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今更だけど…親子って何?
(写真は、母と亡き父と出掛けた時のもの)
先日、はじめて母のことを書きました。
これまでずっと、母のせいで私はさえない人生送っていると思い続けてきました。
母はいわゆる過干渉で、過保護なひとです。私が20歳過ぎてからもそうでした。だから、私は他の友達みたいに正しく巣立つことが出来なかったのだ、自己決定すらうまくできない人間になってしまったのだ、って。
私が成人した頃、女優の宮沢りえさんの激やせ報道が世間を騒がせました。彼女が拒食症に苦しんだ裏には”りえママ”さんとの密すぎる関係があるといわれています。当時ワイドショーが報じていたりえさんの母娘関係は、私たちのそれと酷似していました。
このまま母と一緒に居たら、私もりえさんみたいに拒食症になる。信憑性のないメディアを鵜呑みにしては徒にそんな危惧をしたものでした。
私は6年間の結婚生活を除けばずっと実家の親元で暮らしています。そして離婚から現在に至るまで、何度も実家を出て母の支配から逃れようと考えました。でも結局、父の介護や死もあって、私は完全に実家からテイクオフするタイミングを逸したわが身を憂いていました。
でもですよ。
母がいまだに成長している、って記事を書いているうちに、母への思いが変わってきたのです。
疎ましかったようでいて、本当は母のこと、やっぱりすごいな。でもかわいい所あるな。って思っていたことに気づきました。
そうすると今度は、私自身が必要以上に片意地を張って生きて来たんじゃないかってことにも気付かされます。
それもこれも、思ったことをそのままnoteに書いたことがよかったのでしょうね。どうやら書いているうちに気持ちが整理されてきたみたいです。
いろいろ束縛する母が疎ましかったのは、直接自由を奪われる(ように感じる)からだけじゃなかった気がします。
いい歳して母とべったりでいることが周囲からどう見えるか、と世間体ばかり気にしていた。実際偏見もありますよね、いい年してキモイとか。
『稼ぎが少ないから実家を出られない』表向きはそういう事にしていたのも、親離れできない恥ずかしさを感じたくなかったからかもしれません。
もっとも、何が何でも親離れってしなきゃいけないものなのかという疑問もあります。人生のいろんな選択肢の中に、親と共に生きるというのもあっていいのでは。
っていうのは開き直りでしょうかね?(笑)
とにかく離れられない以上、母への気持ちが変わって(解かって)よかった。
うまく言えないけど、親子の絆って、ただただ親から子へと一方的に与え続けるものである気がします。そして子から孫へ脈々と。
逆に子から親へ与えることはあまり無く、どちらかというと恩返し出来ないまま親不孝を上塗りしていく――というのは我が家に限った事なのでしょうか。
ただ何かの重要な局面で、社会経験から子が親よりうまく立ち回ることができることもあり、そんな時に初めて親に報いてあげられたと思うのです。我が家で言うと、父の介護方針を決める時がそうでした。職業介護士だった私の方が母より冷静に判断ができましたからね。
これでさんざん親不孝してきた罪滅ぼしになっていればいいですが(笑)
私自身、息子には元気でいて欲しい以外の何も望みません。
息子は離婚で父親に引き取られ、再会したのは彼が二十歳の時。なんと彼の引っ越しトラブル調停に呼び出されてのことでした(なぜ父親が行かない?笑)。その後も彼の危機を救ったことがありますが、ただどんなことをしても助けたかっただけで恩返しをして欲しいと思ったことはありません。
親なんて、そんなものなのでしょうかね。それが解った事が、母と亡き父に報いてあげるという事なのかな。
50を過ぎて今更のように思う、今日この頃です。
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