スコッチのブレンディッド・ウイスキーが、ウイスキー界の王者に! 《ブレンディッド史③》
■前回までのおさらい
19世紀半ば(1860年くらいまで)は、ヨーロッパの貴族階級(フランスやイングランド)で好まれていたのは圧倒的に「葡萄のお酒」。
結論から言うと、ウイスキーは1860年頃からヨーロッパ各地で飲まれるようになりました。
その理由は、ブレンド技術が発明されたから!
ブレンド技術の進歩は、大きく3ステップに分けられます。
前回に①②をご紹介しました。
今回は《ステップ③》の解説から入りたいと思います!
■《ステップ③》ブレンディッド・ウイスキーの誕生
◇その①:連続式蒸溜機の誕生
1826年にロバート・スタインにより連続式蒸溜機が発明され、1830年にさらに進化バージョンの連続式蒸溜機がイーニアス・コフィによって開発されます。
コフィさんは「これって大発明!」ということで、ソッコーで特許を取ったので、この連続式蒸溜機はパテント(特許)スチルと呼ばれます。
日本では竹鶴政孝がスコットランド修行から帰国した時に「カフェ式」と日本に紹介したので、カフェスチルとも呼ばれます。
このカフェは、スタバのようなCAFÉではなくて、イーニアス・コフィさんの、コフィを竹鶴さんが日本語表記にしたものです。
連続式蒸溜機は、その名の通り「連続して蒸溜」するので、一気にアルコール度数が上がります。
そのため、モルトウイスキー製造のために大麦麦芽に使うと、「大麦の味わい」があんまり感じられなくなり、
ということになってしまいました。
逆に、ジン(をはじめスピリッツ・リキュール)製造のために使うと、
ということで、連続式蒸溜機はスピリッツ・リキュール業者に広まります。
◇その②:グレーンウイスキーの誕生
ジンやスピリッツ・リキュールづくりの一方で、
と思案した結果、あるマーケティング戦略を思いつく人が現れたようなのです。
それが、低価格戦略!
ということです。
連続式蒸溜機は、ポットスチルに比べ、生産量に対して圧倒的に手間がかからないので、人件費が削減できます。
そして、
と考えた結果、大麦麦芽100%ではなく、もっと仕入価格の安い他の穀物も入れるようになり、原材料費も削減できました。
(麦芽なしで、「麦芽以外の穀物100%」ではお酒は作れない、ということは何度かご紹介しています!)
こうして、
となりました。
このグレーンウイスキーは、香味が軽くて安かったので、庶民にはそこそこ売れたようです。
多分、1994年に日本で最初の発泡酒「ホップス」が誕生した時みたいな感じかと。
ただ、やっぱり
という意見が大半ではありました。
◇その③:モルトウイスキー×グレーンウイスキー
1860年に「異なる蒸溜所のウイスキー原酒」のブレンドが法的に認められ、ブランディッドモルト・ウイスキーが誕生した話は、前回しました。
そうです! ここで、
となるのです!!
■ブレンディッド・ウイスキーの快進撃!
このスコットランドで発明された「モルト×グレーン」の『ブレンディッド・ウイスキー』は一気に、ウイスキー業界の主役に躍り出ます!
スコットランドでは、
ということで、モルトウイスキー業者が裁判を起こします。
これが「ウイスキー裁判」と呼ばれるものですが、数年の審理ののちに、
と裁判所の判決が下るにいたり、ブランディッド・ウイスキーは正式に認めれることとなりました。
そして、このブレンディッド・ウイスキーはスコットランド国内だけでなく、アイリッシュ・ウイスキーをも駆逐することとなります。
実はそれまでは、アイシッリュ・ウイスキーの方がスコッチ・ウイスキーよりも人気がありました。
それは
だったので、アイリッシュの方が飲みやすくて人気があったからです。
ただ、スコットランドで発明されたブレンディッド・ウイスキーは、グレーン原酒が入っているだけに、アイリッシュよりも飲みやすかったのです!!
こうして、スコッチのブレンディッド・ウイスキーは、ウイスキー界の王者に君臨するに至ったのです。
■あれ?
でもここまでは、ウイスキー界でトップになりましたが、当時のヨーロッパ世界(特に貴族社会)でメジャーだった『ワイン』を駆逐するに至っていませんよね??
次回は、ウイスキー業界でトップに躍り出たブレンディッド・ウイスキーが、
についてお話ししたいと思います!