ピーターさん、それはNGです! 《ピーター・マッキー:後編》
■前回のあらすじ
お隣り同士。ラガヴーリン蒸溜所とラフロイグ蒸溜所 《ピーター・マッキー:前編》 | 記事編集 | note
さて、この時のピーター・マッキーさんの対応は、どのようなものだったのでしょうか?
■ピーターさんの対応
◇選択クイズ
Q:その時のピーターさんの対応は?
答えは②です。
というか、もはや③と言っても過言ではありません。
さすが、エキセントリックで有名なピーターさんです。
予想以上の反応をありがとうございます!
そして、激情家ピーターさんは、具体的な行動に出ます。
■激情家ピーターの逆襲 ①
怒り狂ったピーターさんは、裁判所にこの「代理店契約の破棄の無効」を訴えます。
で、結果は、ピーター・マッキーさんの敗訴。
ラフロイグ原酒の販売権は、イアン・ハンターさんの経営するラフロイグ蒸溜所へと戻ります。
ただ、ここでエキセントリックなピーターさんが、黙っているわけはありません。
この敗訴の判決にブチ切れたピーターさんは、次の行動に移します。
■激情家ピーターの逆襲 ②
もはや、逆恨みですね。コワイ。
ここでピーターさんのとった行動は・・・
ことでした。
これは完全にNGです。
日本でも、世界中どこでも水利権とは、古来、「部落間の抗争」の原因の最たるものの1つです。
特に、ウイスキーづくりには、水を大量に使用するので、水不足で操業に支障をきたしたなんて事例は、歴史上には数多くあります。
また、アイラ島は島だけに水は貴重ですから、ピーターさんの実力行使は完全にアウトです。
そして、水不足で操業不足に陥ったラフロイグ蒸溜所は裁判所へ訴え、今回も当然勝訴します。
これまでに2度、裁判で負けたピーターさんは、「合法的」かつ「スコッチ業界のビッグ5の財力」を駆使した、最後の逆襲を試みます。
■激情家ピーターの逆襲 ③
マジで、ピーターさん、ヤバい奴ですね。
こういう人とは絡みたくないものです。
というわけで、ラガヴーリン蒸溜所内に「モルトミル蒸溜所」という新しい蒸溜所を、ポットスチル2基を導入して、1908年に開設します。
ちなみに、ラフロイグの味わいを完コピするため、ラフロイグ蒸溜所の仕込みの主任をヘッドハンティングする念の入れようです。
で、できあがった原酒の味わいは・・・
ズコっ!
確かに、モルトウイスキーづくりは、環境の微妙な違いでも、「できあがる味わい」に違いを生み出すと言います。
そのため、このように、すぐ近くで「できるだけ真似をしてつくった」としても、味わいが異なることはありうることだと思います。
その後、ピーターさんは、この案件について飽きちゃったのか、会社経営が忙しくて(※)それどころでなかったのか、このラフロイグ案件についての関心は薄れていったようです。
※ 1899年のパティソン事件以降のスコッチウイスキーの大不況の時代でしたので、会社のかじ取りも相当に難しい時期だったと思います。
■伝説のモルトミル蒸溜所
このラガヴーリン蒸溜所内のモルトミル蒸溜所は、結局、1908年に開設した後、1962年にウイスキーの製造を終了します。
(ただ、製麦施設としては継続使用されて、そこで行われるフロア・モルティングは、1974年にポートエレン製麦工場ができるまで続けられました。)
『閉鎖蒸溜所』。
ウイスキー愛好家の大好きなフレーズです。
という架空の話をもとに、つくられた映画が英国の巨匠ケン・ローチ監督の「エンジェルズ・シェア=天使の分け前」です。
(ケン・ローチ監督は別作品で、カンヌ国際映画祭においてパルム・ドール=最高賞を受賞している名監督です。)
■その後
ピーター・マッキーの率いたマッキー社(1924年にピーター没後、ホワイトホース社へ社名変更)は、1927年にDCL社(今のディアジオ社)に買収されます。
一方で、イアン・ハンターの率いたラフロイグ蒸溜所は、イアンの秘書を勤めていたベッシー・ウィリアムソンという女性経営者へと引き継がれます。
ベッシーは、スコットランド初の女性の蒸溜所トップとして辣腕を振るいますが、それはまた別に機会に記事化したいと思います!
《参考資料》
「稲富博士のスコッチノート」の以下の章を参考にしています。
第120章 アイラ島蒸溜所総巡り−5.ラガヴーリン蒸溜所
稲富博士のスコッチノート 第120章 アイラ島蒸溜所総巡り−5.ラガヴーリン蒸溜所 (ballantines.ne.jp)
第123章 アイラ島蒸溜所総巡り−7.ラフロイグ蒸溜所
稲富博士のスコッチノート 第123章 アイラ島蒸溜所総巡り−7.ラフロイグ蒸溜所 (ballantines.ne.jp)
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