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『ニッカウヰスキー』と『鈴木商店』
■鈴木商店とは?
かつて、日本史で勉強したかも知れませんが、第二次大戦前にあった総合商社で、当時は三井・三菱よりも大きく、圧倒的No.1の売上を誇っていました。
鈴木商店の歴史|鈴木商店のあゆみ|鈴木商店記念館 (suzukishoten-museum.com)
《鈴木商店 歴史概要》
■1914年
第一次世界大戦(~1918年)の好景気で躍進。
■1917年
三井物産を抜いて日本一の商社に。
■1918年
[7月] 富山で米騒動(米がないので富山の漁師の主婦たちが米店を襲撃)が発生。
[8月] 鈴木商店が米を買い占めているという噂が立ち、鈴木商店本社が焼き討ちされる。(ただ、会社自体が倒産するほどのダメージではなかった。)
[11月] 第一次大戦の終結。戦争景気から一転、戦後不況の流れに。
■1919-20年
鈴木商店の絶頂期。
■1922年
ワシントン海軍軍縮条約。
軍艦保有数を減らす内容だったため、傘下の神戸製鋼所などの経営が大ダメージを受け、会社倒産の危機に。
■1923年
関東大震災が発生。
鈴木商店はどさくさに紛れて、震災手形を使った損失処理を試みる。
■1927年
昭和金融恐慌(大蔵大臣の失言による取り付け騒ぎ※)により、銀行からの新規融資がストップ。資金ショートにより鈴木商店は倒産。
◇取り付け騒ぎ(=取り付け騒動)
特定の金融機関や金融制度に対する信用不安などから、預金者が預金・貯金・掛け金等を取り戻そうとして(=取り付け)、急激に金融機関の店頭に殺到し、混乱をきたす現象のこと。経営破綻するという噂や、不確実な情報、デマが引き金となることが多い。
こうして、1917年に三井物産を抜いて、日本No.1の総合商社となった鈴木商店は、その10年後の1927年に破綻したのです。
■竹鶴政孝×鈴木商店
竹鶴政孝は、1918年7月に日本を旅立ち、アメリカ経由(ワインづくりを視察)で、スコットランドへ渡り、1920年11月に帰国するまで、ウイスキーづくりを学びました。
その竹鶴の書著「ウイスキーと私」の中に、こんな記述があります。
(アメリカに渡った竹鶴が、ワインづくりを学んだ西海岸から東海岸へ、汽車で移動したときの記述。おそらく1918年8月頃。)
私がサクラメントで勉強しているちょうどそのころ、日本では有名な米(こめ)騒動が起こっていた。
サクラメントの生活に別れをつげ、汽車でロッキー山脈を越えてニューヨークに出たとき、私のほかもう一人日本人が乗っていた。米騒動で犠牲になられた神戸の鈴木商店の長男のかたで、その汽車のなかで日本からの「スグカエレ」の電報を受取られたのは気の毒であった。
ニッカウヰスキー発行
竹鶴政孝 × 鈴木商店・長男(日本一の商社の若旦那)
こういう偶然ってあるんですね!
ちなみに、私も最近、中部空港(セントレア)から松山空港への飛行機に乗ったのですが、その飛行機で、広島勤務時代に親しくしていた「広島市のお客様」と一緒の飛行機になり、ビックリしました!
そのお客様は「セントレア空港を使うのは初めて」とおっしゃっていたので、奇跡的だなーと。
その上、飛行機に乗り込んでみると、なんとお隣りの席!!
二人で大爆笑した後は、話が弾みに弾んで、松山への飛行時間があっという間でした。
話がだいぶ逸れたので軌道修正。
竹鶴さんは、中学三年では寮長をしていたそうですが、その時に寮にいた後輩が池田勇人首相なのだそうです。
人との縁(鳥井信治郎さんとの出会いが最たるものですが)に恵まれた人だったようですね。
■ニッカ門司工場×鈴木商店
ニッカ・ザ・グレーンでブレンドされているグレーンウイスキー原酒の1つが、「元々、焼酎をつくる工場である門司工場でつくられている」というのは、先日ご案内しました。
焼酎蔵でグレーンウイスキーづくりをはじめました! 『ニッカ・ザ・グレーン』②|チャーリー / ウイスキー日記 (note.com)
この門司工場について調べていると面白い歴史を発見しました。
ニッカウヰスキー門司工場の前身は、
鈴木商店・大里酒精製造所である。
おお!
ニッカと鈴木商店が、再び出会ったではないか!!
◇ニッカウヰスキー門司工場
◾️1914年
鈴木商店・大里酒精製造所が開設。原料アルコールを製造。
◾️1917年
焼酎製造を開始。この年、合併により日本酒類醸造という社名に。
◾️1960年
協和発酵が日本酒類を合併。
◾️2002年
アサヒビールと協和発酵が共同出資会社を設立。
◾️2005年
共同出資会社が、アサヒビールの完全子会社に。
◾️2006年
その共同出資会社が、アサヒビール傘下のニッカと合併、解散。
ニッカウヰスキー門司工場が誕生(焼酎製造)。
◾️2017年
グレーンウイスキーの製造を開始。
鈴木商店
→ 日本酒類
→ 協和発酵
→ アサヒビール
からの
→ ニッカウヰスキー
というのがニッカと鈴木商店の縁を感じます!
■ご縁ってありますよね
ウイスキーづくりを学ぶための旅路で、竹鶴政孝が鈴木商店の息子さんにアメリカで出会ったのが、1918年。
その約100年後の2017年に、竹鶴のつくった会社ニッカウヰスキーは、鈴木商店のつくった門司のアルコール製造工場で、グレーンウイスキーをつくり始めるわけです。
こういう「人のご縁」というものはありますし、面白いものですよね!
以前もケンタッキー州のご縁をご紹介しました。
ご縁でつながるケンタッキー州「3大名物」|チャーリー / ウイスキー日記 (note.com)
今後も面白いご縁を発見したら、ご紹介したいと思います!