有名ブレンディッド・ウイスキーの銘柄は、街の商店発!
■ブレンディッド・ウイスキー 誕生の流れ
《前回記事》
『ブレンディッド・ウイスキー』、はじまりは雑貨屋のオヤジの閃きから!|チャーリー / ウイスキー日記|note
■有名ブレンディッド・ウイスキー銘柄は、街の商店発が多い!
このようにブレンディッド・ウイスキーは、「街の雑貨店・食料品店」がモルト原酒・グレーン原酒を生産者から仕入れてブレンド。
それぞれの商店が自社でブレンドした「ウイスキー銘柄」を売り込んでいった歴史があるので、「街の商店発」の有名ブランドが多数あります。
◇ジョニーウォーカー
ジョニ黒とかジョニ赤とか、色々な種類がありますが、そのジョニーウォーカー・ブランドは、5大ウイスキーにおいて、堂々の売上No.1です。
◇バランタイン
スコッチ・ウイスキーのブランド別売上ランキングで、ジョニーウォーカーに次ぐ、2位の売上を誇ります。
◇ティーチャーズ
白状します。私の「家飲みボトル」です。
少しスモーキーで飲みごたえがあり、酒質も良いのに、激安価格帯で、一番コスパが高いウイスキーだと思っています!
◇フェイマスグラウス
マッカラン蒸溜所を所有し、シングルモルト・マッカランを発売する会社が扱っている低価格ブレンディッド・スコッチ。
本場スコットランドでは、ベル、フェイマスグラウス、グランツが、三つ巴の売上1位争いを繰り広げています。
■ちなみに角瓶も街の商店発!
角瓶は日本で一番売れているウイスキーで、サントリーが販売しています。
サントリーは、創業者の鳥井信治郎が1899年に「鳥井商店」を創業したことにはじまり、「洋酒の寿屋」を経て、1963年に「サントリー」という社名となっています。
サントリーの創業ビジネスは「ウイスキー事業」や、「赤玉ワイン」と言われることが多いですが、創業当初の商いは、そうではありません。
鳥井商店は、
がスタートです。
驚くほど、スコッチウイスキーのスタートと似ていますね!
鳥井は、スペイン産ワインを樽で仕入れ、瓶詰をして、その本物の味わいを、当時の日本人に売り込もうとしたのです。
ただ、当時の日本人の味覚には本物のワインは酸味が強く、いかに「本物」であったとしても受け入れられなかった。
そこで鳥井は、独立前の丁稚奉公先で学んだブレンドの技術を生かし、大衆の舌にマッチした赤玉ポートワイン(現・赤玉スイートワイン)をつくり上げ、それが大ヒット。
会社の礎を築き、その後、日本初のウイスキー事業へ参入します。
この飲みにくいアルコール(最初はワイン、その後にウイスキー)を
「ブレンドにより大衆に受け入れさせる」
という流れも、スコッチのブレンディッド・ウイスキーの草創期とまったく同じです。
■商店発の商品が売れたわけ
スコッチのブレンド業者、そしてサントリー創業者鳥井が、ともに「アルコール原酒の製造会社」でなく、「食料雑貨店」がスタートであるのは偶然ではないでしょう。
というのも、彼らは『プロダクトアウト思考』の「良いものだから売れる」という職人的な考えでなく、「たたき上げの商人」ならではの『ど根性』と『マーケットイン思考』で、大衆が求めるものを考え抜き、品質改良を重ねて、「売れるまで」あきらめることなく挑戦し、変化し続けたからこそ、成功したのだと思います。
また、その頃、食料雑貨店では、当時すでに流通しだしていたワインやブランデー、香水や葉巻など高級嗜好品を取り使っているケースが多かったです。
大衆が求める「嗜好品」というものに対して、商店の経営者として、『極限まで感性を磨いた』という環境と気概があったことも成功の要因と考えられます。
このように、スコットランドでも日本でも、ウイスキーが、「洗練された都会の酒」として認知され普及し、市民権を得ていくまでの前段階には、「食料雑貨店」とその「ど根性を持った店主」が存在しているのです。
■スコッチ・ウイスキー=ブレンディッド・ウイスキーの時代
このように、ブレンディッド・ウイスキーが世の中を席巻すると、スコッチのモルト・ウイスキー業者(&アイリッシュ・ウイスキー業者)は危機感を抱き、
と裁判を起こします。
この1905年に起こされた裁判は、1906年に一旦はモルト・ウイスキー業者側に軍配が上がるも、37回の審理を経て、最終的には1909年に
という逆転判決で決着します。
こうして、スコッチ・ウイスキー業界では、およそ20世紀の丸々100年間は、「ほぼブレンディッド・ウイスキーしか存在しない」状態となりました。
■ブレンディッド・ウイスキー全盛が与える影響
次回はこれについてご紹介します!