見出し画像

日本のウイスキーづくりの幕開け 《5大ウイスキー⑧》

■5大ウイスキーについての8話目です

前回までのおさらいです。

《世界5大ウイスキーの3分類》

◇ウイスキー発祥国系
 (アイルランド/スコットランド)

◇移民系(アメリカ/カナダ)

◇産業としてスタート(日本)
日本のウイスキーづくりは、1923年(大正12年)にサントリー創業者:鳥井信治郎が竹鶴政孝(のちにニッカウヰスキーを創業)を工場長に据え、そのスタートを切った。

日本では、古来、米からつくられる清酒(≒日本酒)が酒類のトップの座に君臨して、明治維新以降も、日本酒業界には国からの惜しみないサポートがあった。

明治維新以降の殖産興業で、舶来酒でも「ビールづくり」や「ワインづくり」は、国からのサポートがあった側面もある。

では、日本での「ウイスキーづくり」は?

今回はこの続きからです。


■私が調べる限り

日本政府が殖産興業として日本における「ウイスキーづくり」をサポートした記録は、私がウイスキーを勉強して来た中では出会っていません。

つまり、

サントリー創業者の鳥井信治郎が
国からのサポートなどない中で
1923年の山崎蒸溜所の建設を発表した。

これが日本の「本格的なウイスキーづくり」のはじまりです!


■イミテーションウイスキーの時代

「本格的なウイスキーづくり」という表現を使いましたが、それと対となる「本格的でないウイスキー」というものもありました。

それが19世紀後半に日本でつくられていたイミテーションウイスキーです。

この明治期には、「西洋から入って来るお酒」に、どうにか似せようとして、主に薬種問屋さんがその「調合=お酒でいうところのブレンド」の知識を駆使し、アルコールに色々なものを混ぜ込んだり、着色したりしながら、

それっぽいウイスキー
それっぽいワイン

をつくり、販売していました。

それっぽいワインの大ヒット商品が、1907年に壽屋(現サントリー)が発売した「赤玉ポートワイン」です。
これはその時代の日本人の味覚にマッチした味わいでした。
そして、今も「赤玉スイートワイン」と名前を変え、販売されている超ロングセラー商品です。

一方で、それっぽいウイスキーというものも各社から発売されていました。

1911年に壽屋からも「ヘルメスウイスキー」が発売されましたが、これは本格ウイスキーではなく、混成酒(イミテーションウイスキー)となります。

蒸溜と「ヘルメスの術」/鳥井信治郎は錬金術師だった[ウイスキー&バー] All About


■初の木樽熟成系ウイスキー/初代トリスウイスキー

公式にはトリスウイスキーは、1946年の発売です。

下記のサントリーHPから引用

TORYS HISTORY トリスサントリー

ただその約30年前、1919年に初代トリスウイスキーが発売されています。

このウイスキーは、イミテーション(混成酒)でしたが、「木樽熟成」された原酒が使われていたことは特筆に値すると思います。

古い葡萄酒の樽から琥珀色の液体をコップに受け、舌に転がしてみた。まろやかで香りがいい。樽に詰めたまま放置していたリキュール用のアルコールが思いがけず、時間の経過でコクのあるまろやかな味わいに変わっていた。「いけるやないか」と鳥井信治郎はつぶやいた。1919年(大正8年)のことだ。
さっそくこれに「トリスウイスキー」と名付けて売り出したところ、好評であった。(中略)この最初のトリスウイスキーは瞬く間に売り切れてしまった。

日々に新たに「サントリー百年史」P70
発行:サントリー㈱

1919年といえば、摂津酒造に勤めていた竹鶴政孝が社命で「スコットランドへのウイスキー留学」を命じられ、日本人初の蒸溜所研修(ロングモーン蒸溜所)を受けることとなる、まさにその年です。

その1919年に、すでに木樽熟成させたイミテーションウイスキーを発売していたことに、驚かされます。

そして、この時に「木樽熟成の神秘」に魅せられた鳥井は、1923年の日本初の本格ウイスキー蒸溜所=山崎蒸溜所へ建設へと突き進んで行くことになるのです。


■他の4ケ国との違い

話を戻して、5大ウイスキーの他の4ケ国と、日本のウイスキーの大きな違いは、その出発点にあります。

◇ウイスキーをつくりはじめるキッカケ

◆ウイスキー発祥国系:13~15世紀頃~
(アイルランド/スコットランド):
   &
◆移民系:17世紀頃~
(アメリカ/カナダ)
   ↓
 まずは農民が「自分たちで飲むため」のウイスキーをつくりはじめた。
 そこから徐々に産業化していった。

◆日本:1923年~
   ↓
 鳥井信治郎が「日本国民へ売るため」のウイスキーをつくりはじめた。
 最初から産業(≒ビジネス)としてのスタート。

これは時代の違いに起因します。

日本は他の4ケ国に比べて圧倒的にウイスキーをつくりはじめた時代が遅いので、その頃には世界のウイスキー業界はすでに産業化されていた、ということです。

それにしても、国からのサポートもなく自己資金で、果敢にウイスキーづくりに新規参入した鳥井。
重役社員のみならず、鳥井が知人の100人に聞けば100人が、1,000人に聞けば1,000人が、ウイスキー参入に反対したといいます。

まして前例もなく成功するかわからないですし、熟成を必要としますからキャッシュフローも極めて悪くなるビジネスです。

鳥井のチャレンジ精神の強さを、ヒシヒシと感じますね!


■5大ウイスキーとしての違和感

「5大ウイスキー」という表現を、あらためてそれぞれの国のウイスキー史と照らし合わせた上で考えて見ると、1つの違和感を覚えるわけです。

これだけ時間差がある日本のウイスキーが、
5大ウイスキーに数えられる
ようになったのは、なぜなのか?

次回へ続きます!

いいなと思ったら応援しよう!