治時代に行われた 日本の産業が発展するように政府自ら行った産業に対する政策 のことです。 これによって日本の近代化か加速し、様々な分野が発達していきました。
【殖産興業とは】簡単にわかりやすく解説!!政策の意味や目的・影響・結果など | 日本史事典.com|受験生のための日本史ポータルサイト
■殖産興業としてのビール
日本におけるビールづくりは、「外国人技師」の醸造によって始まりました。
日本人経営者による初のビール会社は、大阪堂島で渋谷庄三郎がアメリカ人醸造技師フルストを雇って、1872年に創業した「渋谷(シブタニ)ビール」です。この渋谷ビールは規模を拡大できず、1881年渋谷の死を持って製造を終了します。
1885年には、アメリカ人コープランドが、横浜居留地内でスプリングバレー・ブルワリーを開業します。これは回り回って、今のキリンビールに繋がります。
代官山にあるキリンビールが経営するスプリングバレー・ブルワリー東京も、この流れを汲むブルワリーです。
そして、国によるビールづくりも推進されます。
それが、北海道開拓使(1969年設置)が、1876年に開業させた開拓使麦酒醸造所です。
ここでは、ビールの本場ドイツで修行した初の日本人醸造技師:中川清兵衛を雇っているので、ここが日本人技術者による初のビール工場ということになります。
この醸造所からは1877年に「サッポロビール」が発売されました。その後、開拓使が廃止されたりして、回り回って、今のサッポロビールに繋がります。
そのため、日本に現存する最古のビールブランドは、これとなります。
■殖産興業としてのワイン
民間人でも果敢にワインづくりにチャレンジしていますが、その中でも有名なのが岩の原葡萄園(1890年開設)の創業者であり、マスカットベーリーAなどワイン用葡萄品種の開発に尽力した川上善兵衛です。
川上は私財を投入してワインづくりに没頭しましたが、ワインはビールとともに日本政府から特に期待されていた酒類です。
そのため、国は殖産興業のターゲットとして、ワインづくりを後押ししました。
例えば、1877年に内務省が東京・三田の地に三田育種場を開設します。
ここでは色々な穀物や果樹が試験栽培されましたが、3つの大分類で試験栽培をしていました。
そのうち1つが「加工原料用のブドウ栽培」でした。
つまり、ワイン醸造に適した葡萄の試験栽培を、国(内務省)主導で行っていたのです。
(日本のワイン・誕生と揺籠時代 P85~97 麻井宇助・著 日本経済評論社)
また同じ1877年には、翌1878年開催のフランス・パリ万博の政府の先発部隊に伴われて、甲州ブドウ栽培の知識のある山梨県の若者2名が、外国ブドウの栽培法を学ぶため渡仏しています。
そして、ビールでも登場した北海道開拓史でも、ブドウに大きな期待がかけられていました。
北海道では、リンゴ・ナシ・スモモ・ウメ・桜桃などを試験栽培しましたが、1889年(開拓使は1882年に廃止済)の調査では、育成した果樹の約32万本のうち、9割近い約27万本がブドウだったそうです。
■そしてウイスキー!
このように明治維新以降、ビールやワインは「殖産興業」として国から新規参入のサポートがありました。
それではウイスキーは!?