『ニッカウヰスキー』と『鈴木商店』
■鈴木商店とは?
かつて、日本史で勉強したかも知れませんが、第二次大戦前にあった総合商社で、当時は三井・三菱よりも大きく、圧倒的No.1の売上を誇っていました。
鈴木商店の歴史|鈴木商店のあゆみ|鈴木商店記念館 (suzukishoten-museum.com)
こうして、1917年に三井物産を抜いて、日本No.1の総合商社となった鈴木商店は、その10年後の1927年に破綻したのです。
■竹鶴政孝×鈴木商店
竹鶴政孝は、1918年7月に日本を旅立ち、アメリカ経由(ワインづくりを視察)で、スコットランドへ渡り、1920年11月に帰国するまで、ウイスキーづくりを学びました。
その竹鶴の書著「ウイスキーと私」の中に、こんな記述があります。
(アメリカに渡った竹鶴が、ワインづくりを学んだ西海岸から東海岸へ、汽車で移動したときの記述。おそらく1918年8月頃。)
竹鶴政孝 × 鈴木商店・長男(日本一の商社の若旦那)
こういう偶然ってあるんですね!
ちなみに、私も最近、中部空港(セントレア)から松山空港への飛行機に乗ったのですが、その飛行機で、広島勤務時代に親しくしていた「広島市のお客様」と一緒の飛行機になり、ビックリしました!
そのお客様は「セントレア空港を使うのは初めて」とおっしゃっていたので、奇跡的だなーと。
その上、飛行機に乗り込んでみると、なんとお隣りの席!!
二人で大爆笑した後は、話が弾みに弾んで、松山への飛行時間があっという間でした。
話がだいぶ逸れたので軌道修正。
竹鶴さんは、中学三年では寮長をしていたそうですが、その時に寮にいた後輩が池田勇人首相なのだそうです。
人との縁(鳥井信治郎さんとの出会いが最たるものですが)に恵まれた人だったようですね。
■ニッカ門司工場×鈴木商店
ニッカ・ザ・グレーンでブレンドされているグレーンウイスキー原酒の1つが、「元々、焼酎をつくる工場である門司工場でつくられている」というのは、先日ご案内しました。
焼酎蔵でグレーンウイスキーづくりをはじめました! 『ニッカ・ザ・グレーン』②|チャーリー / ウイスキー日記 (note.com)
この門司工場について調べていると面白い歴史を発見しました。
おお!
ニッカと鈴木商店が、再び出会ったではないか!!
鈴木商店
→ 日本酒類
→ 協和発酵
→ アサヒビール
からの
→ ニッカウヰスキー
というのがニッカと鈴木商店の縁を感じます!
■ご縁ってありますよね
ウイスキーづくりを学ぶための旅路で、竹鶴政孝が鈴木商店の息子さんにアメリカで出会ったのが、1918年。
その約100年後の2017年に、竹鶴のつくった会社ニッカウヰスキーは、鈴木商店のつくった門司のアルコール製造工場で、グレーンウイスキーをつくり始めるわけです。
こういう「人のご縁」というものはありますし、面白いものですよね!
以前もケンタッキー州のご縁をご紹介しました。
ご縁でつながるケンタッキー州「3大名物」|チャーリー / ウイスキー日記 (note.com)
今後も面白いご縁を発見したら、ご紹介したいと思います!
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