短歌との出会い 続
今回は、前回のノートの続編である。
私が一旦、短歌から離れてからどうしたか?
短歌とならぶ短詩である俳句を始めてみることにした。
そもそも、その前の段階で、俳句か短歌を選ぶかで迷っていたこともあり、消去法として俳句を始めたに過ぎないのだが。17文字という手軽さもあり、それなりに沢山作った。発表の場としては、インスタグラムを利用した。写真とセットであげるスタイルである。ただ今にして見返してみると、拙作ばかりで恥ずかしい限りである。この手の作品にありがちな、写真の説明のような俳句ばかり作っていた。特に指導を受けたことも無く、指導されることもなく、次第に何か張り合いのようなものが失われていった。インスタグラムに載せていれば、それなりに「いいね」は貰えるのだが、それだけだった。少しずつ虚しくなっていった。
それから、俳句のアイデンティティである季語について。立秋とはいえまだ暑く、立春といえどまだ寒い。この現実と季語のズレが、うまく消化できなかった。実際には、そこまで厳密になる必要は無いのだが。
この時に何かキッカケがあれば、俳句にのめり込んでいったのかもしれない。しかしそんな時に逆に短歌にのめり込むキッカケがあらわれた。当時、定期的に書店からNHK俳句を購入していた。しかしある時、妻に頼んで買ってきてもらった一冊、それがNHK短歌だった。単純に間違えて買ってきてしまったのだ。デザインも似ているし、ぱっと見たところ分かりにくい。しかしこれが短歌にのめり込むキッカケになろうとは…。
つづく(おそらくは…)。
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