最愛のパートナー
「得体の知れない深い孤独感」
ずっとこれを抱えているような気がします。
だから昔から
「ソウルメイト」を渇望しているのかな?
と思ったり。
(「ソウルメイト」とは価値観を共有できる相手という
意味だけではないのだよ、というご指摘は
とりあえず横に置いていただいて)
「得体の知れない孤独感」を抱く原因としては
どうやら「最愛のパートナー」がいない、
いや、本来はいるんだけど
その「最愛のパートナー」から
常に責められている状態だから、
と言うことができるそうです。
(もちろん、現実はもっと複雑でしょうけど、
簡潔に言うとそういうことになるようです)
「最愛のパートナー」
それは「自分と一緒にいる時間が一番長い人」
そう、「自分自身」ですね。
その人から僕はいつも責められています。
実は今日もそうです。
今日は結構イヤな仕事がありました。
イヤな仕事ですから
イヤな思いをたくさんするわけですけど、
なんとか乗りきりました。
ですから、本来であれば
「なんとか乗りきってホッとしている」状態なんでしょうけど、
僕の場合は、「最愛のパートナー」から
「あそこでああ言えば良かったんじゃないか?」
「あのときはあんなことを言うべきではなかったんじゃないか?」
と責め立てられているわけです。
(最愛のパートナー=自分自身ですから
自分で自分を責めているってことですけど)
気がつくと
一番イヤな仕事をなんとか乗りきったことについては
一切褒めてあげていないのです。
これは一つの端的な例で、
よくよく考えてみると、いつもそんな状態なんです。
先日も、
仲の良い知り合いと
いろいろお話しする機会があったのですが、
その後で
「あんなことを言って不愉快な思いをさせちゃったかな?」とか
「こんなことを言うべきではなかったな?」と
思いっきり自分で自分を責めていました。
そんなふうに
「最愛のパートナー」であるべき自分から
常に責められていたら
それは「深い孤独感」にさいなまれるのも当然なんでしょうね。
ありのままの自分を
肯定的に受け入れることができない自分では、
「そりゃあそうなるよね」ってことでしょう。
かといって、
じゃあ一気に逆方向に振るっていうのも
考えものの部分もあるのかな?と思うところもあります。
なぜかというと、
ずっとそういう形で自分自身と接してきたわけですから、
それをいきなり逆方向にすることは、
今までの自分を「全否定する」ことにもつながると思うからです。
それはそれで、
別の意味で「自分自身を責める」ことになるような気もするので(苦笑)
たぶん、自分の場合で言えば、
「そういう自分も含めて少しずつ褒めていってあげる」
くらいのスタンスの方がいいのかな?
なんてことを考えていると、
いやあ、つくづく面倒くさいヤツだなあ、
周りの人は大変だろうな~って思います。
(と、また責めてしまってますね(苦笑))
おしまい♪
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