見出し画像

2024年6月11日(火)古賀及子さんに心を動かしてもらう

最近あまり本を読めていない。というより、読み終えていない。手をつけている本は同時に4冊くらいあったが、ここ1ヶ月で1冊くらいしか読み終えていないので、そろそろ趣味が読書ですというのも憚られるような気がしている。読んだら何かしらアウトプットしなきゃと思うようになってしまったことが足枷になっている。読書は娯楽だ。もっと自由でいい。

ということで、今日は通勤電車で絶対本を読むぞと心に決めて家を出た。よく「いつ本を読んでいるのか」と聞かれるが、電車の中は結構チャンスだ。もちろん、ラジオも聴きたいし、見たい動画もあるが、そうしたエンタメは寝る前でも運動中でも摂取できる。「今日は読むぞ!」と決めて鞄に本を朝から詰める。おすすめである。

今日手に取ったのは古賀及子の『おくれ毛で風を切れ』。購入したのは4月。開くのに2ヶ月も経ってしまった。以前僕のnoteでも紹介したXのポストがきっかけで古賀さんには出会った。

趣味の押し付けと思いつつ、子らには「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと良い」と布教していたら、娘が“靴下をはいた状態で玄関に立ちサンダルと靴どちらを履こうか悩んだ”ことを日記に書いて習い事に提出していてさすがに私好みすぎてしまった。

元ポストは残念ながら削除されてしまっているようだが、初めて見たときに脳が揺れるほど頷いたことを覚えている。それから、いつか読みたいと思っていた、いわゆる日記文学エッセイ集だ。

日記文学に初めて出会ったのは多分“僕のマリ“さんの『書きたい生活』からだろう。当時銭湯で一気読みして衝撃を受けた勢いそのままに、「日記は筋トレ」と思ってせっせと書いていたことを思い出す。前後して友人に声をかけてもらい文学フリマに参加したこと、noteで毎日日記を投稿している友人のとんこさんやフォローしているシクロさんの文章を楽しみに読むようになったことで、自分の中で「こういうものだな」という型が確立されてきたように思う。

ただ最近、冒頭で書いたように1冊の本を読み終えることへの躊躇や、優れた文章を読むことにより自分の卑小さを突きつけられることへの恐怖からエッセイ集は特に読めなくなっていた。思えば文学フリマで喰らってしまったのと同じ現象だ。

山月記の李徴もびっくりの尊大な羞恥心と臆病な自尊心に邪魔をされていたが、なんてことはない。読み始めて数ページで書きたいことが溢れ出してきて、iPhoneにメモをする手が止まらない。気づけば読みたかったのに書いていた。さすがに要点を書くにとどめ、この文章自体は夜に書いているのだが、思えば心を動かされる体験が足りなかったのだと思う。慣れきった生活の中で心を動かすことはやっぱりとても大事だ。そして、心を動かしてあげるために、いつもの生活から一歩踏み出す体の動きはもっと大事。今日の僕は、それが敬遠していた本を鞄に入れて電車で取り出す動作だったかもしれない。

先月末、ふと思い立って下北沢で行われたライブに仕事終わりに足を運んだ。当日券で見るパフォーマンスに心を動かされ、同じことを思ったばかりだった。不意の一歩は大きい。明日の自分にはどんな一歩を与えてあげよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?