雑文:2021年7月28日
自分はまじめな人間だと思っていた。
やるべきときにやるべきことをやれない。だから自分はまじめじゃないんだと、わかった。私の考える「まじめ」というのはどうもそういうものだったのだらしいということが、わかった。
もう少し考える。
「〈やるべきこと〉を決めるのは他人(お前)じゃない、私だ」という気持ちが、どうも私には強くあるらしい。もっと柔軟な、決して頑迷固陋な人間ではないと思っていた。直ちに自分が頑迷固陋な人間だとはならないにせよ、ざっくり自分は、どうにも頑固な人間の部類といってもよいらしい。
それが私には気に食わない。「頑固」であるということが、気に食わない。状況に合わせて適当に/柔軟に対応する能力こそが重要、というより、それが「大人になる」ということで、広く世において求められる能力だと思うからだ。そしてそれに私は価値を見いだすからだ。求めるものを、私は持たない。柔軟さなど、私の資質ではないのだ。ということを認めがたい所に、この私の「頑固さ」の厄介さが内在している。耐え難い思いがする。
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