それぞれの冒険〜父の場合
父のことを思い出すことは基本、あまりないのだが、ふとした拍子に思い出してしまった。
来る日も来る日も、一日中PCに張り付いている自分が、ふと父に似てると思えてしまったことから。
堅実ひとすじの父
現役時代の父は、堅実で大きな出費をしない人だった。毎日弁当持ちで出勤し、タバコも吸わなかったため、ある日財布を持たずに出勤したことに帰宅するまで気づかなかった。帰宅すると母に指摘され、その日は家族で大笑い。
穏やかな父が怒ったのは、私が離婚する前と、両親に隠れてParis〜Brest〜Paris 1200km(2007年)の出走手続きをしていたのがバレた時ぐらいだった。「お前の選択はいつも間違っている」という趣旨のことを言われた記憶がある。
(結婚はともかくフランス往きのどこが間違いだったのか、いまだによくわからない)
株式投資の失敗~晩年
ふとそんな父に自分が似てると思ったのは、自分を「パッとしない」人間と思ったからかもしれない。傍から見たら生産性のないPC作業に明け暮れる自分を、すっかり覇気を失った在りし日の父の姿に重ねてしまったらしい。
父は、株式投資に失敗して退職金をほぼ全額すった。
株式投資に失敗した後の父は、トレードするでもなく一日中PCの前に座って過ごした。やがて外出をまったくしなくなり、大好きだったボウリングも辞め、口数も減ってゆく。そして家族も気づかぬうちに認知症を発症していた。
父は、自分を放棄してしまっていたのだろうか?
実は最近、私はライターの仕事で遺品整理について書いていた。その際、例によってリサーチで深掘りし過ぎ、孤独死からセルフニグレクトについてまで貪り読んでしまっていた。
セルフニグレクトのチェック項目に、自身が結構当てはまっている…尤も該当するようになったのは今に始まったことではなく、介護士時代からなのだが。
つい、父が歩んだ(かもしれない)セルフニグレクトの道を、私も歩んでいるのではと連想してしまったのである。
終始穏やかだった父の認知症の進行は、介護の仕事で見てきた誰よりも早かった。所謂「徘徊」の時期も短く、何かおかしいと思い始めてから1年足らずで父は歩行の自由を失った。
それから父が寝たきりになるのにそう長くはかからない。誤嚥性肺炎を繰り返すと、ショートステイを受けてくれる施設もなくなり、入院先のケースワーカーも困り果てていた時に、その日を迎えた。
父の冒険
父が株式投資をしていたのは、ずっとリタイア後の生活のためと、母と行く旅行のためと思っていた。この点については生前も没後も深堀したことがない。
ところが最近、父は株式投資自体が楽しくて仕方なかったのではないかと思うようになった。
父にとっては、これが最初で最後の冒険だったのではないかと思えてならない。
同じく現在引きこもりの私はというと、自転車で出かけることもしなくなった代わりに、こちらもやはり、PCの中で冒険している。今日もまた、新しいジャンルの執筆をすべく営業を掛けている。
IT音痴を克服し、Webライターとして知らない世界と繋がって、これを冒険と言わずに何といおうか。大してリスクは負っていないが(笑)
自分の足で歩くところを歩き、踏むべき道を踏めば、それだけで親や先人の考えていたことが、何となく解るようになってくるものらしい。
息子が私を理解するのも、きっと私の死後だろう。まあ、親子なんてそんなものでしょう。いつだって親から子への一方通行。
わかったときが親孝行、ってことで。