2019年の夏。
去年、2019年の夏。
私はベルギーのJ のアパートにいた。
6月26日。
朝、父からのメール。
母が体調が悪くて病院を受診。
すでに全身にたくさんの転移があり、
「超」がつく、稀少なサルコーマという悪性腫瘍の末期だと宣告され、
翌日緊急手術になった。
なるべく早く帰国するように。
私は何が何だかわからず、
泣ながら仕事中のJ に電話。
J は飛ぶように帰宅し、
放心状態の私に帰国するよう説得した。
手際よく私の代わりに航空券やら何やら、色々と手続きをしてくれた。
母に緊急帰国することを伝えたら、
母は電話越しで泣いていた。
「手術から目が覚めたら、あなたと会えるのね」と。
その数時間後、ブリュッセル空港にいた。
その晩の便で緊急帰国。
機内の中、涙が止まらなかった。
(上の写真はその時機内から撮影したもの)
成田に着き、その足で病院へ直行した。
私は父から連絡を受けた前日、
ブリュッセルのノートル・ダムを訪れ、
教会の中で静かに祈った。
というのも、数日前に母が夢に出てきて、
「ママは助からない癌なの」
と微笑みながら伝えてくれた。
メッセージを受け取ることは初めてではないから、
それが真実であることが怖かった。
それから1ヶ月半に及ぶ闘病生活。
母の看病のため、毎日家と病院を往復した。
母は決して希望を捨てなかった。
もともと8月10日に来日予定だったJ は仕事を調整してくれて、
7月頭に来日し、私を支えてくれた。
母もJ に会うことができた。
どんどん痩せて弱っていく母。
ガン細胞は悪性度がとても高く、アグレシッブ。
物凄い勢いを持っていた。
痛みに耐え、全身の機能が低下していく姿を見るのがとても辛かった。
8月10日。
母は父の腕の中で息をひきとった。
夜中タクシーを飛ばしてJ と病院に駆けつけた時、母の身体はまだあたたかく、
表情は苦しみから解放され、穏やかだった。
私は冷たくなっていく母に化粧をし、
母はまるで眠りについた白雪姫のように美しかった。
もう喋ったり、笑ったり、一緒に出かけたり、喧嘩したりできないのがさびしい。
私にとって母の存在は唯一無二で大きかった。
ママ、大好きだよ。