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教師との出会い、生徒との出会い。

教えることについて、心に決めていることがある。

それは、生徒を一個人として常に敬意を持って接すること。
個性を認め、尊重し、
より人生が豊かになるお手伝いをさえていただくこと。

私の人生を振り返ると、人との出会いによって大きく影響されている。

その大半は教師、メンターとの出会い。

反対に、自分の可能性を制限されたり、チャンスを摘まれた出来事も多くの場合、教師によるものだった。

どんな出会いにも、意味があり、尊いものであるが、
その中でも、教師との出会いが与える影響はとても大きいと感じている。

特に子供の頃は経験値も浅く、生きている世界が狭いため、先生に対して必要以上に期待や権力を与えてしまうことが多い。

だからこそ、教師である立場の人間はプロフェッショナルとしてしかるべき境界線を引くことが大事。

言葉で伝えることも大切だが、生きるお手本として、立ち振る舞いで示すことも大切だと思う。

まさか自分が教師になるとは思わなかったけど、
振り返ると、教師みたいなことはずっとしてきたように思う。

教えることは様々。
英語、バレエ、ヨガ、ボディーワーク。

「教師」という言葉はあまり好まない。

私がしているのは、ただ「伝える」ことだから。

伝えること。
それは私の知識ではなく、ご縁によって先人から受け継ぎ、
媒体として私の中を通り、消化され、次の世代に伝達しているだけのこと。
何も偉ぶることではない。

願うことは、私が素晴らしい教師やメンターから受けた、
世界観が広がる感覚、
知識が血となり肉となる過程、
まだ見ぬポテンシャルへの揺らがない信念、
忍耐と超越した愛。

私はそれらを経験することによって「生きていていいんだ」と救われたし、
辛い時でも、その思い出があるからこそ頑張れる。

一つでも生徒にお伝えできたなと思う。

身が引き締まる思いで毎回教えをさせていただいている。



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michan
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