見出し画像

出会い

無料マッチングアプリに登録した次の日にメッセージが届いた。
〈今から会いませんか?〉
何度かメッセージのやり取りをして、荒川の河川敷で会うことになった。
定食屋に並ぶ昼休みのサラリーマンを横目に、無断で借りた母の自転車を走らせ、指定のベンチに向かうと、すでに彼女はいた。
長い黒髪をセンター分けして左右の耳にかけている。耳まで届かない髪の毛が何本か、目の前で風に揺られていた。それに焦点を合わさずに、遠くを見つめている。
おでこの白さと髪の色が対照的。まるでその配色と合わせたような、オーバーサイズの白いTシャツとシワ加工が施された太めの黒いサテンパンツ。
シルバーのトングサンダルが無気力な素足をさらす。
視線は遠くに見える日本一高い電波塔に向けられていた。
「あっ、こんにちは。アプリの者です。スカイツリー見てるんですか? 大きいですよね」
安易な僕の言葉を見透かすような鋭い目つきを、こちらにぶつけてきた。
「大きい? 遠くから見てるから『大きい』って思うんだよ。きっと真下から見たら、『高い』って思うよ」
僕は何も言わず隣に座り、黙っていた。
「もし、この河川敷で、設定が大昔の映画とか、時代劇とかを撮影したら大変だろうねー。背景にスカイツリーが見えちゃうから」
横風でなびいた彼女の髪の毛が、汗ばんだ僕の顔にへばりついた。堪えきれず髪の毛に噛みつく。
毛先に感覚のない彼女は遠くを見つめたまま返事を待っていた。
「歩く?」
僕の提案に彼女は立ち上がり、風で乱れた髪の毛を両耳にかけた。
「自転車はいいの?」
「うん、置いてく」
河川敷の砂ぼこりが彼女の素足と黒のサテンパンツの裾を汚していく。
風の住みかのような河川敷から逃れ、住宅街を目的もなく歩いた。
立ち止まり、マンションの一室を指さした彼女。
「あんな感じで、ベランダに自転車おいてる人、たまにいるけど、なんなんだろね」
「乗らないんじゃない? それなら、くれ。売ってやる」
しばらくベランダを見上げ、また住宅街をさまよう。
「あっ、花だ。供えてる。誰かここで死んだのかな」
電柱の足元にしおれた花束。横には缶ビールが置かれていた。
「ねぇ、こうゆうのどう思う?」
彼女の質問に答えるつもりはなかったが、考えている素振りをした。
「私はね、こうゆうの、複雑なんだよね。家族は花とかを供えてあげたいだろうけど、この近所に住んでる人からしたらどうなんだろ。例えば、友達の家に行って、すぐ近くにこんな感じで供えられてたら、なんか気まずくなる。それに、念願のマイホームってやつを建てた人のすぐ近くがこんな感じだったら、なんか悲しいよね。そもそも死んだ人はお墓か天国か仏壇にいるんじゃない? いつまでも死んだ場所にいないよね。お花を供えに来るくらいだから、きっとしっかりしてるだろうから供養もしてるだろうし。そもそも即死じゃなかったら、死ぬのは救急車の中か病院だよね。救急隊員に死んだ場所を詳しく教えてもらうの。そしたら救急隊員がこう言うの。『確か、あの交差点曲がって、一つめのコンビニのあたりで……』って。だからそのコンビニの近くに花を供えるの」
「あのさー、安全のためじゃないかな? ここで人が死んだことあるから気を付けよう、みなさん。みたいな」
「……ふーん。納得。お礼にジュースおごってあげる」
見たこともないメーカーの自動販売機を見つけて、見たことがないアイスミルクティーを買ってもらった。
彼女は見たことがないアセロラジュースを一口飲んで、白状するように口を開いた。
「私、人と対面すると、その人をかわいそうって思っちゃうの。もし私がその人を殺したらって考えると、その人がかわいそうで、かわいそうで。もちろん、殺してなんかないし、殺したくもないけど、その人の人生を私が終わらせられるって思うと、悲しくなる。だから人と話せない。人と対面すると泣きそうになる。目の前の人を殺せば、この人の全てが終わるんだって。そしたら、その人をかわいそうに思えて、悲しくなって、悲しくなって、かわいそうになって、かわいそうになって、その人と目も合わせられない。誰とも対面できない。でもさっき河川敷で初めてキミと対面したとき、かわいそうにならなかった。それはキミがもう死んでるように感じたから」
「ひどぉっ」
一口分のミルクティーをアスファルトに吐き出した。見たことがないミルクティーの缶の中身は見たことがある普通のミルクティーだった。
アスファルトとミルクティーのコントラストは、彼女の髪とおでこのコントラストより甘かった。
「ひどいこと言ってごめんね。地面とミルクティーの色合い、キミの格好の色合いと似てるね」
黒ジャージのズボンと、くたびれた濃いベージュTシャツ。
衣服に関心を持っていた専門学生だったあの頃。
地面を見て僕は小さく笑った。
彼女は見たことがないアセロラジュースを飲み干した。

洗濯機の終了音が部屋に響いた。
「お願い! 洗濯干してー!」
「せっかくの日曜日くらいゆっくりさせてくれよー」
「じゃ! オムツ変えてよ! どっちとも私にやれって言うの?」
あの日、出会った僕ら。
あの頃、まぎれもなく壊れていた僕ら。
誰かに夫婦のなれ初めを聞かれても「バイトで出会ったよねー」と言う妻。それに頷く僕。
壊れた者同士が出会って、修復し合った。
僕らは普通の夫婦になれた。のかな。