【告白なんてできるわけがないのに、心の中で告白するか、しないか、躊躇している演技をしてたんだ】
廣瀬さんとは、飲み会で知り合い、同じブランドのアウターを着ていたことで一気に仲良くなった。
僕は廣瀬さんを「廣瀬さん」、廣瀬さんは僕を「沼井くん」と呼ぶ。
廣瀬さんは美人だ。僕と同い年の28歳。
女友達ができたことが妙に嬉しく、出会って1ヶ月しか経っていないのに、6回も食事をしている。誘ったのは僕が2回、廣瀬さんが4回。こんな美人に4回も誘われていることが誇らしい。しかし、本当に友達。女友達だ。どこの店に行っても店員が「美人な彼女を捕まえた、普通のサラリーマンだな」という顔をして僕を見てくるのは快感に近かった。
今日は6回目の食事。
「最近、どう?」
焼鳥屋で案内された席につくなり、廣瀬さんが聞いてきた。
「唐突だな。でも今日は廣瀬さんに言おうと思ってたことがあって」
「なに?」
廣瀬さんは少しだけ首を傾げた。この首の傾げ具合が美貌を引き立たせている。
「新幹線で座席を倒すとき、後ろの人に何か言う?」
「私は言わない」
「やっぱりそうだよね? 言われたいとも思わないよね?」
「思わない。偽善者にしか見えない」
廣瀬さんは僕が僅かに思っていることを明確な言葉にしてくれた。
「実は僕もそれを思ってて、偽善者にしか見えないというか、信用できないんだ。自分でも、なんで信用できないんだろうって具体的な理由が分からなかった。でもこの前、新幹線に乗って、ついに判明した」
「なに?」
「座席倒していいですか? って聞く人って、その一言を言っている自分に酔ってるんだと思うんだ」
「わかる」
「僕が三人席の窓側に座ってて、真ん中の一席は空いてて、通路側に男性客が来たんだ。その人は座るときにドーン! って座って、この時点でガサツな人が来たなって思ってて。すると、その人が後ろの人に、座席倒していいですか? って聞いてるんだよ。許可が下りて、座席を倒したときの顔は忘れられない。おれはマナーがあるって顔をしてるんだ。次にその男の人は自分のカバンとコートをどこに置いたと思う?」
「真ん中の空いてる席。つまり、沼井くんは自分のカバンを足元に置いてた。それなのに、その人は真ん中の席に平気でカバンとコートを置いた。沼井くんは本当は真ん中の席にカバンを置きたいんだよね。でも真ん中の席はどちらのモノでもないから、我慢した。そこを利用しないことが、マナーだもんね。それなのに、その人は平気でそこにカバンとコートを置いた。ありきたりなマナーにしか配慮できない人。巷にはびこるマナーしか知らない人」
「その通り。さすが廣瀬さん。巷にはびこるマナー。まさにその言葉がぴったり」
廣瀬さんの頭を無性に撫でたくなる。
「話は戻るけど、私が、最近どう?って聞いて、そんな話するのは本当に私のことを友達だと思ってるのね」
「え? そりゃそうだよ。大切な友達だよ」
「もし私に対して恋愛感情があれば、もっと色気のある話をするよね?」
「確かにそうかも」
「私への気持ちはないのね?」
「え?」
これは廣瀬さんなりの僕への告白なのか? まさか。
「私ね、沼井くんのこと好きなんだよね。でもね、いつも他愛もない話ばかり。色気のある話なんてしたこがない」
廣瀬さんが僕のことを好き? まさか。
「沼井くんは私のことを友達としか思ってないの? 私は本気で沼井くんが好きなの。ごめんね、店に入ってすぐに言うことじゃないよね。夜景でも見ながら言うことかな? バーで軽く酔ってから言うことかな? でも今日絶対に言うって決めてて。それだったら、今回の食事は友達としてじゃなくて、恋人として楽しみたかったから、こんなタイミングで言ってるの」
「僕はさ、廣瀬さんのことをとても美人だと思ってる。最初から美人だと思ってた。だから、こんな美人が自分に好意を持ってくれるわけがない。話せるだけでも満足できる。いつしかそう思ってた。廣瀬さんのことを好きになって、相手にされない自分を想像したら、怖かった。傷付くのが怖かった。自分を守るために廣瀬さんのことを好きにならないようにしてた。そして本当に好きになっていなかった。でも廣瀬さんは僕のことを好きになってくれた。僕は本当に失礼だ」
「あのさ、そんなのいいから、返事が」
「なんというか、自信がないんだよ。今日から交際が始まったとしても、いつか振られる気がする。逆に僕が廣瀬さんを振ることもあるんじゃないかとすら思ってる。こんな美人を振る自分を想像したら怖い。要は廣瀬さんが美人だから、僕のペースがおかしくなる。美人は得をするとか言うけど、損をしている気がする。本来、楽しめる恋愛の機会を美人は何度も失っているのではないだろうかって思ってる。で、返事なんだけど、早い話が、勿論、許諾です。でもこんな弱気なことをうじうじと言っている間に廣瀬さんの僕への気持ちが冷めているんじゃないかなって思ってる。だって恋愛って、たった一言で風向きが変わったりするから。だから、今、許諾して、その直後に廣瀬さんが、やっぱり無しで、と言いそうで怖い。廣瀬さんが僕のことを好きでいてくれるだけでなんでこんなに怖い気持ちになるんだろう。話は少しだけ変わるけどさ、2回目の食事に行ったとき、あのとき僕はまだ廣瀬さんのことが好きだったんだ。つまりは最初は廣瀬さんのこと好きだったんだ。実は。でもこんな美人が僕のことを好きになるわけがないって、それだったらって自分の気持ちに蓋をしたんだ。あっ、さっきも言ったか。言い方を変えてるだけだね。で、2回目の食事の時に気持ちを伝えようか迷った。心の中で、告白するか、しないか、迷ってた。厳密に言うと、告白するつもりなんて微塵もなかった。そんな勇気がないから。それなのに、心の中で告白するかどうかを迷ってた。告白できないってわかってるのに、心の中で告白するぞーみたいな無駄な演技してた。意味分からないか」
「沼井くん? あのさ、とりあえず、何か注文する? とりあえずビールでいい?」
「いや、とりあえず、廣瀬さん僕と付き合ってください」
「そうだね、とりあえず付き合おう。よろしくお願いします」
「やったー」
僕は両手を上げた。
「え? 1つ確認なんだけど、これって沼井くんが告白したことになるの? 私、嫌なんだけど。私が告白したよね? 恋人ってさ、告白した方が偉いって雰囲気ない?」
「あるような、ないような」
「私が告白したよね? 私が頑張ったんだよ。勇気出したんだよ。最後、沼井くんが告白したみたいな雰囲気を醸し出してたけど」
「うん、廣瀬さんが告白した」
「よかった」
廣瀬さんは軽く息を吐き出した。
「廣瀬さん、じゃ、とりあえずビール頼もうか?」
「違うでしょ。次にビールだよ。とりあえずは付き合うってことで使ったんだから」
「なんかよくわからないけど、楽しいな」
廣瀬さんは笑った。僕も笑った。
こうして僕らは付き合い始めた。