幸せな答え合わせ
「いつまで傘さしてんの? 早くとじたら?」
「いやだ。傘とじないよ。まださすよ。だって雨ってやんでも、電線から水が落ちてくるでしょ」
カナは夜空か電線をみながら言った。
「なるほどな」
傘のせいでカナとの距離が遠くなっていた。それがわずらわしかった。
雨上がりの夜道を歩く出会ったばかりの僕ら。
アスファルトには散った桜が踏まれて濡れて、また踏まれていた。今年はこの地面を「汚いな」と思わなかった。
「電線にぶら下がった雨が、力尽きたら落ちる。そして私にあたる。服ならいいけど、おでことかにあたったら嫌なの」
「わかる。一瞬、『鳥のフン?』って思うよな」
「思わない。汚い水だったら嫌だなとは思う。話、突然変えていい?」
ウサギに似ている横顔。
「いいよ」
「あのねー、もし今、好きな人がいるとして。……いや、ちょっと待って。映画館に行ったとします。一人で。一人で映画をみました。映画館で。で、後日、その好きな人とその映画の話をします。『その映画、おれみたよ』、『私もみたよ』みたいな感じね。で、色々と話していくうちに、お互いが同じ映画館でみてたことが判明するの。で、二人とも偶然にも半券を持っていて、映画をみに行った証拠として、半券をみせ合うの。で、みに行った日付は違ってて、好きな人の方が先にみに行ってて、で、よく半券をみたら、全く同じ席に座ってたの!」
「おぉロマンチックな展開だな」
「でしょ!? で、私が何を伝えたいかというと、同じ席に座ってたことが判明する時の衝撃……衝撃というか、感動? ときめき?」
熱弁するカナは、手ぶりが大きくてペンギンにみえた。開いたままの傘が大きく揺れていた。
「うん、わかるよ。ときめきかな」
「あっ! これ、二択の質問だから、ちょっと待って! あー、説明難しい」
「二択の質問?」
「そう二択。……わかった! 先にテーマを言った方がわかりやすいかもしれない。えーっと、『どっちがときめく?』って二択です」
「了解」
「さっき言った、後日に半券をみせ合って同じ席と判明するときめきと、自分はまだその映画をみていなくて、で、好きな人がその映画をみに行ったことを知って、半券をみせてもらって、座席番号を記憶して、その後、映画館に行って、好きな人が座ってた席について映画をみるの。意味わかってる!?」
「なんとなく」
「つまりは、その座席に好きな人が座ってたことをわかっててみる映画と、その座席に好きな人が座ってたことをあとから知ること。どっちがときめく?」
「断然、後日に偶然判明する方がときめく。座席番号を記憶して、同じところに座るなんて消極的なストーカーっぽいし」
「確かに。断然、そうだね。なんでだろ。なんか、この二択をね、ひらめいたときに、『究極の選択だ!』って思ったけど、声に出して説明してみたら、全然究極じゃなかった」
「ここ、もう電線ないよ」
「ほんとだ」
カナは傘をたたんだ。
僕とカナは春、夏、秋を三回、冬を二回過ごした。
何度も話し合った僕らは深夜の街路樹で「今までありがとう」と言い合って別れた。翌朝、何かを期待して街路樹に足を運んだ。
通勤するサラリーマンがいるだけだった。
葉っぱが真っ赤だったことを知った。
「私、この歌手、好きー」
助手席にいる妻が言った。
「うん、最近、売れ始めたよな」
不自然なほどに自然な返事をしてしまった。
後部座席から聞こえてきた子供の泣き声がラジオの音をかき消した。
「あー、オムツかな。次のサービスエリア寄ってよ」
「了解。すぐ着くよ」
サービスエリアに車を停めると、「ついでに私もいく」と妻がミニバックを指に引っかけながら子供を抱えてトイレに向かった。僕は運転席に座りながら、その後ろ姿を見送った。
「……今回の曲からリアルさを感じてしまったのですが」
男のラジオパーソナリティは皆、同じ声に聞こえてしまう。
「え!? そうですか? まぁこんなことあったようななかったような」
「曖昧ですね」
「あっ! うまい!」
何がうまいのかわからなかった。
「それでも曲紹介お願いします」
「はーい。来週発売です。よかったら聴いてください。カナデカナで『曖昧な想い出は甘いな』」
雨がやんだ
「傘はいらないよ」と君が
雨がやんだ
「傘はまださすよ」と私
ここにここに
誘い込みたいだけなんだ
にこにこして
サソリみたいに毒はない
傘を私がもつのと
君がもつのとでは
みえる景色が広がるんだ
だってだってだって
20センチの身長差
君がいなくなってから
傘を20センチ高くしたけど
なんか違う
電線の雨が落ちる
おでこにあたって嫌だ
背伸び20センチでどこにあたる?
胸元かな
君と別れ
次の日にその場所にまた
君と別れ
次の日に同じ時間に
そこでそこで
また会えるかもしれないと
こそこそして
もしみつけても知らぬフリ
どんな話にもいつも
真剣にこたえる
くだらない二択にもちゃんと
こっちあっちこっち
20センチの距離感に
君がいることにして
となり20センチ広くしたけど
なんか違う
デパートでふざけあったね
おでんの具が同じで
背伸び20センチして見にきてた
ライブハウス
徐々に曖昧になっていく
記憶を私は私の中に
曖昧な想い出は甘いな
20センチの身長差
君がいなくなってから
傘を20センチ高くしたけど
なんか違う
すぐに感傷にひたる君はくっきりと
曲が終わりジングルが流れ、CMに入った。
「なんか飲み物買ってこようか?」
後部座席のドアを開けて妻が言った。
「あ、大丈夫」
すっかり泣き止んだ子供をチャイルドシートに手際よく座らせている。
「あれ? さっきのラジオ終わった?」
「終わってはないだろうけど、新曲流れてCM入ったから、さっきのコーナーは終わったと思う」
「そうかー。聴きたかったな。カナデカナ? だっけ?」
「そう。名前、曖昧なんだ。本当に好きなのか?」
「歌が好き。昔、その人が売れる前? に職場の人に連れていかれてライブハウスみに行ったことあるもん」
「え! そうなんだ。おれもあるよ」
「ほんと!? もしかして同じライブだったりして。いつくらいに行ったの?」
妻が笑った。少しだけタヌキに似ている。
「いつまでそこから喋ってんの? 早く助手席きたら?」
「はーい」