「隣人を愛する」前に「自分を愛する」事を

大学時代から福祉の勉強を始めて、初期の初期に習うモノに「バイスティックの7原則」というのがある。

アメリカの社会福祉学者のバイスティックさんが定義したケースワークの基本姿勢で、今でも事ある毎に思い出しながら実践を試みる方法論です。

●バイスティックの7原則
①個別化
②意図的な感情表現
③統制された情緒的関与
④受容
⑤非審判的態度
⑥利用者の自己決定
⑦秘密保持

今、改めて見返しても本当に大切だと思う事ばかりで、この中のどれかが崩れているとやっぱりいい支援というか関係性を築けないパターンが、過去を振り返ったら多かった気がしている。


でも、でもでもです。

この「バイスティックの7原則」を実践できている時と、そうでない時が割と明確にある事に気が付きまして。

それは何かというと、結局は「自身の身体・精神の健康」が大前提になってくるのだということです。


もちろん、社会福祉を勉強したものとしてプロとしての自覚を持って相手と接する訳です。

だから、ちゃんと自分自身をコントロールしながら相手と接していきます。

しかし、自分自身が崩れている時はそのコントロールがかなり甘くなっている。


例えば「認知症の方と接する時は」とか「統合失調症の方と接する時は」とか、ある程度の気を付ける部分を知識としてパターン化はできる。

簡単に言えば「鬱病の人に頑張ってという言葉かけをしてはいけない」とか。

でも、それってパターンなだけであって、それが絶対当てはまる訳ではない。

場合によっては鬱病の人にも「頑張ろう」と行って寄り添いながら並走することもある。

だって人間は全員違う人生を送っているから。


だから、結局はその場での勝負勝負になってくる。

面接室や生活の場で話をする中で、相手の言葉はもちろん、言葉以外の態度や様子、そして自身の全神経を使用して相手の微細な変化を可能な限りキャッチしなくてはいけない。

はた目から見たら「ただ話をしているだけ」に見えても、結構、色々とキャッチしたり、こちらからボールをぶつけるタイミングや強さを測ったり、そのぶつけた後の反応を見たりとか、実は全身の感覚をフル活用している。

なので、連続して面接を継続するのはかなりしんどい作業だったりする。

そうなると、やっぱり荒くなったり、甘くなったりする傾向が出てくる気が、経験からしている。


隣人を愛せという考え方はかなり好きで、私たちが隣人を愛することができたら、その隣人が隣人を愛すことができて……と、無限に優しい平和な世界が広がっていくと思っている。

でも、その大前提として自分自身を愛せよという事がかなり大切なのではないかと考えている。


私は自信を愛することを放置しがちなので、来年の目標としてもう少し自分自身を労わってやろうと思う。

それが、私の隣人を愛することに繋がるなら尚更に。

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ちゃっぴー
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