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54 母であって母ではない、しかし母である。
呼吸が止まった。
心臓も止まった。
瞳孔は開いたまま。
遂に来たのだ。
この時を穏やかに迎えるために
これまでがあった。
まず、訪問看護へ連絡をした。
ご連絡は落ち着いてからで大丈夫ですよ、と事前に看護師さんから説明があったので息を引き取ったと思われる30分後くらいに連絡を入れた。
看護師さんが死亡を確認した後、訪問診療のお医者さんに連絡、到着。
正式な死亡確認が行われ時刻が決定した。
その後は看護師さんと共に、体を拭いたりお着替えをしたり詰め物をしたり。
「お母さん、本当にお肌綺麗ですよね。どんな化粧品使ってたんだろう」
「imy っていうやつみたいですよ笑」
看護師さんとそんな会話をした。
母は綺麗だ。最後まで綺麗だ。
このとき、目の前の母は、ちゃんと私の母だった。
紛れもなくこの2ヶ月半ともに過ごした母だった。
清拭もいつもと同じ。だらんとした脚もいつも通り。
「病院で亡くなったときはそのままお化粧してくれるけど、自宅でなくなったときは誰がするんだろう?死化粧はちゃぴにしてほしいなぁ」
その言葉を思い出し、枕経の前にきれいにファンデーションと口紅を施した。
夜22時頃にも関わらずお坊さんは来てくれるものらしい。バタバタ準備をし枕経とやらを済ませた。
人が帰り、静かになった部屋。
母に顔を近づける。
静かだった。
まだ温かいお腹や首。
また、呼吸をはじめそうだ。
さっきまで動いていた、生きている母と何が違うのか。
しかし
時が経つにつれて顔が変わっていったように思う。
これは母ではない他人?ただの人形?
いや、泣きぼくろも高い鼻もちょっと歪な前歯も、母だ。
母のようだ、でも母ではないのかも
いや、母だ、でも違う顔でもある。
受け入れたくない気持ちから来るのか、
火葬の直前は、もはや母の顔ではなかった。
人は死ねば、身体はただの物質に変わる。
魂があってこそ母だ。
遺された体はもう母ではない。