なぜ「焼き鯛」ではなく「鯛焼き」なのか? ―身近な比喩のすがた―
「鯛焼き」と聞いて、こんがりと焼いた魚をイメージする人はほとんどいないでしょう。「鯛を焼いたもの」と「鯛焼き」は別物です。同じことが、「目玉焼き」にも言えます。目玉焼きも鯛焼きも、その見た目から、いわば連想ゲーム的につけられた名前であって、決して「焼き鯛」とか「焼き目玉」のように呼ばれることはありせん。こういった呼び名は、むしろ「焼いた鯛」や「焼いた目玉」を想起させます。
「焼き~」という言い方は、特定の素材や材料を焼いたもの全般に対して付加可能な接頭辞です。焼きりんご、焼きとうもろこし、焼き魚、焼きそば・焼きうどんなど具体例はいくらでも挙げることができますし、あたらしい言葉が作られる時も比較的用いられやすいような「生産性の高い」形態素でもあります。仮にタピオカを焼いた料理が今後生まれるとしたら、その料理はおそらく「焼きタピオカ」とよばれるだろうし、新種の果物「赤ナシ」が見つかったとしたらそれを焼いたものは「焼き赤ナシ」と命名されるだろうということは、容易に想像がつきます。
これに対して、「~焼き」という接尾辞は、さきほどの「焼き~」に比べるとやや特殊な働きをしていることが分かります。「鯛焼き」や「目玉焼き」は、鯛や目玉を焼いたものではなくて、そのような見た目をした料理のことを言っています。とくに「目玉焼き」は、もともと目玉の形にしようと思って作るものというよりは、卵をフライパンに割り落して焼いた結果、なんとなく目玉のように見えるものであるから、ここには一種の比喩が働いているといえます。(今回のように、あるものをそれと似たものを用いて表現するタイプの比喩を「隠喩」といいます。あとで述べるように、比喩にも様々な種類があるのです。)
「たこ焼き」や「卵焼き」はどうでしょうか。これらは決してその見た目をはじめとした性質がたこや卵に似ているわけではありません。むしろ、それぞれの料理の材料となっているもののうち、主役であると考えられるものを取り上げて名前をつけたものであるといえます。「たこ焼き」は、「小麦粉、ネギ、紅ショウガ、天かす、卵、たこ」といった多くの材料のうち、とりわけその特徴となっているもの(決して「もっとも多く含まれているもの」ではないことに注意!)である「たこ」をして、そのほかの「焼かれているもの」を代表せしめており、また、「卵焼き」も「卵、牛乳」などのいくつかの材料のうちのひとつである「卵」を、料理名に冠しているわけです。これらについても、実際の単独の材料を示しているわけではないという点で、一種の比喩であるといえるでしょう。(このように、あるもののうちの一部でもってその全体を示したり、あるいは一部のことを示すために全体をさすことばを用いるような比喩を「提喩」といいます。パンや麺類を含めたあらゆる食事を含めて「ごはん」と呼ぶのは前者の例で、「花見」の「花」がもっぱら桜のことを示すのが後者の例です。)
「広島焼き」「今川焼き」ということばもあります。「広島焼き」は、(こういう風に言うと広島出身の方に怒られてしまいそうですが)いわゆる大阪名物のお好み焼きとは違って、中華麺や目玉焼きが重なっている、いわば広島風のお好み焼きのことをいいます。今川焼きは、「回転焼き」とか「大判焼き」とも呼ばれるお菓子で、平べったい円柱の形をした生地に餡が入っているものが一般的です。これらはいずれも、その見た目や材料からつけられた呼び名ではなくて、その料理の発祥の中心となった土地や地域を示す名前になっています。(なお、今川焼きという名前の由来については、諸説あります。)このようなパターンについても、「鯛焼き」や「たこ焼き」とは違うタイプの比喩であるとみることができるでしょう。(あるものをそれと関係のある別のもので言い換えるような比喩を「換喩」といいます。換喩にはこのような「産物-産地」の結びつきを用いたもののほかに、「(彼は)黒帯(だ)」のように「勲章-階級」の関係によるものや、「シェークスピア(を読む)」のように「作者-作品」の対応に基づいたものなど、様々な種類があります。)
ここまで「~焼き」という例に絞ってみてきましたが、これに限らず、「~揚げ」や「~煮」といった他の接尾辞においても同様に、「○○を揚げたもの/煮たもの」というパターンに当てはまらないような料理名になっているものが見られます。「薩摩揚げ」「厚揚げ」「筑前煮」「芋煮」――これらはいずれも、「鯛焼き」「たこ焼き」「広島焼き」のいずれかのパターンに該当することがわかるでしょう。もうこの場でいちいち取り上げて調べることはしませんから、ぜひ、そのほかの例についても併せて探してみてください。
文章を締めくくる前に、一つだけ注意をしておきます。「~焼き」という言い方の中には、「丸焼き」とか「ホイル焼き」といったものもありますが、これらは「調理法」をあらわしたもので、もともとが固有の料理名だったわけではありません。その証拠に、これらの名前は「豚の丸焼き」とか、「鮭のホイル焼き」というような「内容をあらわす言葉」をつけられるという特徴をもっています。こうした性質は、「鯛焼き」や「卵焼き」にはありません。「磯部揚げ」「しぐれ煮」などについても比喩を含んだ言い方ではありますが、それが調理法を表しているという点で、私たちが見てきたような例とは根本的に異なるものです。
さて、「鯛焼き」にはじまった議論も、そろそろおしまいです。私たちが確認したことは、「鯛焼き」と「焼き鯛」とではその名前から連想されるものも実際に示すものも全く異なるということと、そのような差異には「焼き~」と「~焼き」という全く別の語形成がかかわっているということ、そして「~焼き」という接尾辞を用いた名前には少なくとも三つの種類――鯛焼きと卵焼きと広島焼き――があることでした。また、このような性質をもつ言葉は「~焼き」以外にも、「~揚げ」や「~煮」など、多くの種類があることが示唆されました。
もちろん、これですべての謎が明らかになったわけではありません。今回考えたのは料理名についてだけでしたが、そのほかの名詞についてはどうなのでしょうか。また、「焼き」「揚げ」「煮」はいずれも「焼く」「揚げる」「煮る」という動詞の形を持ちますが、すべての動詞がこうした性質を持っているといえるのでしょうか。また、動詞の形をもたないことばについてはどうなっているのでしょう。何かがわかると、かえってわからないことが増えていく。それが日本語学や修辞学といった学問が続けられる理由であり、またそれらのもつ面白さでもあるのです。